■ 最新記事
(08/15)
(08/14)
(08/13)
(08/12)
(08/11)
(08/10)
(08/09)
(08/08)
(08/07)
(08/06)
■ カテゴリー
お探し記事は【記事一覧 索引】が便利です。
■2009/04/06 (Mon)
シリーズアニメ■
都市の狭間の路地に、暗い影が落ちていた。夜が深まると、路地裏から人の声も気配も遠ざかっていく。
そんな場所に、男が一人、影に潜むようにうずくまっていた。男はアメストリス軍の青い装束を身に纏い、長く伸ばした髪を頭の後ろでまとめていた。
男は静かな路地裏に一人きりでうずくまり、石畳に練成陣を描く作業を、もくもくと続けていた。
間もなく男は練成陣を描く作業を終えて、体を起こした。
そうして、周囲を見回そうとしたとき、
「いたぞ! アイザックだ!」
警戒の声が、暗い路地裏に轟いた。
アイザックは、その名前を呼ばれて、軽く舌打ちをした。
アイザック・マクドゥーガル。かつてはアメストリスの軍人であり、錬金術師であった。現役であった頃は“氷結のアイザック”の愛称で呼ばれていた男だ。
だがアイザックは、イシュヴァール殲滅作戦の後、国家錬金術師の称号を返上し、反体制運動に身を置いた。
それで、今や指名手配人物として、軍隊に追われる身になっていた。
アイザックは、路地裏の深い闇の中を、全力疾走で突き進んだ。アイザックを追い詰める足音は、確実に接近している。
と、目の前の角から、二人の軍服姿の若者が現れた。
「止まれ! 止まらんと……」
若い軍人は、拳銃を水平に構えて、警告を発した。
だがアイザックは速度を緩めなかった。アイザックは、手甲に描かれた練成陣に念を込めた。練成陣が輝きだし、腕全体に青い稲妻が走る。
突然に、氷の刃が出現した。氷の刃は路地裏を走り、二人の軍人を突き飛ばした。
アイザックはそのまま真直ぐ走り、次の細道に潜り込もうとした。
どうやら逃げ道は失いつつあるらしい。角を曲がるたびに軍人が現れ、アイザックの足を止めようとする。
次に現れたのは、壮年の軍人だった。先の若い軍人と違って、警告もなしに発砲しようとしていた。
アイザックは壮年の軍人に接近し、銃を構える腕を掴んだ。次の瞬間、兵士の動きが止まり、全身に霜が浮かび始めた。全身の血液が凍り付いて、絶命したのだ。
壮年の軍人の側に、もう一人、若い軍人がいた。だが若い兵士は、先輩兵士の死に動揺し、戦慄していた。
アイザックは、悠然ともう一人の軍人の腕を掴み、練成術を発動させた。路地裏に悲鳴が轟いたが、すぐに声の根は凍りついた。
「氷結と沸騰。水の属性だ」
ようやく追跡の気配が周囲から消えた。どうやら、軍部は手駒を失ったらしい。
アイザックは落ち着いて路地裏を後にしようとした。
が、風を切る音に振り返った。
アイザックはっと後ろに下がった。突然、頭上から槍が投げいられ、石畳に垂直に突き刺さった。
次なる刺客として現れたのは、赤いコートを身に纏った金髪の少年だった。
「ひでぇこと、するな」
金髪の少年が、ぽつりと呟いた。
「大いなる仕事を成し遂げるのだ。そのための犠牲は、等価交換という奴だ」
「そんなもんが、等価交換な訳ねえだろ」
金髪の少年は、静かに、それでも強い怒りを湛えてアイザックを睨みつけた。
金髪の少年が、両掌を合わせた。青い雷が走り、その腕で石畳に突き刺さった槍を掴んだ。雷が槍に移ると、槍は変形し、鉄の棍棒に姿を変えた。
「練成陣もなしに……」
アイザックは、にわかに動揺した。
「見惚れている暇はねえぜ」
一方の金髪の少年は棍棒を両手に構えて、腰を落とした。
アイザックは、はっと気配を感じた。直感を信じて、身を屈める。
巨人の拳が、アイザックの頭上すれすれを掠めた。背後に、鉄の鎧を身に纏った巨人が立っていた。
さらに、金髪の少年がアイザックに肉迫した。鋼鉄の棍棒が容赦なく振り下ろされる。
アイザックは棍棒を手甲で防いだ。全身に衝撃が走る。だが、アイザックは棍棒を押し返し、同時に鎧の巨人を蹴りつけて牽制した。
アイザックは間を置かず、少年の腕を掴んだ。練成術が発動して、青い稲妻が火花を散らした。
金髪の少年が悲鳴を上げて、赤いコートが弾けとんだ。
だが、少年は二、三歩ふらふらと下がっただけで、無傷だった。
「バカな。練成術をかけたはず。沸騰するはずだ」
むしろアイザックが強く動揺した。
少年のコートの袖口が、はらりと飛んだ。その下から現れたのは、銀色に輝く艶だった。
「……コートが台無しじゃねぇか」
金髪の少年はにわかに怒りの調子を強めた。少年の右腕は、鋼鉄の金属だった。
「……オートメイル。練成術を使わない、天才錬金術師の噂。オートメイルの右腕。そうか、お前が鋼の錬金術師、エドワード・エルリックか!」
エドは、ばっとコートを脱ぎ捨てた。オートメイルの右腕が剥き出しになった。
エドは、静かに闘志を燃やしてアイザックを睨みつけた。
だがアイザックは、エドの緊張を逆なでするように、にやりと表情を崩した。
「オートメイルの体。空の鎧。……そうか、お前ら、禁忌を犯したな。人体練成を犯したな!」
エドの表情に、大きな動揺が現れた。平静に維持されていた緊張は失われ、動揺と怒りが交互に現れた。
そうだ。忘れもしない少年時代。エドは大きな過ちを犯した。
死んだ母を取り戻そうと、人体と使った練成を試みたのだ。
その代償で、エドは右腕と左脚を失った。弟のアルは全身を失い、現在も虚ろな鎧に、危なげに魂を宿している。
だが、エドもアルも、まだ諦めたつもりはなかった。
いつか、健全な肉体を取り戻すんだ。
そのために、戦い続ける日々を選んだのだ。
人気アニメの新シリーズ第1回は、冒頭から激しいアクションが次々に繰り広げられていく。
国家を裏切ったアイザックと、裏に秘密を抱える軍部。
その背後で、ホムンクルスと呼ばれる組織が暗躍する。
新たな戦いは、今まさに始まろうとしていた。
作品データ
監督:入江泰浩 原作:荒川弘
脚本:大野木寛 音楽:千住明 主題歌:YUI シド
作画監督:永作友克 美術監督:佐藤豪志 色彩設計:中尾総子
キャラクターデザイン:菅野宏紀 美術デザイン:金平和茂
路地デザイン:toi8 練成陣デザイン:荒牧伸志
アニメーション制作:ボンズ
出演:朴璐美 釘宮理恵 山寺宏一 柴田秀勝
三木眞一郎 藤原啓治 内海賢二 折笠富美子
吉野裕行 井上喜久子
そんな場所に、男が一人、影に潜むようにうずくまっていた。男はアメストリス軍の青い装束を身に纏い、長く伸ばした髪を頭の後ろでまとめていた。
男は静かな路地裏に一人きりでうずくまり、石畳に練成陣を描く作業を、もくもくと続けていた。
間もなく男は練成陣を描く作業を終えて、体を起こした。
そうして、周囲を見回そうとしたとき、
「いたぞ! アイザックだ!」
警戒の声が、暗い路地裏に轟いた。
アイザックは、その名前を呼ばれて、軽く舌打ちをした。
アイザック・マクドゥーガル。かつてはアメストリスの軍人であり、錬金術師であった。現役であった頃は“氷結のアイザック”の愛称で呼ばれていた男だ。
だがアイザックは、イシュヴァール殲滅作戦の後、国家錬金術師の称号を返上し、反体制運動に身を置いた。
