■ 最新記事
(08/15)
(08/14)
(08/13)
(08/12)
(08/11)
(08/10)
(08/09)
(08/08)
(08/07)
(08/06)
■ カテゴリー
お探し記事は【記事一覧 索引】が便利です。
■2009/08/25 (Tue)
映画:外国映画■
雨が降ると街が静かになる。人があまり外に出ないからか、雨が騒音を吸い取ってくれるからか。
せせらぎのような音がさらさらと流れ、時々、車が水溜りをはねる音が静けさを破る。
まるで街全体が何かを待ち構えるように、軒下で身を潜めている。もしかしたら、待ち構えているのは我々が想像もしない危険かもしれない。
映画『セブン』では、ほとんどのシーンで雨が降っている。まるで騒々しいロサンゼルスの喧騒を押し殺すように、小さな滝が流れる音が延々続いている。
眠らない街、ロサンゼルス。華やかなネオンが常に街を色鮮やかに照らし続ける大都市。
そんなロサンゼルスの街が、長く続く雨に静まり返っている。
だがそんな雨の中でも、やはり事件は起きている。声を押し殺すようにしながら、最もおぞましい事件は粛々と進行していた。
その日の朝、サマセットはある事件現場を訪ねていた。不倫のもつれによる、銃殺事件だ。サマセットは朝の身支度の延長のように、静かに事件現場を見ていた。
「子供は事件を見たのか?」
壁に飛び散った血痕を眺めながら、サマセットは初動捜査を担当した刑事に尋ねた。
「それがどうした? あんたが定年でよかったぜ、サマセット。子供が見たかだと? だから何だ。女房が人を殺した。子供の心配は仕事じゃない」
刑事は理解不能を示して奥へ引っ込んでしまった。
入れ違うように、若い刑事がサマセットの前にやってきた。
「サマセット刑事? ミルズ刑事です。着いたら、いきなりここへ行けと命じられて……」
着任したばかりの新米刑事だ。所在なげにしているが、何かしたいらしくうろうろと現場の様子を見ていた。
「電話でも話をしたが、質問がある。なぜ来た? なぜわざわざこの街に? それが不思議でな」
「きっとあんたと同じだ。好きで来たんだろう?」
サマセットはミルズを連れて外に出た。絶え間なく振り続ける雨で、ロサンゼルスの街が淡く煙っていた。
「知りもせんで……」
サマセットは呆れた気分で若者から目を逸らした。
「何が聞きたい?」
「簡単だ。君は喧嘩までしてここに来た。そんな奴は初めてだ」
「活躍したくてね。最初からあまり難癖つけないでくれ。あんたがボスだ」
ミルズは快活そうに飛び跳ねてみせた。サマセットは軽く微笑んだ。血の気だけは多そうだ。
「お前は黙って見ているだけでいい。7日間は大人しく見ていろ」
サマセットは言い置いて、事件現場から離れていった。
――あと7日間。そうすれば定年だ。
オープニングデザインは衝撃的だった。この作品を切っ掛けに、どの映画、ドラマでもオープニングデザインを採用するようになった。ただし、類似品模倣品を大量生産する結果となった。今でも、だ。
だが翌日の朝、事件が始まった。
月曜日。
最初の死体はギネス級のデブ男だった。男は両足を縛られ、銃を首に突きつけられた状態で、12時間食い続けていた。側にバケツが用意されて、ゲロを吐きながら延々食べさせられ続けていた。
死因は、膨張しきった胃を犯人が蹴ったために、内出血を起こしたのだ。デブ男はスパゲッティに顔を突っ込んだ状態で死亡。
現場にはGLUTTONY(グラトニー)と落書きが残され、さらにミルトンの『失楽園』を引用したメモが残されていた。
“地獄より光に至る道は長く険しい”
火曜日。
殺されたのはグールド弁護士だった。犯人は金曜日に法律事務所に忍び込み、グールド弁護士を土曜日から月曜にかけて殺害。全身を縛り、右手だけ自由を与えて包丁を握らせ、きっちり1ポンド分の肉を、自分の体から切り分けるように指示を与えていた。
グールド弁護士は腹の肉を裂いて、出血多量死。その血で、絨毯にGREED(強欲)の落書きをしていた。
絵画の裏を調べると、何者かの指紋で“HELP ME”とメッセージが残されていた。
木曜日。
指紋の鑑定結果、アランという名の男が捜査線上に浮かび上がった。アランは麻薬、強姦、少女暴行などの前科があるが、グールド弁護士の口ぞえで釈放されていた。
ロス市警はアランをグールド弁護士殺しの犯人と特定、スワットを組織してアランの自宅に突入させる。
しかしそこにいたのは、ベッドに縛り付けられ衰弱しているアランだった。
側には写真が置かれ、アランがベッドに縛り付けられ、全身の筋肉が衰弱していく過程が一枚一枚記録されていた。ベッドの上には、SLOTH(怠惰)と落書き。グールド弁護士事務所に残されていた指紋はアランの右手指のものだが、アランの右手は切り落とされていた。またアランは、舌を切り取られていた。
