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■2016/05/12 (Thu)
創作小説■
第6章 イコノロギア
前回を読む
8
ツグミはシートに体を預けて、ルーフを仰いだ。高速道路のオレンジの光が、目に飛び込んできた。真っ黒な闇に沈んだ空を背景に、オレンジの光が無感動に流れ去っていく。まだ何もしていないのに、ツグミはプレッシャーを感じていた。
やならくてはならないことが多すぎるし、しかも背負っているものが大きすぎる。ツグミは宮川を逮捕できるチャンスを、自分が握っているなんて思いもしなかった。しかもそのチャンスは、たった1度きりしかない。
「それにしても、宮川はどうやって『合奏』の情報集めたんやろうな。公の場で、フェルメールの絵が発見なんて話が出たら、大事件や。どこかで噂になりそうなものやけど……」
ツグミはオレンジの光を手で遮りながら、疑問を口にした。
ツグミも端くれとはいえ、一応美術関係者だ。なのに画商同士のやりとりの中で、それらしい話が出てきた憶えがない。
「ツグミ。後ろの座席の下、バッグがあるから。中にファイルが入っているから、見てみ」
ヒナが運転しながらツグミに指示を出した。
ツグミは首を伸ばして、後部座席を覗き込んだ。後部座席の下に、バッグが置いてあった。白の、どこにでも売っていそうなエナメルバッグだ。
ツグミはバッグを引っ張り出して、膝の上に載せた。バッグはツグミの太股を覆うくらいの大きさはあった。それにかなり重い。
バッグを開ける前に、ツグミはちらとヒナを振り返った。すでに許可を得ているとはいえ、他人のバッグを開けるのには抵抗感があった。
ヒナがちらとツグミを見て、頷いた。「開けていいよ」と促したみたいだった。
ツグミはバッグを開けた。バッグの中は、いろいろなものがごちゃ混ぜに詰め込まれていた。生理用品に化粧道具、手帳、携帯電話の充電器……その混乱具合が整理下手なヒナらしかった。
ツグミはその中に手を突っ込んで、それらしきものを探した。間もなく底のほうに青いファイルが埋まっているのを見付けて、引っ張り出した。一緒にタオルとなぜか入っていたブリキのおもちゃが飛び出した。拾おうと思ったけど車内は暗かったし、膝に大きなバッグを乗せた状態では手が届かなかったので、後回しにした。
ファイルは穴を開けず、中央で書類を挟み込むタイプだった。挟み込まれている書類は、何かの名簿らしい。
名簿は何枚も続いていた。リストの頭に『暗黒堂』の名前があった。
ツグミはすぐに『暗黒堂』の名前に思い当たった。神戸西洋美術館の、スポンサーになっている企業だ。
ツグミは名簿が何を意味しているのか全然わからず、ヒナを振り返った。
「それ、暗黒堂の役員リストや。ここ10年の全役員の名前を載せている。と言っても、ツグミにはわからんな。そこに載っている名前な、ほとんどが元警察官僚なんや。検察官の名前も入っとお。要するに、暗黒堂は公務員専用の天下り先だった……ていうわけ。暗黒堂は胡散臭い副業抱えとお企業やからな。だからそうやって公務員を大量に抱えて、免罪符を貰っている、というわけなんや」
ヒナは正面を見たまま、解説した。言葉が先刻よりも、厳しさを増していた。
「でも、それと、どういう関係があるん?」
ツグミはまだ意味が理解できず、質問を重ねた。
確かに天下りとは、穏やかな話ではない。しかし名簿とフェルメールの『合奏』と、どこで繋がるのだろう。
「暗黒堂と警察は、かなり深い繋がりを持っとんや。それで警察は、自分たちが手に入れたものを一部、暗黒堂に提供していた。例えば“押収品”とか、ね。紛失したってことにして。ツグミも、テレビとかで見たことあるやろ。家宅捜索。最近、やたら増えたと思わんか?」
ヒナは理解を促すように、ちらとツグミを見た。
次回を読む
目次
※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです
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■2016/05/11 (Wed)
創作小説■
第12章 魔王覚醒
前回を読む
4
馬はしばらく走り続けた。その速さは風の如く、その勢いは鬼の如く。人馬は風となり、目の前の草むらを2つに割りながら突き進んだ。しばらくして、馬が止まった。乗り手が背後を振り向く。もはや追っ手の影も気配もない。追跡を諦めたのだ。
乗り手が馬を下りた。ソフィーも馬を下りた。
ソフィー
「あの、ありがとうございます。助かりました」
乗り手が頭巾を取り払った。
バン・シーだった。
ソフィー
「あ……あなたは……。そんな……」
バン・シー
「……?」
ソフィー
「いけません! 私から離れて!」
ソフィーが叫ぶ。
だが、ソフィーの体内で、何かが叫んだ。
?