それで、今や指名手配人物として、軍隊に追われる身になっていた。
アイザックは、路地裏の深い闇の中を、全力疾走で突き進んだ。アイザックを追い詰める足音は、確実に接近している。
と、目の前の角から、二人の軍服姿の若者が現れた。
「止まれ! 止まらんと……」
若い軍人は、拳銃を水平に構えて、警告を発した。
だがアイザックは速度を緩めなかった。アイザックは、手甲に描かれた練成陣に念を込めた。練成陣が輝きだし、腕全体に青い稲妻が走る。
突然に、氷の刃が出現した。氷の刃は路地裏を走り、二人の軍人を突き飛ばした。
アイザックはそのまま真直ぐ走り、次の細道に潜り込もうとした。
どうやら逃げ道は失いつつあるらしい。角を曲がるたびに軍人が現れ、アイザックの足を止めようとする。
次に現れたのは、壮年の軍人だった。先の若い軍人と違って、警告もなしに発砲しようとしていた。
アイザックは壮年の軍人に接近し、銃を構える腕を掴んだ。次の瞬間、兵士の動きが止まり、全身に霜が浮かび始めた。全身の血液が凍り付いて、絶命したのだ。
壮年の軍人の側に、もう一人、若い軍人がいた。だが若い兵士は、先輩兵士の死に動揺し、戦慄していた。
アイザックは、悠然ともう一人の軍人の腕を掴み、練成術を発動させた。路地裏に悲鳴が轟いたが、すぐに声の根は凍りついた。
「氷結と沸騰。水の属性だ」
ようやく追跡の気配が周囲から消えた。どうやら、軍部は手駒を失ったらしい。
アイザックは落ち着いて路地裏を後にしようとした。
が、風を切る音に振り返った。
アイザックはっと後ろに下がった。突然、頭上から槍が投げいられ、石畳に垂直に突き刺さった。
次なる刺客として現れたのは、赤いコートを身に纏った金髪の少年だった。
「ひでぇこと、するな」
金髪の少年が、ぽつりと呟いた。
「大いなる仕事を成し遂げるのだ。そのための犠牲は、等価交換という奴だ」
「そんなもんが、等価交換な訳ねえだろ」
金髪の少年は、静かに、それでも強い怒りを湛えてアイザックを睨みつけた。
金髪の少年が、両掌を合わせた。青い雷が走り、その腕で石畳に突き刺さった槍を掴んだ。雷が槍に移ると、槍は変形し、鉄の棍棒に姿を変えた。
「練成陣もなしに……」
アイザックは、にわかに動揺した。
「見惚れている暇はねえぜ」
一方の金髪の少年は棍棒を両手に構えて、腰を落とした。
アイザックは、はっと気配を感じた。直感を信じて、身を屈める。
巨人の拳が、アイザックの頭上すれすれを掠めた。背後に、鉄の鎧を身に纏った巨人が立っていた。
さらに、金髪の少年がアイザックに肉迫した。鋼鉄の棍棒が容赦なく振り下ろされる。
アイザックは棍棒を手甲で防いだ。全身に衝撃が走る。だが、アイザックは棍棒を押し返し、同時に鎧の巨人を蹴りつけて牽制した。
アイザックは間を置かず、少年の腕を掴んだ。練成術が発動して、青い稲妻が火花を散らした。
金髪の少年が悲鳴を上げて、赤いコートが弾けとんだ。
だが、少年は二、三歩ふらふらと下がっただけで、無傷だった。
「バカな。練成術をかけたはず。沸騰するはずだ」
むしろアイザックが強く動揺した。
少年のコートの袖口が、はらりと飛んだ。その下から現れたのは、銀色に輝く艶だった。
「……コートが台無しじゃねぇか」
金髪の少年はにわかに怒りの調子を強めた。少年の右腕は、鋼鉄の金属だった。
「……オートメイル。練成術を使わない、天才錬金術師の噂。オートメイルの右腕。そうか、お前が鋼の錬金術師、エドワード・エルリックか!」
エドは、ばっとコートを脱ぎ捨てた。オートメイルの右腕が剥き出しになった。
エドは、静かに闘志を燃やしてアイザックを睨みつけた。
だがアイザックは、エドの緊張を逆なでするように、にやりと表情を崩した。
「オートメイルの体。空の鎧。……そうか、お前ら、禁忌を犯したな。人体練成を犯したな!」
エドの表情に、大きな動揺が現れた。平静に維持されていた緊張は失われ、動揺と怒りが交互に現れた。
そうだ。忘れもしない少年時代。エドは大きな過ちを犯した。
死んだ母を取り戻そうと、人体と使った練成を試みたのだ。
その代償で、エドは右腕と左脚を失った。弟のアルは全身を失い、現在も虚ろな鎧に、危なげに魂を宿している。
だが、エドもアルも、まだ諦めたつもりはなかった。
いつか、健全な肉体を取り戻すんだ。
そのために、戦い続ける日々を選んだのだ。
人気アニメの新シリーズ第1回は、冒頭から激しいアクションが次々に繰り広げられていく。
国家を裏切ったアイザックと、裏に秘密を抱える軍部。
その背後で、ホムンクルスと呼ばれる組織が暗躍する。
新たな戦いは、今まさに始まろうとしていた。
作品データ
監督:入江泰浩 原作:荒川弘
脚本:大野木寛 音楽:千住明 主題歌:YUI シド
作画監督:永作友克 美術監督:佐藤豪志 色彩設計:中尾総子
キャラクターデザイン:菅野宏紀 美術デザイン:金平和茂
路地デザイン:toi8 練成陣デザイン:荒牧伸志
アニメーション制作:ボンズ
出演:朴璐美 釘宮理恵 山寺宏一 柴田秀勝
三木眞一郎 藤原啓治 内海賢二 折笠富美子
吉野裕行 井上喜久子
PR
■2009/04/05 (Sun)
シリーズアニメ■
そこでは、見上げると大きな月が浮かんでいるのが見えた。
汚濁にまみれたアースダッシュと違って、月には近代的な都市が広がり、いつも華やかなイルミネーションが輝いていた。
アースダッシュに住む人々はみんな貧しく、いつかあの月面都市に住む未来に憧れていた。
アースダッシュのある街で、ビッグフット・バスケの試合が始まろうとしていた。街の住人たちは、街頭テレビに集り、ビッグフット・バスケの始まりを待っていた。
そんな興奮状態の街を、ずっと背後から、冷たい目で見ている少年がいた。キックボードに乗ったダンだった。
今まさにビッグフット・バスケが始まるその時、ダンは、キックボードに乗って走り始める。
ダンはバスケットボールでドリブルしつつ、街を疾走する。
街頭テレビに一気に肉迫し、バスケットボールでディスプレイを破壊する。
すぐに警光灯を載せたビッグフットが殺到した。
だがダンは軽やかに警察ビッグフットの手を交わし、街を疾走していく。
すぐに警察はダンを見失い、ビッグフットも故障して追跡不能になってしまう。
主人公ダン(左)は、妹ココ(右)のためにビッグフットを街から追い出そうと考えているが、妹は無感情に兄のダンを批判している。どうやら、本当に無関心のようだ。
街頭テレビを破壊し、ビッグフットを侮辱する。
ダンは、ビッグフットが大嫌いだった。さらにビッグフット・バスケはもっと嫌いだった。
かつてダンの妹ココが、ビッグフットに踏まれて、ひどい怪我を負ったからだ。以来、ココは足が自由に動かなくなり、車椅子で生活している。
ダンはビッグフットを心底憎み、ビッグフットをこの世から消し去る方法を考えていた。
そんなダンの前に、謎の美少女セラが現れる。
セラはダンの手を引き、ビッグフットのコクピットに載せる。
ダンの前に、謎の美少女セラが現れる。ダンはセラからビックフットを操縦を学び、ビッグフットの試合に乱入を思いつく……。キャラクターは子供アニメふうだが、一部の描写は、ひどく性的に描かれている。いかにも、一定の男性層を狙った演出だ。