そんな状態だが、アランは辛うじて生きていた。ただし、全身は衰弱し、脳は軟化。事件について聞きだせる状態ではなかった。
土曜日。
娼婦の女が殺された。犯人は娼婦屋敷へ行き、行為中の二人を拳銃で脅迫。男に異様に巨大で先に刃物がついた張り型を装着させ、娼婦とセックスさせる。娼婦は張り型で子宮を引き裂かれ、内臓をえぐられて死亡。
個室の入口に、LUST(肉欲)の落書き。
日曜日。
犯人から電話で告白。駆けつけると、女がベッドの上で横たわり死亡。
女は犯人から顔を切り刻まれ、そのうえに包帯が巻かれていた。一方の掌には睡眠薬が糊付けにされ、もう一方の手には電話が握らされていた。
「助けを呼べば醜い顔で生きられる。嫌なら自分で死ね」という犯人のメッセージだった。女は自殺を選んだ。
残りはあと二人。地獄のような1週間が終る。その最後に、いったい何が起きるのか……。
デビッド・フィンチャーにとって『セブン』は散々だった『エイリアン3』のリベンジ作品だった。1千枚の企画書を提出し、プロデューサーを説得したらしい。
映画『セブン』はホラー映画であるし、監督自身そう公言してる。
だがハリウッド製ホラー映画の定石は一切踏襲していない。観客を驚かすような音はなく、ショックシーンへの強引なジャンプカットもない。
どの事件も衝撃的だが、あくまでも事件として、静かに淡々と語られていく。カメラワークは決して近寄りすぎず、ロングサイズを維持したまま、観察している刑事の視点で語られていく。
その後の事件解説も、考証に基づいて冷淡なくらい警察の行動が静かに綴られていく。
デビッド・フィンチャー監督は、通俗的なジャンル的表現に頼らず、独自の方法と観察眼で、事件の過程を一つ一つ追跡し、じっくり熟成させて映画を練り上げている。
この作品で、デビッド・フィンチャー監督とブラッド・ピットは初めて顔を合わせた。この作品の後も、ベストコンビの関係は変わらず、ヒット作傑作を次々と制作している。
映画『セブン』は非常に静かだ。ハリウッド映画お得意のクラシック調の伴奏音楽は最小限に抑えられている。
風景の描き方もとことん色彩が抑えられ、モノクロ映画の印象で描かれている。色彩と光の洪水のような常にお祭り状態のロサンゼルスの風景を、どこまでも陰鬱に、何かを炙り出すような暗い映像で描かれている。
映画『セブン』には2流監督がついやりがちな安っぽいハッタリ表現は一切ない。
映像も音も徹底的に抑えられ、それでいて映画には平坦さがなければ緊張を失う隙など1コマもない。まるで沈黙するような静けさ、寡黙さが全体に漂っている。
デビッド・フィンチャー監督は演出の力と緻密に練りこまれた考証、それから感性の強さだけで映画と観客に挑戦し、それらすべてにおいて完全勝利している。
「衝撃のラスト15分」を売り文句にする映画は山ほどあるが、本当に衝撃的だったのはこの映画だけだ。この映画の静けさを比較できるのはただ一本だけ、『シャイニング』だろう。
ロサンゼルスには毎日のように凶悪殺人事件が起きている。ロサンゼルスでは昔からそうだった。いや、人間は旧約聖書の時代から、暴力とは切り離せない宿命にあった。
一方で人間には、事件が起きるとそれを追いかけたがる習性を持っている。
警戒心のため? 好奇心のため?
それはよくわからない。ただその事件がより凶暴でセンセーショナルであればあるほど、人間は気分を高揚させ、好奇心を掻き立てさせる。
警察を職業に選ぶ人間には、その習性が普通の人より少し強く、訓練のせいなのか特殊な方向へと向かわせてしまうのだろう。
事件、死体、流血……。そこで何が起きたのか、犯人は誰なのか。警察はそれら全て暴き立て、そこから一切の疑問の余地がないようにしないと気が治まらないのだろう。
まるでドキュメンタリーのように事件を追っていく。監督が猟奇事件に興味を持つ切っ掛けになったのは、幼少期、ゾディアック事件の中心となった土地に住んでいたからという。
人間には社会的な正気と、そうではない狂気の二つの部分があり、人間の意識はそのどちらかで常に左右ふらふらと揺れている。その境界線が崩れた結果として、人を殺したりなどの事件が起きるのだろう。
人間は教訓話で語られるような善人でもなければ、自立的な存在でもない。その社会性がほんの少し揺るがされると、簡単に境界線をまたいでしまう。人間の社会は完全ではないし、社会性もまた完全ではないし、だからこそ故障のようにどこかに欠陥を示す。
そういった例は稀であるが、ロサンゼルス規模の過密都市で警察をやっていれば、毎日、毎時間、毎秒といった速度でそういった類の事件に接してしまう。
だからサマセットはうんざりしていた。
サマセットはロサンゼルスという地獄から、警察であるという悪夢から逃れたいと思っていた。
しかし、地獄から天国に至る道は、あまりにも険しく遠い。