「見付けたぞ。さあ、その名前を呼べ。その女の名前を呼べ!」
ソフィーの体が何かに乗っ取られた。青い光がソフィーの胸から浮かび上がる。ソフィーの瞳から意思が失われた。
バン・シー
「ソフィー! おのれ……」
バン・シーが剣を身構えた。剣の切っ先に炎が宿る。
しかし――。
ソフィー
「……イーヴォール……」
ソフィーが呟くように、その名前を口にした。
突如、辺りが暗転した。ざわざわと激しい風が辺りを包む。暗闇の中、イーヴォールはたった1人で立ち尽くしていた。イーヴォールは周りを見回し、剣を手にしようとしたが、その掌には何も握られていなかった。
闇の向こうから、何かが現れた。烈風がゆらゆらと揺らめきながら、形を浮かべる。髑髏の頭にボロを身にまとった使者だった。
死神
「――イーヴォール……イーヴォール……やっと見付けた。やっと見付けた……」
死神はのそりのそりとイーヴォールに近付いた。
今やその姿は闇に紛れず、はっきりとした形を持っていた。身にまとったボロも、実は法衣であることもはっきりとわかった。
死神は一体ではない。暗闇から、次々と姿を現した。イーヴォールは初めて恐怖に囚われて、足が竦むのを感じていた。理屈ではない、直接心に働きかける、根源的な恐怖だった。
死神がゆっくりとイーヴォールに近付き、骨でしかない手をイーヴォールの胸に差し向ける。
しかしイーヴォールは、それを打ち砕くかのような凄まじい形相をその顔に浮かべた。
イーヴォール
「死神め! この命まだ渡さん! 渡さんぞ!」
唐突に、古い光景がイーヴォールの体を通り過ぎていった。
古代王国ケール・イズの崩壊の光景。巨大な怪物が王国を破壊していた。これまで聞いたことのない凄まじい叫び声。怪物は見える全てを破壊し、塵に変え、飲み込んでしまう。忌まわしき影から、闇の下僕が次々と生まれる。
姫
「ああ……なんてこと。光が失われる。暗闇が全てを覆う。助けてください、イーヴォール様。私は……私は騙されていました。あの異邦人……黒の貴公子に。あの者が放つ偽りの言葉に心を奪われ、忌まわしきものを生んでしまいました。助けてイーヴォール様。この国は失われてしまいます。いいえ、この国だけではありません。全ての大地があの怪物に飲み込まれてしまいます。全ての国から人が消えて、言葉が絶えてしまいます。どうか……」
黒の貴公子が振り返った。肩に、大きな十字を抱えていた。
黒の貴公子が、ニヤリを口の端を吊り上げた。
悪魔の王は途方もなく巨大だった。その咆吼は全ての大地を揺らした。天地を支えていた巨人の力も失われてしまい、雨が降り注ぎ、海の水が立ち上がり、大地を津波が飲み込んだ。
イーヴォールは悪魔の王に立ち向かおうとしたが、押し寄せてくる洪水に飲み込まれてしまった。
それでもイーヴォールは辛うじて生き残った。しかし敵の圧倒的な大きさに、自信を失っていた。
イーヴォールはかつての師の許を訊ねた。
師匠
「覚悟はできているのだな」
イーヴォール
「はい。この名前を封じます。悪魔の王を倒す、その方法を見付けるまで……。旅をします。伝説の中を歩きます」
師匠
「イーヴォールよ、影の者になり、世界を歩け。そなたにはもう自由はない。その身に宿された強い魔力が、幽鬼に陥る運命を遠ざけるだろう。使命が永久にお前を縛り付ける。イーヴォールよ、忘れるな。使命を忘れたその時、そなたはおぞましき幽鬼になるのだ」
イーヴォールは目に涙を溜めながら、頷いた。
その後……。
イーヴォールは方々を旅した。様々な伝承を集め、魔の王を滅ぼす方法を探した。
多くの戦を経験した。多くの死が通り過ぎていった。多くの愚かな生を目撃した。
旅の最中に、様々な人々と巡り合った。聖剣を扱いうる一族の王権樹立に手を貸した。その王権を安定させるために、歴史の操作も行った。