宇宙のどこかのにあるかもしれない、どこかの惑星の物語だ。
アース・ダッシュと呼ばれるそこでは、文化の中心はビッグフットと呼ばれるロボットが演じるバスケットボールであり、誰もがビッグフット・バスケに注目し、熱狂していた。
主人公ダンははじめはビッグフットを憎んでいたが、やがて天性の才能を見出され、ビッグフット・バスケにのめりこんでいく。
テレビアニメーションではありがちな熱血スポーツ・アニメをSF的異世界に置き換えた作品だ。
世界観の構築方法と主人公の描き方は、典型的な熱血アニメにありがちなスタイルだが、ロボットを交えたアクションはなかなか新鮮だ。
物語はわかりやすいが、退屈でもある。日本人は飛躍したものより、“お約束”を求める傾向がある。海外進出を前提としているが、西洋人なら日本のアニメを何でも買ってくれると思わないほうがいい。“お約束”だけを続けていたら、西洋人でも飽きる。
『バスカッシュ!』の映像は美しく、特に色彩感覚は優れた感性で描かれている。
街のディティールは細部まで描かれ、夥しい数の落書きすら様式的に描かれている。
だが、描かれているもの自体に飛躍したものはなく、ありきたりな物ばかり集められてレイヤリングされている。
映像の新鮮さは、詳細に描かれた背景にはなく、大胆にレイヤリングされた近代都市の風景と、ロボットアクションの側にある。
作画の精度も非常に高く、アニメ全体を通して、疾走するような躍動感がある。
イメージ自体はありきたりだが、ビッグフットを交えたアクションはなかなか豪快で見所はある作品だ。
作品データ
監督:板垣伸 原作:河森正治 ロマン・トラ サテライト
脚本:佐藤竜雄 キャラクターデザイン:吉松孝博 SUEZEN そえたかずひろ
メカ・コンセプトデザイン・美術監督:ロマン・トラ
デジタル・ディレクター:原田丈 色彩設計:久保田裕一
音楽:吉川慶 シューズデザイン協力:NIKE
アニメーション制作:サテライト
出演:下野紘 伊藤静 中村悠一 花澤香菜
釘宮理恵 小林由美子 遠藤綾 津田健次郎
汚濁にまみれたアースダッシュと違って、月には近代的な都市が広がり、いつも華やかなイルミネーションが輝いていた。
アースダッシュに住む人々はみんな貧しく、いつかあの月面都市に住む未来に憧れていた。
アースダッシュのある街で、ビッグフット・バスケの試合が始まろうとしていた。街の住人たちは、街頭テレビに集り、ビッグフット・バスケの始まりを待っていた。
そんな興奮状態の街を、ずっと背後から、冷たい目で見ている少年がいた。キックボードに乗ったダンだった。
今まさにビッグフット・バスケが始まるその時、ダンは、キックボードに乗って走り始める。
ダンはバスケットボールでドリブルしつつ、街を疾走する。
街頭テレビに一気に肉迫し、バスケットボールでディスプレイを破壊する。
すぐに警光灯を載せたビッグフットが殺到した。
だがダンは軽やかに警察ビッグフットの手を交わし、街を疾走していく。
すぐに警察はダンを見失い、ビッグフットも故障して追跡不能になってしまう。
主人公ダン(左)は、妹ココ(右)のためにビッグフットを街から追い出そうと考えているが、妹は無感情に兄のダンを批判している。どうやら、本当に無関心のようだ。
街頭テレビを破壊し、ビッグフットを侮辱する。
ダンは、ビッグフットが大嫌いだった。さらにビッグフット・バスケはもっと嫌いだった。
かつてダンの妹ココが、ビッグフットに踏まれて、ひどい怪我を負ったからだ。以来、ココは足が自由に動かなくなり、車椅子で生活している。
ダンはビッグフットを心底憎み、ビッグフットをこの世から消し去る方法を考えていた。
そんなダンの前に、謎の美少女セラが現れる。
セラはダンの手を引き、ビッグフットのコクピットに載せる。
ダンの前に、謎の美少女セラが現れる。ダンはセラからビックフットを操縦を学び、ビッグフットの試合に乱入を思いつく……。キャラクターは子供アニメふうだが、一部の描写は、ひどく性的に描かれている。いかにも、一定の男性層を狙った演出だ。
宇宙のどこかのにあるかもしれない、どこかの惑星の物語だ。
アース・ダッシュと呼ばれるそこでは、文化の中心はビッグフットと呼ばれるロボットが演じるバスケットボールであり、誰もがビッグフット・バスケに注目し、熱狂していた。
主人公ダンははじめはビッグフットを憎んでいたが、やがて天性の才能を見出され、ビッグフット・バスケにのめりこんでいく。
テレビアニメーションではありがちな熱血スポーツ・アニメをSF的異世界に置き換えた作品だ。
世界観の構築方法と主人公の描き方は、典型的な熱血アニメにありがちなスタイルだが、ロボットを交えたアクションはなかなか新鮮だ。
物語はわかりやすいが、退屈でもある。日本人は飛躍したものより、“お約束”を求める傾向がある。海外進出を前提としているが、西洋人なら日本のアニメを何でも買ってくれると思わないほうがいい。“お約束”だけを続けていたら、西洋人でも飽きる。
『バスカッシュ!』の映像は美しく、特に色彩感覚は優れた感性で描かれている。
街のディティールは細部まで描かれ、夥しい数の落書きすら様式的に描かれている。
だが、描かれているもの自体に飛躍したものはなく、ありきたりな物ばかり集められてレイヤリングされている。
映像の新鮮さは、詳細に描かれた背景にはなく、大胆にレイヤリングされた近代都市の風景と、ロボットアクションの側にある。
作画の精度も非常に高く、アニメ全体を通して、疾走するような躍動感がある。
イメージ自体はありきたりだが、ビッグフットを交えたアクションはなかなか豪快で見所はある作品だ。
作品データ
監督:板垣伸 原作:河森正治 ロマン・トラ サテライト
脚本:佐藤竜雄 キャラクターデザイン:吉松孝博 SUEZEN そえたかずひろ
メカ・コンセプトデザイン・美術監督:ロマン・トラ
デジタル・ディレクター:原田丈 色彩設計:久保田裕一
音楽:吉川慶 シューズデザイン協力:NIKE
アニメーション制作:サテライト
出演:下野紘 伊藤静 中村悠一 花澤香菜
釘宮理恵 小林由美子 遠藤綾 津田健次郎
■2009/04/01 (Wed)
劇場アニメ■
エンラッドの王は、「手紙を片付けたい」と重臣たちと別れ、自室への階段を昇った。
国に、不吉な影が迫りつつある。
土地は痩せて、原因不明の病が流行し、魔術師たちに魔法の力が失われてしまった。
それに、竜が東世界に現れたという報告もある。
何かが起きつつある。何もかもが、大きな災いへの前兆だ。
エンラッドの王は、考えに沈みながら階段を昇り、静かな廊下に出た。
廊下には、歴代の王達を象った像がいくつも並んでいる。
エンラッドの王は、自室へ向かおうとしたが、なにかの気配を感じて振り返った。
国の危機に、父祖の霊が語りかけようとしているのか。
「まさかな」
エンラッドの王は自分の空想に、苦笑いした。
よほど気が病んでいるらしい。考えすぎだ。
エンラッドの王は、気を取り直して、自室のドアを振り返った。
そのとき、はっきりと気配を感じた。
何奴!