映画『セブン』は7日間で全てが終わる映画だ。その最後で、果たしてサマセットは地獄を脱出し、天国に抜けられたのだろうか。
参考資料(ウィキペディア)
神曲 失楽園 カンタベリー物語 七つの大罪
ダンテ・アリギエーリー ジョン・ミルトン
ジェフリー・チョーサー トマス・アクイナス
映画記事一覧
監督:デヴィッド・フィンチャー
音楽:ハワード・ショア 脚本:アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
撮影:ダリウス・コンジ 編集: リチャード・ブランシス=ブルース
オープニング・デザイン:カイル・クーパー
出演:ブラッド・ピット モーガン・フリーマン
グウィネス・パルトロー ジョン・C・マッギンレー
リチャード・ラウンドトゥリー R・リー・アーメイ
マーク・ブーン・Jr ダニエル・ザカパ
アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー ジョン・カッシーニ
ケヴィン・スペイシー
せせらぎのような音がさらさらと流れ、時々、車が水溜りをはねる音が静けさを破る。
まるで街全体が何かを待ち構えるように、軒下で身を潜めている。もしかしたら、待ち構えているのは我々が想像もしない危険かもしれない。
映画『セブン』では、ほとんどのシーンで雨が降っている。まるで騒々しいロサンゼルスの喧騒を押し殺すように、小さな滝が流れる音が延々続いている。
眠らない街、ロサンゼルス。華やかなネオンが常に街を色鮮やかに照らし続ける大都市。
そんなロサンゼルスの街が、長く続く雨に静まり返っている。
だがそんな雨の中でも、やはり事件は起きている。声を押し殺すようにしながら、最もおぞましい事件は粛々と進行していた。
その日の朝、サマセットはある事件現場を訪ねていた。不倫のもつれによる、銃殺事件だ。サマセットは朝の身支度の延長のように、静かに事件現場を見ていた。
「子供は事件を見たのか?」
壁に飛び散った血痕を眺めながら、サマセットは初動捜査を担当した刑事に尋ねた。
「それがどうした? あんたが定年でよかったぜ、サマセット。子供が見たかだと? だから何だ。女房が人を殺した。子供の心配は仕事じゃない」
刑事は理解不能を示して奥へ引っ込んでしまった。
入れ違うように、若い刑事がサマセットの前にやってきた。
「サマセット刑事? ミルズ刑事です。着いたら、いきなりここへ行けと命じられて……」
着任したばかりの新米刑事だ。所在なげにしているが、何かしたいらしくうろうろと現場の様子を見ていた。
「電話でも話をしたが、質問がある。なぜ来た? なぜわざわざこの街に? それが不思議でな」
「きっとあんたと同じだ。好きで来たんだろう?」
サマセットはミルズを連れて外に出た。絶え間なく振り続ける雨で、ロサンゼルスの街が淡く煙っていた。
「知りもせんで……」
サマセットは呆れた気分で若者から目を逸らした。
「何が聞きたい?」
「簡単だ。君は喧嘩までしてここに来た。そんな奴は初めてだ」
「活躍したくてね。最初からあまり難癖つけないでくれ。あんたがボスだ」
ミルズは快活そうに飛び跳ねてみせた。サマセットは軽く微笑んだ。血の気だけは多そうだ。
「お前は黙って見ているだけでいい。7日間は大人しく見ていろ」
サマセットは言い置いて、事件現場から離れていった。
――あと7日間。そうすれば定年だ。
オープニングデザインは衝撃的だった。この作品を切っ掛けに、どの映画、ドラマでもオープニングデザインを採用するようになった。ただし、類似品模倣品を大量生産する結果となった。今でも、だ。
だが翌日の朝、事件が始まった。
月曜日。
最初の死体はギネス級のデブ男だった。男は両足を縛られ、銃を首に突きつけられた状態で、12時間食い続けていた。側にバケツが用意されて、ゲロを吐きながら延々食べさせられ続けていた。
死因は、膨張しきった胃を犯人が蹴ったために、内出血を起こしたのだ。デブ男はスパゲッティに顔を突っ込んだ状態で死亡。
現場にはGLUTTONY(グラトニー)と落書きが残され、さらにミルトンの『失楽園』を引用したメモが残されていた。
“地獄より光に至る道は長く険しい”
火曜日。
殺されたのはグールド弁護士だった。犯人は金曜日に法律事務所に忍び込み、グールド弁護士を土曜日から月曜にかけて殺害。全身を縛り、右手だけ自由を与えて包丁を握らせ、きっちり1ポンド分の肉を、自分の体から切り分けるように指示を与えていた。
グールド弁護士は腹の肉を裂いて、出血多量死。その血で、絨毯にGREED(強欲)の落書きをしていた。
絵画の裏を調べると、何者かの指紋で“HELP ME”とメッセージが残されていた。
木曜日。
指紋の鑑定結果、アランという名の男が捜査線上に浮かび上がった。アランは麻薬、強姦、少女暴行などの前科があるが、グールド弁護士の口ぞえで釈放されていた。