あまりにも多くの死を経験し、長すぎる人生を通過し――。
悲しみも苦しみも、全てどこかに置き忘れたまま――。
たった1つの目的のために。
◇
イーヴォール
「うぎゃあああああああああああ!」
イーヴォールは体をのけぞらせて、この世のものとは思えない凄まじい絶叫を上げた。長い黒髪が一瞬にして真っ白に変わる。全身から蒸気が噴き上がり、美しい肌が割れてひびが入るように皺だらけになった。
ソフィー
「バン・シー様! バン・シー様!」
ソフィーは慌ててイーヴォールの体に飛びついた。
イーヴォールが倒れた。ソフィーが抱き起こす。イーヴォールはすでに息をしていなかった。イーヴォールは一瞬にして老婆になっていた。目が白く濁り、何も映さなかった。死んでいるのだ。
ソフィー
「そんな……こんなことになるなんて……。バン・シー様……」
すると、イーヴォールの死んだ目がぱちりと瞬きをした。むくと起き上がった。全身に走ったひび割れが消えて、もとの美しい肌が戻ってきた。白髪だけが残された。
イーヴォール
「これは……」
ソフィー
「バン・シー様!」
ソフィーは驚きと喜びの混じった顔で、イーヴォールを抱きしめた。
次回を読む
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■2016/05/10 (Tue)
創作小説■
第6章 イコノロギア
前回を読む
7
高速道路は少しずつ、車の数が増えていった。どうやら都会に近付いてきたらしい。「宮川は焦ったんや。化学鑑定を行える施設を作れば、川村の贋作を見破れる……そう思ってたんや。ところが川村さんの贋作は、完璧やった。今となっては、川村さん本人を見付けないと、どうにもならないっていう結論になった。それから、化学鑑定より正確な判定ができる鑑定士を見付ける必要があった」
ヒナは運転を続けながら説明を続けた。周りの車にも少し注意を向ける。
「そんな人がおるん?」
ツグミは感心を込めた驚きで訊ねた。
すると、ヒナが軽く笑った。ツグミはヒナが急に笑った意図が読めなくて、困惑した。
「あんたや。ツグミ。あんたが化学鑑定より正確で完璧な鑑定ができる鑑定士や」
「ええ~! 私? 無理無理、無理やで。私そんなのできへんわ」
ツグミはびっくりして手と顔をブンブンと振った。
ヒナはまた少し愉快そうに笑った。
「あんたはもう少し、自分の実力を公平に推し量ったほうがええで。何にせよ、宮川は川村さんを捕まえた後、今度はアンタを探しに来るやろう。気をつけた方がええで」
ヒナが緊張を取り戻し、ツグミに警告した。
ツグミはまだピンと来なくて、1人で眉間に皺をひそめて、首を傾げた。
私の実力なんて、せいぜい近所のおじさんを喜ばせる程度……。そんな大層な力とは思えへんけどな……。
「でも、もし川村さんを見付けたとして、本当に宮川が現れる保証は?」
言いながら、ツグミは周囲に尾行が追いていないか、心配した。ヒナの話からすると、宮川はヒナを見逃したわけではないらしい。もしもツグミとヒナが川村を探そうとして、さらに見付けられるような可能性が出てきたとしたら、宮川はすっ飛んでくるはずだ。
「絶対に現れる。なんせ、1枚で150億円の絵画やからな。小さな絵やから、持ち逃げしようと思ったら簡単にできる。人任せにはできない。だから、宮川はたった1つの本物を手に入れるために、1度だけ、必ず姿を現す。チャンスはその1回きりや」
ヒナは言葉に力を込めた。いい加減な“勘”の話ではない。ヒナにはそれだけの確信があるようだった。
宮川は周到な男だ。今までもそう思わせる事例に、何度も出くわした。それだけに、本物を確実に手に入れるために、宮川自身が姿を見せる可能性は高かった。