だが、遅かった。賊の剣は、王の胸を深く刺していた。
エンラッドの王は、呻き声を漏らしながら、膝をついた。
体から、力が抜ける。指先が冷たくなって震える。
何者だ。エンラッドの王は、意識を失う前に、賊の姿を確認しようと顔を上げた。そして、驚愕に凍りついた。
「……アレン」
賊ではなかった。息子のアレンだった。
父と子の葛藤。宮崎吾郎監督は否定するが、明らかに宮崎駿と宮崎吾郎そのものだ。父と子というテーマを正面に出さず、テレビで連呼されるような通俗的なテーマを装ったことが、映画の失敗の原因だ。言葉が、身から出てきていない。
王族の息子に、幸福は望めない。
生まれながらにして、大きな財力と権力が約束されているが、その代償に自由を失う。
いわば“原罪”である。
著名人の息子に生まれるのも、同じ理由で不幸だ。
その父親が、もし宮崎駿であった場合、原罪の力はどこまでも重くなる。
宮崎吾郎の不運は、美術史上に残る天才の息子に生まれた時点で、すでに始まっていた。
『ゲド戦記』の風景は、クロード・ロランの絵からヒントを得ているが、もっとも参考とされているのは、もちろん父親、宮崎駿作品からだ。ここにも、父と子という対比構図が現れてきている。
『ゲド戦記』は、父親殺しから物語が始まる。
だが、アレンから父殺しの明確な動機は、一切語られない。
何かわからない、体内に眠る暗くておぞましいものが、アレンを理由もなく死の衝動に掻き立てて、実行に至らせたのだ。
アレンは平常でいるときは、社交的で、気の弱い青年として描かれている。
一方で打ち明けられない深層では、強い絶望を一人きりで抱えている。
アレンは孤独と絶望とを、一人で抱え、両極端の死の衝動に常に心を引き裂かれているのだ。
アレンは父親を殺して王宮を脱出した。
そんなアレンの前に現れるハイタカは、やはりアレンにとっての父親だ。
アレンは、どんなに早く走っても、遠くまで旅をしても、父親という幻想から抜け出られないのだ。
『ゲド戦記』は結局は素人映画だ。構図やカメラの動きは単調だし、効果を理解していない。物語つくりも理解していない。見よう見まねで、物真似をして見せただけだ。
『ゲド戦記』に描かれた情景は、どれも素晴らしく美しい。
宮崎吾郎は美術教育を一切受けていないとされているが、だとしたら驚嘆すべき感性と描写能力だ。
空間の描き方や、デッサン力。
それら基礎能力は、美術家として数十年、修練を受けた学生の能力を軽く匹敵している。
宮崎吾郎は、生まれながらにして、父の才能の一部を受け継いでいるのだ。
押井守は、『ゲド戦記』に理解を示し(半ば同情に近い)、通俗的な説教文句が羅列する映画の背景にある、“父と子”のテーマを抜き出し、容赦のない解釈を加える。宮崎吾郎自身、自分の体内に持っているテーマに気付けばよかった。
だが、エンターティメントの映画監督としては、あまりにも未熟すぎる。
物語はあまりにも平坦で連続性が弱く、観客に対する配慮が何もできていない。
解説的な台詞が多い一方で、テーマは薄っぺらで、通俗的な説教文句をただ並べただけという印象が付きまとう。
情景は丁寧に描かれているが、映像や演技で何か伝えようという努力がどこにも見えてこない。
物語に、宮崎吾郎自身の力と経験で得た哲学らしきものを感じる瞬間がなく、それがひどく幼稚な映画という印象に貶めている。
もっといけないのが、登場人物たちが、なに一つ困難に直面しないことだ。
敵に取り囲まれても、あまりにも強すぎる力で一瞬のうちに撃退してしまうし、アレンは奴隷にされてしまうが、簡単に救出されてしまう。
後ろ手に縛られたテナーは、何の苦労もなくロープからすり抜けてしまう。
手に汗を握る危機一髪の瞬間、というものが一切ないのだ。
観客は拍子抜けなのを通り越して、白ける。
大きな困難として描かれているのは、影に付きまとわれるアレンだが、肝心の影は観客に見えないし、感じることもできない。
これでは、滑稽な一人芝居にしか見えず、喜劇にしか見えなくなる。
何もかもが、作品を薄っぺらにしてしまっている。
芸術というのは、芸術家の体内から生み出さねばならない。そのためには机にすがりついて、ひたすら描き続けねばならない。宮崎吾郎もそんな機会があればよかった。だが、周囲が宮崎吾郎を振り回し、彼から修行の機会を奪っている。
最初の映画には、その映画監督の最もプリミティブな部分が現れる。
『ゲド戦記』を描いた宮崎吾郎には、間違いなくカットを構築する才能と能力を持っている。
だが、あまりにも現場での経験が不足していた。
普通の映画監督は、初めての監督作品でも、それに至るまでに映像の現場で経験を積むといった前段階があるはずだ。
宮崎吾郎は、何もかも順序を間違えたまま、映画監督として持ち上げられてしまった。
『ゲド戦記』は、宮崎駿の息子が監督するということで、あまりにも衆目の目にさらされすぎた映画だった。
本当ならば、もっと静かなところで、順序だてて経験をつむはずだった。
だが、宮崎駿の息子に生まれたという時点で、そんなチャンスすら許されないのだ。
作品データ
監督・脚本・絵コンテ:宮崎吾郎 原作:アーシュラ・K・ル=グウィン
脚本:丹羽圭子 作画監督:稲村武志 美術監督:武重洋二
音楽:寺島民哉 色彩設計:保田道世
プロデューサー:鈴木敏夫
アニメーション制作:スタジオジブリ
出演:岡田准一 手嶌葵 菅原文太 田中裕子
香川照之 風吹ジュン 内藤剛志
倍賞美津子 夏川結衣 小林薫
国に、不吉な影が迫りつつある。
土地は痩せて、原因不明の病が流行し、魔術師たちに魔法の力が失われてしまった。
それに、竜が東世界に現れたという報告もある。
何かが起きつつある。何もかもが、大きな災いへの前兆だ。
エンラッドの王は、考えに沈みながら階段を昇り、静かな廊下に出た。
廊下には、歴代の王達を象った像がいくつも並んでいる。
エンラッドの王は、自室へ向かおうとしたが、なにかの気配を感じて振り返った。
国の危機に、父祖の霊が語りかけようとしているのか。
「まさかな」
エンラッドの王は自分の空想に、苦笑いした。
よほど気が病んでいるらしい。考えすぎだ。
エンラッドの王は、気を取り直して、自室のドアを振り返った。
そのとき、はっきりと気配を感じた。
何奴!