ロス市警はアランをグールド弁護士殺しの犯人と特定、スワットを組織してアランの自宅に突入させる。
しかしそこにいたのは、ベッドに縛り付けられ衰弱しているアランだった。
側には写真が置かれ、アランがベッドに縛り付けられ、全身の筋肉が衰弱していく過程が一枚一枚記録されていた。ベッドの上には、SLOTH(怠惰)と落書き。グールド弁護士事務所に残されていた指紋はアランの右手指のものだが、アランの右手は切り落とされていた。またアランは、舌を切り取られていた。
そんな状態だが、アランは辛うじて生きていた。ただし、全身は衰弱し、脳は軟化。事件について聞きだせる状態ではなかった。
土曜日。
娼婦の女が殺された。犯人は娼婦屋敷へ行き、行為中の二人を拳銃で脅迫。男に異様に巨大で先に刃物がついた張り型を装着させ、娼婦とセックスさせる。娼婦は張り型で子宮を引き裂かれ、内臓をえぐられて死亡。
個室の入口に、LUST(肉欲)の落書き。
日曜日。
犯人から電話で告白。駆けつけると、女がベッドの上で横たわり死亡。
女は犯人から顔を切り刻まれ、そのうえに包帯が巻かれていた。一方の掌には睡眠薬が糊付けにされ、もう一方の手には電話が握らされていた。
「助けを呼べば醜い顔で生きられる。嫌なら自分で死ね」という犯人のメッセージだった。女は自殺を選んだ。
残りはあと二人。地獄のような1週間が終る。その最後に、いったい何が起きるのか……。
デビッド・フィンチャーにとって『セブン』は散々だった『エイリアン3』のリベンジ作品だった。1千枚の企画書を提出し、プロデューサーを説得したらしい。
映画『セブン』はホラー映画であるし、監督自身そう公言してる。
だがハリウッド製ホラー映画の定石は一切踏襲していない。観客を驚かすような音はなく、ショックシーンへの強引なジャンプカットもない。
どの事件も衝撃的だが、あくまでも事件として、静かに淡々と語られていく。カメラワークは決して近寄りすぎず、ロングサイズを維持したまま、観察している刑事の視点で語られていく。
その後の事件解説も、考証に基づいて冷淡なくらい警察の行動が静かに綴られていく。
デビッド・フィンチャー監督は、通俗的なジャンル的表現に頼らず、独自の方法と観察眼で、事件の過程を一つ一つ追跡し、じっくり熟成させて映画を練り上げている。
この作品で、デビッド・フィンチャー監督とブラッド・ピットは初めて顔を合わせた。この作品の後も、ベストコンビの関係は変わらず、ヒット作傑作を次々と制作している。
映画『セブン』は非常に静かだ。ハリウッド映画お得意のクラシック調の伴奏音楽は最小限に抑えられている。
風景の描き方もとことん色彩が抑えられ、モノクロ映画の印象で描かれている。色彩と光の洪水のような常にお祭り状態のロサンゼルスの風景を、どこまでも陰鬱に、何かを炙り出すような暗い映像で描かれている。
映画『セブン』には2流監督がついやりがちな安っぽいハッタリ表現は一切ない。
映像も音も徹底的に抑えられ、それでいて映画には平坦さがなければ緊張を失う隙など1コマもない。まるで沈黙するような静けさ、寡黙さが全体に漂っている。
デビッド・フィンチャー監督は演出の力と緻密に練りこまれた考証、それから感性の強さだけで映画と観客に挑戦し、それらすべてにおいて完全勝利している。
「衝撃のラスト15分」を売り文句にする映画は山ほどあるが、本当に衝撃的だったのはこの映画だけだ。この映画の静けさを比較できるのはただ一本だけ、『シャイニング』だろう。
ロサンゼルスには毎日のように凶悪殺人事件が起きている。ロサンゼルスでは昔からそうだった。いや、人間は旧約聖書の時代から、暴力とは切り離せない宿命にあった。
一方で人間には、事件が起きるとそれを追いかけたがる習性を持っている。
警戒心のため? 好奇心のため?
それはよくわからない。ただその事件がより凶暴でセンセーショナルであればあるほど、人間は気分を高揚させ、好奇心を掻き立てさせる。
警察を職業に選ぶ人間には、その習性が普通の人より少し強く、訓練のせいなのか特殊な方向へと向かわせてしまうのだろう。
事件、死体、流血……。そこで何が起きたのか、犯人は誰なのか。警察はそれら全て暴き立て、そこから一切の疑問の余地がないようにしないと気が治まらないのだろう。
まるでドキュメンタリーのように事件を追っていく。監督が猟奇事件に興味を持つ切っ掛けになったのは、幼少期、ゾディアック事件の中心となった土地に住んでいたからという。
人間には社会的な正気と、そうではない狂気の二つの部分があり、人間の意識はそのどちらかで常に左右ふらふらと揺れている。その境界線が崩れた結果として、人を殺したりなどの事件が起きるのだろう。
人間は教訓話で語られるような善人でもなければ、自立的な存在でもない。その社会性がほんの少し揺るがされると、簡単に境界線をまたいでしまう。人間の社会は完全ではないし、社会性もまた完全ではないし、だからこそ故障のようにどこかに欠陥を示す。