なぜなら、150億円の大金を生み出すとはいえ、その実物は縦72センチ、横64センチという小さな作品だ。「持ち逃げ」しようと思ったら、誰にでもできる。だから確実に『合奏』を手にするために、代理ではなく宮川本人が現れるはずだった。
「もし、そのチャンスを逃したら、次にフェルメールの『合奏』が現れるのは、サザビーズかクリスティーズ……か」
ツグミはヒナの後を引き継ぐように、呟いた。
サザビーズ(※1)やクリスティーズ(※2)に“曰く付き”の絵画が出品されるのは、珍しい事件ではない。
曰く付き絵画が出品されるたびに、様々な研究者やジャーナリストが調査に乗り出している。果たして、その絵画どこから、どんな経緯で国際的なオークションに姿を現したのか。出品者はいったい誰なのか。
しかしただの一度として、出品者が突き止められた事例は存在しない。サザビーズとクリスティーズのプライバシー保護は、常に万全なのだ。それだけに出品する側にとって、サザビーズとクリスティーズの信頼度は高いといえる。
フェルメールの『合奏』は確かに盗品だ。ガードナー事件で盗まれた14枚の絵画は、今でもFBIが懸賞金をかけて、捜索している(※3)。
しかし、事件自体は1997年に時効が成立してしまっている。つまり宮川は、フェルメールの『合奏』を堂々とオークションに出品しても、誰からにも咎められないのだ。
※1 サザビーズ 1744年ロンドンに設立された、最古にして現在も世界有数の美術品オークションハウス。クリスティーズとはライバル関係にある。
※2 クリスティーズ 1766年ロンドンの美術商が設立した美術品オークションハウス。現在、世界でもっとも規模の大きなオークションハウスとなっている。
※3 事件が迷宮化した1997年3月18日、FBIは事件概要をホームページに掲載し、「全作品を良好な状態での無事返還に対しては、500万ドルの報奨金が支払われる」と呼びかけている。
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※ 物語中に登場する美術家、美術作品、美術用語はすべて空想のものです
■2016/05/09 (Mon)
創作小説■
第12章 魔王覚醒
前回を読む
3
夜の闇が、空を覆う。西の地平線だけに、わずかな赤い色を残していた。セルタ砦の広場に、薪が積み上げられる。側に処刑用の十字が準備されている。いかめしい顔の処刑人が、黙々と仕事の準備を進めていた。
周囲を、人々が悲しい顔で取り囲んでいた。夜の静寂が包もうとしている中、砦は人々の押し殺したようなすすり泣く声で満たされていた。
兵士
「退け! 退け!」
兵士が群がる人々を鞭で押し分けながら、馬車を進めた。馬車の荷台には、腕を縛られたソフィーが座っていた。ソフィーは下着だけの格好だった。鞭での拷問を受けた後で、全身にミミズ腫れを作っていた。無気力な表情で、運命を待ち受けるようにうつむいている。
ソフィーを載せた馬車が通り過ぎていこうとすると、人々が泣き叫びながら、手を伸ばした。側で馬に乗って護衛している兵士が人々を鞭で叩き、押し留める。
ソフィーを乗せた馬車が、間もなく広場に到着した。
兵士
「早くしろ! 早くその女を殺せ!」
危機感を覚えた兵士が、馬車の進行を急がせる。
だが馬車に乗っていた兵士は、従わなかった。ソフィーを振り向くと、手に持っていた剣を抜き、その腕を縛っていたロープを切った。
兵士
「行ってください! 早く!」
兵士はソフィーの体を掴み上げると、荷台から突き落とすした。
兵士
「貴様!」
馬車の前で待ち受けていた兵士が、剣を抜いた。馬車の兵士が立ち上がって、進路を塞いだ。
ソフィーは何が起きたかわからず、混乱する。ソフィーはゆるく首を振った。