だが、遅かった。賊の剣は、王の胸を深く刺していた。
エンラッドの王は、呻き声を漏らしながら、膝をついた。
体から、力が抜ける。指先が冷たくなって震える。
何者だ。エンラッドの王は、意識を失う前に、賊の姿を確認しようと顔を上げた。そして、驚愕に凍りついた。
「……アレン」
賊ではなかった。息子のアレンだった。
父と子の葛藤。宮崎吾郎監督は否定するが、明らかに宮崎駿と宮崎吾郎そのものだ。父と子というテーマを正面に出さず、テレビで連呼されるような通俗的なテーマを装ったことが、映画の失敗の原因だ。言葉が、身から出てきていない。
王族の息子に、幸福は望めない。
生まれながらにして、大きな財力と権力が約束されているが、その代償に自由を失う。
いわば“原罪”である。
著名人の息子に生まれるのも、同じ理由で不幸だ。
その父親が、もし宮崎駿であった場合、原罪の力はどこまでも重くなる。
宮崎吾郎の不運は、美術史上に残る天才の息子に生まれた時点で、すでに始まっていた。
『ゲド戦記』の風景は、クロード・ロランの絵からヒントを得ているが、もっとも参考とされているのは、もちろん父親、宮崎駿作品からだ。ここにも、父と子という対比構図が現れてきている。
『ゲド戦記』は、父親殺しから物語が始まる。
だが、アレンから父殺しの明確な動機は、一切語られない。
何かわからない、体内に眠る暗くておぞましいものが、アレンを理由もなく死の衝動に掻き立てて、実行に至らせたのだ。
アレンは平常でいるときは、社交的で、気の弱い青年として描かれている。
一方で打ち明けられない深層では、強い絶望を一人きりで抱えている。
アレンは孤独と絶望とを、一人で抱え、両極端の死の衝動に常に心を引き裂かれているのだ。
アレンは父親を殺して王宮を脱出した。
そんなアレンの前に現れるハイタカは、やはりアレンにとっての父親だ。
アレンは、どんなに早く走っても、遠くまで旅をしても、父親という幻想から抜け出られないのだ。
『ゲド戦記』は結局は素人映画だ。構図やカメラの動きは単調だし、効果を理解していない。物語つくりも理解していない。見よう見まねで、物真似をして見せただけだ。
『ゲド戦記』に描かれた情景は、どれも素晴らしく美しい。
宮崎吾郎は美術教育を一切受けていないとされているが、だとしたら驚嘆すべき感性と描写能力だ。
空間の描き方や、デッサン力。
それら基礎能力は、美術家として数十年、修練を受けた学生の能力を軽く匹敵している。
宮崎吾郎は、生まれながらにして、父の才能の一部を受け継いでいるのだ。
押井守は、『ゲド戦記』に理解を示し(半ば同情に近い)、通俗的な説教文句が羅列する映画の背景にある、“父と子”のテーマを抜き出し、容赦のない解釈を加える。宮崎吾郎自身、自分の体内に持っているテーマに気付けばよかった。
だが、エンターティメントの映画監督としては、あまりにも未熟すぎる。
物語はあまりにも平坦で連続性が弱く、観客に対する配慮が何もできていない。
解説的な台詞が多い一方で、テーマは薄っぺらで、通俗的な説教文句をただ並べただけという印象が付きまとう。
情景は丁寧に描かれているが、映像や演技で何か伝えようという努力がどこにも見えてこない。
物語に、宮崎吾郎自身の力と経験で得た哲学らしきものを感じる瞬間がなく、それがひどく幼稚な映画という印象に貶めている。
もっといけないのが、登場人物たちが、なに一つ困難に直面しないことだ。
敵に取り囲まれても、あまりにも強すぎる力で一瞬のうちに撃退してしまうし、アレンは奴隷にされてしまうが、簡単に救出されてしまう。
後ろ手に縛られたテナーは、何の苦労もなくロープからすり抜けてしまう。
手に汗を握る危機一髪の瞬間、というものが一切ないのだ。
観客は拍子抜けなのを通り越して、白ける。
大きな困難として描かれているのは、影に付きまとわれるアレンだが、肝心の影は観客に見えないし、感じることもできない。
これでは、滑稽な一人芝居にしか見えず、喜劇にしか見えなくなる。
何もかもが、作品を薄っぺらにしてしまっている。
芸術というのは、芸術家の体内から生み出さねばならない。そのためには机にすがりついて、ひたすら描き続けねばならない。宮崎吾郎もそんな機会があればよかった。だが、周囲が宮崎吾郎を振り回し、彼から修行の機会を奪っている。
最初の映画には、その映画監督の最もプリミティブな部分が現れる。
『ゲド戦記』を描いた宮崎吾郎には、間違いなくカットを構築する才能と能力を持っている。
だが、あまりにも現場での経験が不足していた。
普通の映画監督は、初めての監督作品でも、それに至るまでに映像の現場で経験を積むといった前段階があるはずだ。
宮崎吾郎は、何もかも順序を間違えたまま、映画監督として持ち上げられてしまった。
『ゲド戦記』は、宮崎駿の息子が監督するということで、あまりにも衆目の目にさらされすぎた映画だった。
本当ならば、もっと静かなところで、順序だてて経験をつむはずだった。
だが、宮崎駿の息子に生まれたという時点で、そんなチャンスすら許されないのだ。
作品データ
監督・脚本・絵コンテ:宮崎吾郎 原作:アーシュラ・K・ル=グウィン
脚本:丹羽圭子 作画監督:稲村武志 美術監督:武重洋二
音楽:寺島民哉 色彩設計:保田道世
プロデューサー:鈴木敏夫
アニメーション制作:スタジオジブリ
出演:岡田准一 手嶌葵 菅原文太 田中裕子
香川照之 風吹ジュン 内藤剛志
倍賞美津子 夏川結衣 小林薫
■2009/03/31 (Tue)
シリーズアニメ■
4時間目の授業も終わり、お弁当の時間がやってきた。一橋ゆりえは卵焼きをはむはむと食べる。
「光恵ちゃん。あたし、神様になっちゃった」
四条光恵は、特に感動したふうでもなく、ハッピー牛乳のパックにストローを差し込む。
「なんの?」
「わかんない。昨日の夜、なったばかりだから」
光恵は、それとなく自分の弁当から、パセリを箸でつまみ、ゆりえのお弁当に載せる。
「お供え」
「いらな~い」
「神様が好き嫌いしちゃ、駄目でしょ」
光恵は、淡々と嗜める。ゆりえは光恵を上目遣いにしつつ、溜め息をついた。
「信じてないでしょ、光恵ちゃん。……私もね、なった限りには、自分が何の神様か、知っておきたいんだ。でも、どうしたらいいのかな」