そういった例は稀であるが、ロサンゼルス規模の過密都市で警察をやっていれば、毎日、毎時間、毎秒といった速度でそういった類の事件に接してしまう。
だからサマセットはうんざりしていた。
サマセットはロサンゼルスという地獄から、警察であるという悪夢から逃れたいと思っていた。
しかし、地獄から天国に至る道は、あまりにも険しく遠い。
映画『セブン』は7日間で全てが終わる映画だ。その最後で、果たしてサマセットは地獄を脱出し、天国に抜けられたのだろうか。
参考資料(ウィキペディア)
神曲 失楽園 カンタベリー物語 七つの大罪
ダンテ・アリギエーリー ジョン・ミルトン
ジェフリー・チョーサー トマス・アクイナス
映画記事一覧
監督:デヴィッド・フィンチャー
音楽:ハワード・ショア 脚本:アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
撮影:ダリウス・コンジ 編集: リチャード・ブランシス=ブルース
オープニング・デザイン:カイル・クーパー
出演:ブラッド・ピット モーガン・フリーマン
グウィネス・パルトロー ジョン・C・マッギンレー
リチャード・ラウンドトゥリー R・リー・アーメイ
マーク・ブーン・Jr ダニエル・ザカパ
アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー ジョン・カッシーニ
ケヴィン・スペイシー
PR
■2009/08/25 (Tue)
シリーズアニメ■
前巻までのあらすじ(第9集より)
新政府の名により欧羅巴(ヨーロッパ)にオランダ兵法学びにゆくも、当地の流行戦術はアメリカ式のショック、アンド、アー。待ち受けていたのは地下鉄初乗り千円というユーロ高。日本政府PR漫画を現地で依頼するも、フランス新人漫画家の原稿料一枚90ユーロから、という事実に憤る。「某社で10年やったよりも高いじゃないか、ラセーヌの星に謝れ!」そんなかんじで望は巴里の屋根の下、欝になり、救いを求め奇想科学の世界に傾倒していく。街で行く人行く人にエスペラント語でランプ亡国論を唱え、セーヌ川にて自作の蒸気汽船「卑弥呼」で海上火災騒ぎを起こし、屈辱をバネにする「バネ男」としてロンドンの貴婦人たちを恐怖のどん底に叩きつけた。「欧米列強よ、恐るるに足らず! 亜細亜は私の科学が守る!」とパタゴニアのUFO基地を目指す。そんな時、祖国より「至急帰国サレタシミヤザキアオイ結婚」の電文が届く。
ああサプライズだよ、と私はうつろに呟くのであった
原作第153話 昭和83年9月17日
誰かが教室の扉を開けた。丸井は視線を感じて振り向く。すると教室の入口に、久藤が立っていた。原作第153話 昭和83年9月17日
「丸井さん、相談したいことがあるんだけど、放課後ちょっといいかな?」
「え! あ、……はい」
丸井は動揺しながら頷いた。久藤は軽く片目を閉じて合図を送ると、教室を去っていった。
でも丸井は、胸の動揺が収まらなかった。
どどどどどどど、どうしよう! そんな、私と久藤君が……。心の準備が!
間もなく放課後がやってきた。丸井は久藤と一緒に、廊下を曲がった先にあるバルコニーに出た。
「今度の読書週間のポスターなんだけど、白地に緑と緑字に白とどっちがいいかな?」
久藤は手に丸めたポスターを持ちながら、話を始めた。
「え……? あの、何の話をしているのでしょう?」
丸井は物凄い空振りをしてしまった後のように訊ねて返した。
「だから、相談があるって言ったでしょう? 丸井さん、美大目指しているんでしょ」
久藤は爽やか少年の微笑を湛えたまま、手に持っていたポスターを広げてみせた。読書週間のポスターだった。
丸井が教室に戻ってきた。
「呼び出されててっきり告られるかと思ったら、何事もなく、逆にサプライズ!」
過剰なサービスが氾濫する今の世の中、何も事件が起きないほうがむしろサプライズなのだ。
例えば、本当の誕生日に友人から――「みんなで飲んでいるから来いよ」と電話があって、てっきり祝ってもらえるものとのこのこと出かけていくも、フツーに飲んで、フツーにワリカンでお金を支払って、何もなくフツーにバイバイする感じ。
あるいは選挙前に、もう何年も会っていない友人から電話が掛かってきて、フツーに昔話をして、何事もなく切る感じ。
また、最近のコンサート。アンコールがなくてむしろサプライズ。
中央線、何の事故もなく定刻どおりやってくるとむしろサプライズ。
こんな生活して健康診断受けて、何事もなくてむしろサプライズ
深夜自転車で走っていて、警官とすれ違ったのにスルーされてむしろサプライズ。(リアルにありますよねぇ)