兵士
「早く逃げてください!」
広場に集まった人々が一斉に兵士に飛びかかった。「ソフィー様を救え!」と人々が声を合わせる。
唐突に起きた暴動に、ただちに駐在する兵士達が反応した。騎士団が人々に突撃する。槍の攻撃に、武器を持たず衰弱した人々が次々と薙ぎ倒される。
ソフィー
「駄目です! 抵抗しないで!」
男
「ソフィー様は逃げて!」
しかし躊躇うソフィー。
騎士団が人々を掻き分けて、ソフィーの前に飛び出してきた。騎士の顔に憤怒が浮かんでいた。槍の穂先がソフィーを狙う。
ソフィーはむしろ覚悟を受け入れた。槍を振り上げる兵士に対して、胸を差し出した。
が、突然、光が花開いた。強烈な光に、夜の闇が一瞬反転する。馬が驚いて前足を跳ね上げて、兵士を振り落とした。
人々も突然の異変に混乱する。
続いて風が起きた。ただの風ではない。風は人々の間を猛烈に吹き抜けていき、次に荒ぶる熱風となると、草むらに火柱が立ち上った。
兵士も人々も業火に包まれ翻弄される。炎はあちこちで立ち上がり、壮絶極まりない渦を作った。それは明らかに自然のものではなく、魔力のものだった。
ソフィーも何が起きたかわからず、茫然と座り込んでしまっていた。
と、目の前の炎が2つに分かれた。その向こうから、人馬が一騎飛び出す。まさに鬼神のごとし。炎を割く疾風が、ソフィーに迫った。
ソフィーは馬の前で立ち上がった。人馬はソフィーの体を抱き上げた。
ソフィー
「待って! みなさんを救わないと……」
ソフィーが訴える。
人馬は応えるように向きを変えた。持っていた剣が火を放つ。火の玉は放物線を描き、騎士団の只中に落ちた。騎士団は突然の魔法に驚き、足並みを乱した。
騎士
「魔法だ! 邪教の魔法だ!」
騎士団が慌てた声を上げる。
ソフィー
「みんな逃げて!」
ソフィーは騒乱に負けじと声を張り上げた。
人々がこれに応えて「逃げろ!」と駆け出し始めた。もはや砦の統制は失われていた。人々が逃げ出す。クロースの騎士団は突然の魔法と、逃げる人々に戸惑うばかりだった。
騎士団が、ソフィーとそれを救った人馬に狙いを定めた。
騎士
「あいつを追え! 殺せ!」
騎士団が憤怒を浮かべて馬を走らせた。
人馬は方向を変えて走らせた。素晴らしい速力だった。後を追う騎士団を一気に引き離していく。あっという間に追跡不能の距離になってしまった。人馬は沈み行く西の地平線に消えてしまった。
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■2016/05/08 (Sun)
創作小説■
第6章 イコノロギア
前回を読む
6
ダイハツ・ムーブは高速道路に入っていた。高速道路の入口は深夜にも関わらず、明るく光を放っていた。ダイハツ・ムーブはインターチェンジを登りつつ、加速した。高速道路に入ると、ダイハツ・ムーブは順調な速度で走った。
「ルリお姉ちゃん、どうなったんやろ」
ツグミは左の窓をぼんやり眺めながら、呟いた。ダイハツ・ムーブの周囲に車の陰はなく、1人きりで走っているみたいだった。単調な防音壁の風景がずっと続き、オレンジの光がゆるやかに霞んで、鬼火の炎がふわふわと浮かんでいるように見えた。この世とあの世の端境に、迷い込んでいるように見えた。
「大丈夫や。今頃はかなちゃんに引き渡され、警察に救助されたはずや。あの子なら、ちゃんとやってくれるはずや」
ヒナは、かな恵への信頼を滲ませる。「かなちゃん」というのは、もちろんかな恵のことだ。プライベートな場では、かなちゃんと呼んでいた。
ツグミはやっと安心するような気分になった。
宮川が姿を消した。コルリが救助された。ヒナが解放された……。
これで一件落着じゃないか。ツグミはそう考えて、体から力が抜けるように思えた。