すると、突然にクラスメイトの女の子が、椅子ごとゆりえの側に飛んできた。
「今、神様の話してたわね、一橋ゆりえさん。いえ、ゆりえと呼ばせてもらうわ」
「三枝祀さん?」
祀は物凄い勢いで、ゆりえに迫ってきた。ゆりえは、祀がちょっと恐いみたいな気持ちになって、身を引いた。
お弁当を食べ終わると、祀はゆりえの手を引いて、学校の屋上へと駆け上った。その後を、光恵が追いかけてくる。
「なんで、屋上?」
思い切り走ってきたから、ゆりえは肩を揺らしてはあはあと息をした。
「人目があると、恥ずかしいからよ」
「恥ずかしいことをするの、私?」
ゆりえはおずおずと祀に目を向けた。ゆりえも光恵も息を切らしているのに、祀だけは元気にすっくと仁王立ちにしていた。
「ねえ、ゆりえ。こんな伝説知っている? 風が強い日、この屋上で告白すると、その恋は絶対に実るんだって」
「本当に!」
ゆりえは思わず、身を乗り出した。祀は、ふふん、と笑って頷く。
ゆりえは、すぐに二宮くんの姿を頭に浮かべた。二宮健児。この中学で唯一の書道部。周りは変な人とか言うけど、私は絶対、天才だと思う。
ゆりえは、俄然、気合が入って、屋上の広場に仁王立ちになった。
「でも、どうやって風を起こすの?」
「想いを込めて、呪文を唱えるの」
祀は、当たり前みたいに結論を出した。ゆりえは一度頷いて、正面を向いた。が、
「でも、なんて言うの?」
「神様で中学生なんだし“かみちゅ”でいいんじゃない」
祀は特に深く考えるふうもなく、さらっと言った。
「なんか、ヘン」
ゆりえは、なんとなく祀が疑わしくなって、上目遣いに睨んだ」
「とりあえずよ。ほら、ラヴな想いこめて、やって!」
ゆりえは促されるままに頷いて、今度こそ正面を振り向いた。きっと体に力を込めて、思い切り息を吸い込んだ。
「か~み~ちゅ~!」
物語の舞台となっているのは1980年代だ。80年代のアイドル映画風に描きたかったようだ。各話のサブタイトルも、アイドルの歌曲から取られている。制作者たちにとって、ノスタルジー的な思いを抱ける年代だから、80年代が描かれることになったそうだ。
『かみちゅ!』が舞台とするのは、広島県尾道市だ。
尾道市は、映画作りのロケーションとして、最高の場所だ。
街全体が急斜面になっていて階段が多く、どこに立っても眺めのいい瀬戸内の内海を見下ろすことができる。
街の風景は、数十年前から時が止まったように、古い建築が時の流れを背負って建っている。
この街で、何本もの映画が制作され、現在でも映画撮影に欠かせない場所だ。
『かみちゅ!』に描かれた背景には、常にパースの塊ともいうべき尾道市の風景が描かれ、日常の空間が充実している。
作品の不思議な穏やかさと尾道の風景は、素晴らしい感性で調和してる。
尾道の風景は、どこにカメラを向けても独特の空気を炙り出す。何度も映画撮影に利用された場所だが、その魅力は今も失われていない。路地裏に分け入り、地元の人でも知らない風景が見付かる時があるのが、尾道の魅力だ。
主人公である一橋ゆりえは、物語の冒頭で、突然に神様宣言する。
だが、どうして神様になったのか。だからといって何なのか?
そういった解説は何一つ説明されないし、神様なのに、ゆりえはあまりにも幼く、あまりにも頼りなげで、気弱に描かれている。
神様だから、と超常的な力に目覚めるわけでもない。
ただ、物語の進行していくと、描きこまれた尾道市の日常空間に、奇妙な妖怪やもののけ達が姿を見せ始めてくる。
そういった妖怪たちも特別何か悪さするわけでもなく、ゆりえとなにか対立を見せるわけでもない。
ただ物語中に描きこまれた日常世界に、穏やかに共存するだけだ。
物語中の少女たちはフェティッシュの感性で描かれている。どのキャラクターも素行優良で、目が大きく、愛らしい。フェテッシュ・アニメとして極めて完成度が高い。カットの一つ一つは、額に入れて飾りたいくらいだ。
注目すべきは、キャラクター達の演技である。
近年の、クロースアップを並べただけの一般的なアニメと比較すると、『かみちゅ!』でのキャラクターは流麗に動き、呼吸している。
どの動きも少女達の心情を表現するかのように、繊細だし、立体的に構成され、現実感を強めている。
制作者達の少女へのフェテッシュは、ノスタルジックな思いを込めて、強烈な強さで描かれている。
少女たちも、あの時間が静止したかのような風景も、何もかもが懐かしい。
そんな懐かしさと、少女への偏執的な愛とが、強力に交じり合って作られたアニメーションだ。
作品データ
監督・絵コンテ:舛成孝二 脚本:倉田英之
企画:竹内成和 原作:ベサメムーチョ
キャラクター原案:羽音たらく キャラクターデザイン:千葉祟洋
プロダクションデザイン:okama
作画監督:千葉祟洋 美術:渋谷幸弘
色彩設計:歌川律子 音楽:池頼広
アニメーション制作:ブレインズ・ベース
出演:MAKO 峰香織 森永理科 野中藍
宮崎一成 岡野浩介 斉藤千和 津村まこと
星野充昭 伊藤美紀 杉山紀彰 岩尾万太郎
「光恵ちゃん。あたし、神様になっちゃった」
四条光恵は、特に感動したふうでもなく、ハッピー牛乳のパックにストローを差し込む。
「なんの?」
「わかんない。昨日の夜、なったばかりだから」
光恵は、それとなく自分の弁当から、パセリを箸でつまみ、ゆりえのお弁当に載せる。
「お供え」
「いらな~い」
「神様が好き嫌いしちゃ、駄目でしょ」
光恵は、淡々と嗜める。ゆりえは光恵を上目遣いにしつつ、溜め息をついた。
「信じてないでしょ、光恵ちゃん。……私もね、なった限りには、自分が何の神様か、知っておきたいんだ。でも、どうしたらいいのかな」
すると、突然にクラスメイトの女の子が、椅子ごとゆりえの側に飛んできた。
「今、神様の話してたわね、一橋ゆりえさん。いえ、ゆりえと呼ばせてもらうわ」
「三枝祀さん?」
祀は物凄い勢いで、ゆりえに迫ってきた。ゆりえは、祀がちょっと恐いみたいな気持ちになって、身を引いた。
お弁当を食べ終わると、祀はゆりえの手を引いて、学校の屋上へと駆け上った。その後を、光恵が追いかけてくる。
「なんで、屋上?」
思い切り走ってきたから、ゆりえは肩を揺らしてはあはあと息をした。
「人目があると、恥ずかしいからよ」
「恥ずかしいことをするの、私?」
ゆりえはおずおずと祀に目を向けた。ゆりえも光恵も息を切らしているのに、祀だけは元気にすっくと仁王立ちにしていた。