いろいろとありすぎる現代。過剰に事件が折り重なる今の日本。何事もなく、平静で平凡である現象こそが特別になっている。そんな逆転の時代を描き出す。そんな物語の最後に、マリアが言う。
「日本人わかってないな。この国の、何もない平和な日常が、サプライズなんだよ」
絵コンテ:板村智幸 演出:龍輪直征 作画監督:岩崎安利 色指定:石井理英子
告白縮緬組
原作第165話 昭和84年1月7日掲載
ある冬。登校中の千里は、交番の前で佇む糸色望に気付く。深い憂いを沈めた糸色先生の顔……。千里は何かが起きたと察して近付こうとした。原作第165話 昭和84年1月7日掲載
すると、望は交番の入口に、掌を手首を重ねて差し出した。
「私が……、やりました」
重く、呟くような声だった。
「先生! いったい何をやらかしたんですか!」
千里は慌てて望の前に走り、声をかけた。
望が千里を振り返った。長い長い間を置いて、
「何も」
望の顔に、さっきまでの憂いも重い空気もなくなっていた。
「でも、今!」
それでも千里はまだ動揺が胸から去らず、望に身を乗り出した。
「いやこれは、自首トレです。――自首するトレーニングですよ」
「何でそんなことトレーニングする必要があるんですか!」
しれっと答える望に、千里は怒鳴って返した。望への心配が、一気に憤慨に置き換えられた気分だった。
望は、そんな千里を宥めるように、何かを諭すような顔を始めた。
「自ら罪を認めるのは難しいことです。その時、あなたは自首できますか? 何かの拍子で罪を犯してしまったとき、ハナから罪を認め、謝っておけば大事にならずに済んだのにということが多々あります! 非を認めることのできなくなった今の日本人には、このトレーニングが必要なのです!」
望の騒がしい説教を聞いてなのか、交番の制服警官が出てきた。
「で、あんたは何をやったんだ?」
「だから自首トレーニングですよ」
「何を言っとるんだキミは!」
当然の反応だ。
「先生、自首トレをするなら、犯した罪も想定しないと。イメージトレーニングです。」
千里は望の提案に納得して、ならばと自分からも意見を出した。
望むが少し考えるふうに宙を見上げた。その結果、
「私がやりました。ぷーん」
望は反省していないいたずら小僧のような顔をして、鼻に小指を突っ込んだ。
千里は呆れて溜め息をついた。
「大した罪を想定できていないな。それで自首トレになるか! もっと大罪を! 心の底から悔いる気持ちになって! ……私が、私がやりました! ぅわあああああ!」
千里は望を叱りつけると、全力の勢いで地面に額を落とし、嘆きの声を漏らした。
肩の温まらないうちに本気を出すのは怪我をする恐れがある。だから色んな事件に対し、予防線を張る意味でも自主トレは必要なのである。
例えば犯罪を犯したケースなど、自主トレの必要性が出てくる。一人だけ違うことを言ったり、話が2転3転して辻褄があわなくなってしまったり。
ところで、秘密などをカミングアウトするのを自首という場合がある。
例えば、カツラであると自首したり、
取っている新聞が宗教がらみだと自首したり、
浮気を自首したり、
特殊な趣味を自首したり、
某人気漫画ヒロイン(『かんなぎ』)が非処女であるばかりか、妊娠経験がある、とまでいきなり自首したり、
自首する側だけではなく、される側にとっても自主トレは大切なのである。
絵コンテ:龍輪直征 演出:清水久敏 作画監督:高野晃久 潮月一也 岩崎安利
色指定:石井理英子
最後の、そして始まりのエノデン
原作179話(正しくは160話) 昭和82年12月27日掲載
駅の照明が落ちた。その日の営業は間もなく終了である。だがそんな駅に、列車が一台滑り込んできた。原作179話(正しくは160話) 昭和82年12月27日掲載
――行き先不明のミステリートレイン。
糸色望と可符香の二人が連れ添って、列車に乗り込んだ。
「子供騙しです。行き先不明なんてわけないじゃないですか。他の列車のダイヤとの兼ね合いもあるのですから、最初から到着駅は決まっているはずなのです」
望は可符香と向かい側の座席に座ると、うつむきながら退屈そうに呟いた。
「世の中、そんなことばかりですよ」
望は顔を上げて、沈んだ顔と声で話を締めくくった。
可符香は向かいの席でしおらしく座って、望の話を聞いているようだった。その表情には、いつものぬくもりのある微笑み。
窓の外は照明はなく暗く沈んでいる。しかし、はっきりと移動を感じる。望は窓の外の闇に目を向けた。行き先不明なわけがない。しかしこの列車は、果てしない闇を潜り抜けて、どこに向かおうとしているのだろう。
ふと望の前に、スーツ姿の紳士が現れた。
「あの失礼ですが、学校の先生とお見受け致しました。アンケートにお答えいただきたいのですが」
と紳士は礼儀正しく話しかけてきて、アンケート用紙を差し出した。アンケート用紙には大きな文字で、
“テーマ 教育は死んだのか?”