「これで全部おしまいなんやね。良かったわ。これで私たち、元通りの生活ができるんやね」
ツグミは解放された気分になって、両手を組み合わせて、ゆったりと背伸びした。
「それは違うで、ツグミ。元通りにもなってへんし、終わってもない。全部きっちりと終わらせへんと、また同じ形に戻るだけや」
しかしヒナは、むしろ声と表情を厳しくした。
「何で? もう終わりでええやん」
ツグミは困惑して反論した。
ヒナは厳しい顔のまま、首を横に振った。
「終わるときはな、宮川が死ぬか、逮捕されるかのどっちかや。あいつは絶対に許されへん。あいつを警察に逮捕させるんや。それまで絶対に終わらへんからな」
ヒナの言葉がどんどん激しくなっていく。
「ヒナお姉ちゃんは、まだ諦めてへんの?」
ツグミは、怒っているヒナがちょっと恐かった。
「当たり前や! こんなところで終われるか!」
ヒナは一気に感情を爆発させた。
ツグミはびっくりして首を引っ込めた。
ヒナはすぐに我に返った。
「ごめん。ツグミに怒鳴ったんちゃうで。本当ごめん」
ヒナの顔にかすかな自己嫌悪のようなものが浮かんでいた。指の先がまだ興奮を残していて、震えていた。
ツグミはヒナが怒鳴る場面なんて初めて見た。シートベルトを締めていなかったら、飛び上がっていたところだった。
しかし、ヒナから感じたのは怒りというより、心の解放だった。ちょっと恐かったけど、もしかしたらヒナ自身は今、自身の心の解放を求めて進もうとしているのではないか、という気がした。
そんなふうに思うと、ツグミはヒナを同情したい気持ちになったし、協力しようという考えに気持ちが定まり始めた。
「でも、どうするん? もう手がかりは何もないんやろ」
ツグミはうつむいて懸念を口にした。
「川村さんや。川村さんを見付け出すんや。川村さんが現れるところに、宮川は絶対に姿を現す。川村さんが最後の手がかりや」
ヒナの言葉は攻撃的だった。そんなふうに誰かに感情を向けるヒナを、ツグミは初めて見た。
「ヒナお姉ちゃんは、川村さんに会ったことあるん?」
ツグミは個人的興味で訊いてみた。
ヒナは顔を横に振る。
「ううん。一度も。でも作品は何度も見た。全部『合奏』やったけど。あれは見事やったわ。コンピューターに取り込んで画像を重ねてみても、誤差ゼロやからな。クラクリュール(※)までぴったりや。あんなの初めて見た。あまりに精度が高すぎて、研究員が匙を投げるほどやったからな。川村さんは本物の天才やで。1回、お目に掛かりたいわ。宮川はな、川村さんが作った贋作を見破るために、ああいう設備を作ったんや。それを鑑定したのが、私なんやけど」
つまり、ヒナは宮川の犯罪に、協力させられていたわけだ。ヒナは川村への尊敬の後に、少し自嘲的になった。
「それで、真画は見つかったん?」
ツグミは川村の武勇伝でも聞いているみたいで、心地よかった。
ヒナは答える前に、1度、溜め息をついた。
「宮川はこれまでに、4枚の『合奏』を手に入れた。精確な科学鑑定の結果――全て『真画』という判定が下された。贋物を示すものが何も出てこおへんかったんや」
ヒナの溜め息は感嘆だった。ツグミも唖然とした息を漏らした。
『合奏』がすでに4枚。しかも、全て『真画』という判定が下された。とてつもない話だった。
※ クラクリュール 年月を経た絵画の表面に現れる、こまかいひび割れのこと。絵具や乾燥剤が収縮することによって発生する。自然にできるものなので、人工的に作られたひび割れと、明らかに違う状態で現れる。そのため、真贋を見分ける時に重要な役割を果たす。物語中のように、クラクリュールまで完全一致させるのは不可能。
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