「ねえ、ゆりえ。こんな伝説知っている? 風が強い日、この屋上で告白すると、その恋は絶対に実るんだって」
「本当に!」
ゆりえは思わず、身を乗り出した。祀は、ふふん、と笑って頷く。
ゆりえは、すぐに二宮くんの姿を頭に浮かべた。二宮健児。この中学で唯一の書道部。周りは変な人とか言うけど、私は絶対、天才だと思う。
ゆりえは、俄然、気合が入って、屋上の広場に仁王立ちになった。
「でも、どうやって風を起こすの?」
「想いを込めて、呪文を唱えるの」
祀は、当たり前みたいに結論を出した。ゆりえは一度頷いて、正面を向いた。が、
「でも、なんて言うの?」
「神様で中学生なんだし“かみちゅ”でいいんじゃない」
祀は特に深く考えるふうもなく、さらっと言った。
「なんか、ヘン」
ゆりえは、なんとなく祀が疑わしくなって、上目遣いに睨んだ」
「とりあえずよ。ほら、ラヴな想いこめて、やって!」
ゆりえは促されるままに頷いて、今度こそ正面を振り向いた。きっと体に力を込めて、思い切り息を吸い込んだ。
「か~み~ちゅ~!」
物語の舞台となっているのは1980年代だ。80年代のアイドル映画風に描きたかったようだ。各話のサブタイトルも、アイドルの歌曲から取られている。制作者たちにとって、ノスタルジー的な思いを抱ける年代だから、80年代が描かれることになったそうだ。
『かみちゅ!』が舞台とするのは、広島県尾道市だ。
尾道市は、映画作りのロケーションとして、最高の場所だ。
街全体が急斜面になっていて階段が多く、どこに立っても眺めのいい瀬戸内の内海を見下ろすことができる。
街の風景は、数十年前から時が止まったように、古い建築が時の流れを背負って建っている。
この街で、何本もの映画が制作され、現在でも映画撮影に欠かせない場所だ。
『かみちゅ!』に描かれた背景には、常にパースの塊ともいうべき尾道市の風景が描かれ、日常の空間が充実している。
作品の不思議な穏やかさと尾道の風景は、素晴らしい感性で調和してる。
尾道の風景は、どこにカメラを向けても独特の空気を炙り出す。何度も映画撮影に利用された場所だが、その魅力は今も失われていない。路地裏に分け入り、地元の人でも知らない風景が見付かる時があるのが、尾道の魅力だ。
主人公である一橋ゆりえは、物語の冒頭で、突然に神様宣言する。
だが、どうして神様になったのか。だからといって何なのか?
そういった解説は何一つ説明されないし、神様なのに、ゆりえはあまりにも幼く、あまりにも頼りなげで、気弱に描かれている。
神様だから、と超常的な力に目覚めるわけでもない。
ただ、物語の進行していくと、描きこまれた尾道市の日常空間に、奇妙な妖怪やもののけ達が姿を見せ始めてくる。
そういった妖怪たちも特別何か悪さするわけでもなく、ゆりえとなにか対立を見せるわけでもない。
ただ物語中に描きこまれた日常世界に、穏やかに共存するだけだ。
物語中の少女たちはフェティッシュの感性で描かれている。どのキャラクターも素行優良で、目が大きく、愛らしい。フェテッシュ・アニメとして極めて完成度が高い。カットの一つ一つは、額に入れて飾りたいくらいだ。
注目すべきは、キャラクター達の演技である。
近年の、クロースアップを並べただけの一般的なアニメと比較すると、『かみちゅ!』でのキャラクターは流麗に動き、呼吸している。
どの動きも少女達の心情を表現するかのように、繊細だし、立体的に構成され、現実感を強めている。
制作者達の少女へのフェテッシュは、ノスタルジックな思いを込めて、強烈な強さで描かれている。
少女たちも、あの時間が静止したかのような風景も、何もかもが懐かしい。
そんな懐かしさと、少女への偏執的な愛とが、強力に交じり合って作られたアニメーションだ。
作品データ
監督・絵コンテ:舛成孝二 脚本:倉田英之
企画:竹内成和 原作:ベサメムーチョ
キャラクター原案:羽音たらく キャラクターデザイン:千葉祟洋
プロダクションデザイン:okama
作画監督:千葉祟洋 美術:渋谷幸弘
色彩設計:歌川律子 音楽:池頼広
アニメーション制作:ブレインズ・ベース
出演:MAKO 峰香織 森永理科 野中藍
宮崎一成 岡野浩介 斉藤千和 津村まこと
星野充昭 伊藤美紀 杉山紀彰 岩尾万太郎
■2009/03/30 (Mon)
劇場アニメ■
2067年。
日本は歴史上二度目となる鎖国体勢に突入する。
鎖国政策を敷く日本。これは、反日的なメッセージだろうか。それともSF少年の戯れだろうか。後者であると願いたい。
猛烈な吹雪の中を、SWORDの軍用飛行船が飛んでいた。
飛行船の中には、すでにフル装備の兵士たちが、突撃の合図を待って待機していた。
これから向かうフィラル山の屋敷で、各国の首脳が集って秘密会議が開かれる。
SWORDの任務は、この屋敷に突入し、秘密会議を阻止することであった。
ロボット社会に突入した近未来社会。だが、ライフサイエンスは禁止され、嫌悪の対象となっている。人間の善悪観が、個人の経験や哲学ではなく、法に依存していることがよくわかる。主人公ベクシルは機械に依存した生活を送り、機械に依存した仕事に従事しているが、なぜかロボットを嫌う。まるで、デジタルに依存しているのに、デジタル嫌いを公言する映画監督のようだ。
日本が鎖国政策を敷いて、すでに十年の年月が経過している。
この十年の間に、日本人と交流した者はおらず、日本へ渡航した者もいなかった。
その日本が、近年にわかに活動を始め、外国との接触を持ち始めていた。
中心となる人物は、日本人のサイトウと名乗る人物だ。
しかし日本がどんな目的を持っているのか、まだ誰も知らない。
アメリカ特殊部隊SWORDは、日本の動きを牽制するために、密かに鎖国状態の日本へ潜入する作戦を決行する。
線画のアニメでは、カットごとにキャラクターの線の構成やシルエットを変えるが、デジタルアニメーションはデジタルゆえに線画と同様の柔軟性を持てない。トゥーンシューダーアニメはパーパーアニメを志向しているが、まだ物まねをしている段階だ。
『ベクシル-2077 日本鎖国-』はトゥーンシューダー技術で制作されたデジタルアニメーションだ。
映像や物語に、際立った個性は感じられない作品だ。
SF作品にありきたりな展開に、わかりやすい人物配置。