とお題が書かれていた。
「ん……。別にそうは思いませんけど。よくわからないし……」
望はアンケート用紙をちらと見て、退屈さを隠そうとせずに答えた。
「はあ? でも何か違和感を持つことはありませんか?」
「まあ、ないこともないですけど」
無理に考えを捻れば、そういうのを見付からないわけではない。望が考える様子を見せると、紳士は急に勢いを持ち始めた。
「そうですか、やはりおありなんですね。では、教育現場に何か問題をかかえていると……」
望はうんざりしながら紳士を見上げた。
「“教育は死んだ”そう言わせたいだけなのでは? あなたの中で、結論出ているじゃないんですか?」
望は強い視線で紳士を見詰めつつ、それでいて落ち着き払った言葉を突きつけた。
紳士はその顔に動揺と困惑を浮かべ、逃げるように姿を消した。
ようやく去ってくれた。望は姿勢を崩して、窓際に肘を乗せた。
――最近、やたら着地点の決まっている質問するケースが多い。すでに決定されている結論に着地したいがために、“意見”ではなく“同意”を求めるだけの質問。結局は「そう言わせたいだけだと」という質問。答えはすでに決まっているのに関わらず、質問をする人が増えている。
後ろの座席に、年頃の女が二人、向き合って座っていた。立ち聞きするつもりはないけど、可符香と見詰め合っているとなんとなく会話が耳に飛び込んできた。
「もう、本当に毎日ケンカ……。こんなんじゃ、カレシと別れた方がいいかな?」
「じゃあ、別れたら?」
「いや、でも、悪いところばかりでもないのよ。それに……」
「結論、出てるじゃない」
女の決定的な一言。質問していた女は、困惑と動揺を顔に浮かべたまま、姿を消した。
別の座席でも、対話が始まっているようだった。
漫画家「もうボク、漫画を描くのやめた方がいいですかね」
サンデー編集者「うん、やめれば」
漫画家「いや、でも、でもですね。次になに描こうかとかまったく決まっていないし、この歳で漫画描く以外の仕事ができるかというと、それも難しいし……」
サンデー編集長「何かお辛いみたいで。連載、まだ続けますか?」
漫画家「はい、もう少し頑張ってみようかと……」
サンデー編集長「そうですか。でも、余力のあるうちにやめるのも手だと思うよ。描いているほうも読んでいるほうも新鮮さが無くなるというのは不幸だと思うんだ」
互いに別々の結論が出ている場合もあるようだ。
間もなくミステリートレインが駅で停車した。望と可符香は自分の旅行ケースを持って下車した。
「降りるんですか?」
「ここは巨大なターミナル駅。ここから色んな方面へ行き先が決まっているミステリートレインが出ます」
望が説明した。ずらりと並ぶ線路に、様々なデザインの列車が停まっている。ミステリートレインと自称しつつ、どの列車も行き先は始めから決まっている。
-渋谷の若者は乱れている-
渋谷の若者は乱れているという結論に持っていきたいがために、そんな意見や人種ばかりを集めるテレビのインタビュー。
-ソーイチローの意見-
どんなに議論しても、結局は田原総一郎一人の意見にまとめられてしまう朝生。
-犯人はやつ-
「犯人はこいつだ」と結論付けたいがために、探偵気分で制作されたテレビの取材。
-アニメやゲームの原因-
最近の青少年のモラル崩壊、犯罪の凶悪化、あるいは増加(している、という仮定で)の原因は、アニメやゲームのせいだと結論付けたいために集まり、無駄な議論をする“有識者”会議。そこでは議論も仮定も異論も生まれない。なぜなら、始めの段階に結論、答は決まっているから。もし新しい事実がその道程に浮かび上がっても、決して目を向けようとしない。
思考力を失った、近代日本人。高等教育が全世代に行きわたり、高い知性と豊潤な知識を持ちながら、自身の才能をまったく生かそうとせず、安易で通俗的な回答にすがりよろうとする日本人。自身の力(頭)で何かを生み出す能力を失い、いつか近代文明による生活を失ったとして、その代償を誰が支払うのか。
……絶望した。答えの決まっているミステリートレインに。答えを押し付けたがる現代社会に。自身の力で答えを捜し歩き、見つけようとする努力をしない文明人に!
「さて、我々はこれからどうしますか?」
いつの間にか、駅の列車はあらかた行ってしまったようだった。雪がちらちらと降り始めている。ひっそりと残った照明に、雪の白い色彩が浮かび上がっていた。そんな静けさの中、望は可符香と二人きりだった。
「先生もそろそろ、どの女性を選ぶか、結論を出してみてはどうですか?」
可符香は望に優しい微笑を浮かべながら、提案をした。
「そうですね。誰がいいでしょう?」
望は可符香の微笑を愛おしく思いながら、微笑で返した。
そんな望に、可符香は可愛らしく首を傾げて、少し間を置いた。
「結論、出ちゃっているんじゃないですか?」
望は可符香の表情に少し困惑を感じた。でもそれを振り払うように、頷いた。
そうだ。結論は出ている。どの列車に乗るかも。
望は行き先のわからないミステリートレインに乗るつもりはなかった。もう、心では決心していた。あの終着駅に行く、と……。
あの法案は通るのか/執行猶予はつくのか/年金払ったほうがいいのか/電車、バスを利用するより自転車を買ったほうがいいのか/四期はあるのか/このサブタイトルネタを誰か読んでいるのだろうか
公演:劇団イヌカレー
『懺・さよなら絶望先生』第7回の記事へ
『懺・さよなら絶望先生』第9回の記事へ
さよなら絶望先生 シリーズ記事一覧へ
作品データ
監督:新房昭之 原作:久米田康治
副監督:龍輪直征 キャラクターデザイン・総作画監督:守岡英行
シリーズ構成:東富那子 チーフ演出:宮本幸裕 総作画監督:山村洋貴
色彩設計:滝沢いづみ 美術監督:飯島寿治 撮影監督:内村祥平
編集:関一彦 音響監督:亀山俊樹 音楽:長谷川智樹
アニメーション制作:シャフト
出演:神谷浩史 野中藍 井上麻里奈 谷井あすか 真田アサミ
小林ゆう 沢城みゆき 後藤邑子 新谷良子 松来未祐
矢島晶子 後藤沙緒里 根谷美智子 堀江由衣 斎藤千和
上田耀司 水島大宙 杉田智和 寺島拓篤 高垣彩陽
立木文彦 阿澄佳奈 中村悠一 麦人 MAEDAXR
この番組はフィクションです。実在するリーマン・ブラザーズ、JISマーク、アジア号とは一切関係ありません。
■
さのすけを探せ!