作品世界の解説で前半30分を消費し、人物のドラマは後方に追いやられている。
注目されるデジタル技術は、いまだ実験段階の域を越えず、従来の撮影法を越える驚きや、美意識などは感じられない。
ペーパーアニメのように、線の動きに美意識は感じられないし、色彩の配置方法も鮮やかとはいいがたい。
キャラクターの動きは、体内に骨が感じられず、アニメーションのプロが演技をつけたとはとても思えない。
SFの中心テーマは、世界の解説であり、物語の展開はほとんど世界の解明に費やされる。解説が多くなりがちで、人間のドラマが後方に追いやられがちだ。世界構造の破壊であるアクションは、SF映画に見せ所だ。
物語の節々に挿入されるアクションは、唐突だが豪快な勢いで迫る。
激しくカメラが揺れ、仰々しいサウンドが全体を包み込む。
物語のおおよそは世界の解明に費やされ、人間のドラマは断片的にしか語られない。
退屈な対話と解説が延々続くなか、唯一映画が煌き、躍動し始めるのは、組立てを破壊するアクションの瞬間だけだ。
もし、破壊の映像にも退屈したら、この映画に見所はどこにもないだろう。
このジャンルのアニメーションもまだまだこれからだ。技術開発はもっと進むだろうし、優れたストーリー・アイデアが組み合わされば、誰もが認める傑作が生まれるだろうし、その可能性は感じる。それまで、もうしばし見守っていきたいジャンルではある。
低予算で、いかに高品質なデジタルアニメーションを制作するか。
『ベクシル-2077 日本鎖国-』は、あくまでもその実験段階のアニメーションである。
物語はトゥーンシューダー・アニメーションの約束事なのか、教科書どおりのSF作品だし、技術映画にも関わらず、制作者の挑戦的なものは感じられない。
映画としての美意識やイマジネーションも感じられない。
デジタル・アニメーションという試みは、始まったばかりなのだ。
クリエイター達の果てなき挑戦も、まだまだこれからだ。
作品データ
監督・脚本:曽利文彦
音楽:ポール・オークンフォールド 脚本:半田はるか
出演:黒木メイサ 谷原章介 松雪泰子 柿原徹也
朴路美 大塚明夫 櫻井孝宏 森川智之
日本は歴史上二度目となる鎖国体勢に突入する。
鎖国政策を敷く日本。これは、反日的なメッセージだろうか。それともSF少年の戯れだろうか。後者であると願いたい。
猛烈な吹雪の中を、SWORDの軍用飛行船が飛んでいた。
飛行船の中には、すでにフル装備の兵士たちが、突撃の合図を待って待機していた。
これから向かうフィラル山の屋敷で、各国の首脳が集って秘密会議が開かれる。
SWORDの任務は、この屋敷に突入し、秘密会議を阻止することであった。
ロボット社会に突入した近未来社会。だが、ライフサイエンスは禁止され、嫌悪の対象となっている。人間の善悪観が、個人の経験や哲学ではなく、法に依存していることがよくわかる。主人公ベクシルは機械に依存した生活を送り、機械に依存した仕事に従事しているが、なぜかロボットを嫌う。まるで、デジタルに依存しているのに、デジタル嫌いを公言する映画監督のようだ。
日本が鎖国政策を敷いて、すでに十年の年月が経過している。
この十年の間に、日本人と交流した者はおらず、日本へ渡航した者もいなかった。
その日本が、近年にわかに活動を始め、外国との接触を持ち始めていた。
中心となる人物は、日本人のサイトウと名乗る人物だ。
しかし日本がどんな目的を持っているのか、まだ誰も知らない。
アメリカ特殊部隊SWORDは、日本の動きを牽制するために、密かに鎖国状態の日本へ潜入する作戦を決行する。
線画のアニメでは、カットごとにキャラクターの線の構成やシルエットを変えるが、デジタルアニメーションはデジタルゆえに線画と同様の柔軟性を持てない。トゥーンシューダーアニメはパーパーアニメを志向しているが、まだ物まねをしている段階だ。
『ベクシル-2077 日本鎖国-』はトゥーンシューダー技術で制作されたデジタルアニメーションだ。
映像や物語に、際立った個性は感じられない作品だ。
SF作品にありきたりな展開に、わかりやすい人物配置。
作品世界の解説で前半30分を消費し、人物のドラマは後方に追いやられている。
注目されるデジタル技術は、いまだ実験段階の域を越えず、従来の撮影法を越える驚きや、美意識などは感じられない。
ペーパーアニメのように、線の動きに美意識は感じられないし、色彩の配置方法も鮮やかとはいいがたい。
キャラクターの動きは、体内に骨が感じられず、アニメーションのプロが演技をつけたとはとても思えない。
SFの中心テーマは、世界の解説であり、物語の展開はほとんど世界の解明に費やされる。解説が多くなりがちで、人間のドラマが後方に追いやられがちだ。世界構造の破壊であるアクションは、SF映画に見せ所だ。
物語の節々に挿入されるアクションは、唐突だが豪快な勢いで迫る。
激しくカメラが揺れ、仰々しいサウンドが全体を包み込む。
物語のおおよそは世界の解明に費やされ、人間のドラマは断片的にしか語られない。
退屈な対話と解説が延々続くなか、唯一映画が煌き、躍動し始めるのは、組立てを破壊するアクションの瞬間だけだ。
もし、破壊の映像にも退屈したら、この映画に見所はどこにもないだろう。
このジャンルのアニメーションもまだまだこれからだ。技術開発はもっと進むだろうし、優れたストーリー・アイデアが組み合わされば、誰もが認める傑作が生まれるだろうし、その可能性は感じる。それまで、もうしばし見守っていきたいジャンルではある。
低予算で、いかに高品質なデジタルアニメーションを制作するか。
『ベクシル-2077 日本鎖国-』は、あくまでもその実験段階のアニメーションである。
物語はトゥーンシューダー・アニメーションの約束事なのか、教科書どおりのSF作品だし、技術映画にも関わらず、制作者の挑戦的なものは感じられない。
映画としての美意識やイマジネーションも感じられない。
デジタル・アニメーションという試みは、始まったばかりなのだ。
クリエイター達の果てなき挑戦も、まだまだこれからだ。
作品データ
監督・脚本:曽利文彦
音楽:ポール・オークンフォールド 脚本:半田はるか
出演:黒木メイサ 谷原章介 松雪泰子 柿原徹也
朴路美 大塚明夫 櫻井孝宏 森川智之