■2009/08/24 (Mon)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
10
隠し部屋は、すぐ下に折れて、梯子で繋がっていた。可符香が梯子を降りていった。私はちょっと恐かったけど、掛け軸をめくって梯子を降りていった。
下まで降りると、天井の低い入口が目の前にあって、そこをくぐった先が部屋になっていた。
部屋は広く、そのかわりみたいに天井が低かった。私でもジャンプすれば手がつきそうだった。四方がコンクリートに囲まれて、正面の壁に大きなディスプレイが掛けられていた。その手前の椅子に、時田がゆったりと足を組んで座り、コーヒーを啜っていた。
「うわぁ、デスノートみたい」
私は巨大ディスプレイを見上げながら、時田の側に進んで行った。
「やや、いつの間に!」
時田はコーヒーを飲み込んで、私たちを振り返った。
「時田さん、もしかして、ずっとここにいたんですか?」
「まあ、そうですな」
時田は動揺するように、カイザー髭についたコーヒーを拭った。
ディスプレイは近付いてみると、映画観のスクリーンみたいに左右が視界に入らなくなる。200インチはありそうだ。
画面には巨大な糸色家の俯瞰地図が描かれていた。黒のバックに、建物と庭園の形が緑の線で描かれている。こうして見ると、糸色家はあまりにも広大で、RPGのマップを見ているような感覚だった。その黒と緑で構成された地図の中に、赤く光る点がちらちらと移動していた。
「これって、どういう仕組みなんですか?」
私は地図の全体を見上げながら質問した。
「実はこの屋敷には、土の下にセンサーが埋め込まれているんですよ。その上を通過すると、地図上に反応して赤く示される仕組みになっているんです」
時田は、落ち着きを取り戻すみたいに椅子に座りなおし、ディスプレイを振り返った。
「でも、それじゃ何でも感知しちゃうんじゃないですか? 屋敷には物がたくさんあるでしょうし、庭園に動物もいるみたいですし……」
私は視線を時田の肩辺りに移した。
「センサーが感知するのは、熱を持って移動しているものだけですよ。それにある程度の体重がなければなりません。その条件を満たせば、あとはコンピューターが追尾してくれます。キツネやタヌキ程度なら反応しませんし、屋敷に忍び込んだ盗賊が隠れていても、見つけ出すことができます」
時田は誇らしげな調子で説明してくれた。
私はなるほど、と感心の溜め息をついてディスプレイを見上げた。確かにこのシステムがあれば、現在のような警備が手薄な状況でも、安全を確保できそうだ。
緑の線で引かれた屋敷の中を、いくつもの赤い点が移動している。屋敷の外縁で移動しているのは、多分警備の人たちだろう。庭園のほうで激しく動いている点は、多分、千里とまといだ。客間で停止している二つの点は、眠っている芽留とマリアだ。庭園をゆったりと探るように動いているのはあびるだろう。客間に近い部屋で停止している点は、カエレだ。屋敷の中を、慎重に進んだり停止している点があった。多分、あれが隠れている糸色先生だろう。
私はそんなふうに、点の一つ一つに人物を当てはめていった。しかし、ふと奇妙な違和感に気付いた。
「あれ? なんだろう。……9人。1人、多い?」
私は呟いて、点の一つ一つを改めて数えようとした。でも、勘違いだったのだろうか。点の数はやはり8人だった。
「それはそうだよ。だって、屋敷にいるのは、私たちだけじゃないんだよ」
可符香は朗らかに微笑んで私の間違いを指摘した。
「ああ、そっか。ごめん、やっぱ勘違いだ」
私はごまかすように笑った。
「うむ。そうですぞ。屋敷には今、見合いの儀を終了させるために、多くの刺客を潜り込ませておるのです。
不良(ガンを飛ばす)
サッカー選手(アイコンタクト)
子供(ジーッと見る)
杉様(流し目)
田代氏(覗き)
この日のために、“見合い系サイト”で収集した見るプロたちでございます。望ぼっちゃまには、今年こそは結婚していただきます!」
時田の堂々たる宣言が、秘密の空間内に轟いた。
「あの、それって、ただの嫌がらせですよね」
私は笑顔を引き攣らせて、時田の背中を振り向いた。というか、田代って見る場所が違うんじゃないの?
「わかります?」
時田がこちらに横顔を見せて、にやっと微笑んだ。
次回 P035 第4章 見合う前に跳べ11 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P034 第4章 見合う前に跳べ
10
隠し部屋は、すぐ下に折れて、梯子で繋がっていた。可符香が梯子を降りていった。私はちょっと恐かったけど、掛け軸をめくって梯子を降りていった。
下まで降りると、天井の低い入口が目の前にあって、そこをくぐった先が部屋になっていた。
部屋は広く、そのかわりみたいに天井が低かった。私でもジャンプすれば手がつきそうだった。四方がコンクリートに囲まれて、正面の壁に大きなディスプレイが掛けられていた。その手前の椅子に、時田がゆったりと足を組んで座り、コーヒーを啜っていた。
「うわぁ、デスノートみたい」
私は巨大ディスプレイを見上げながら、時田の側に進んで行った。
「やや、いつの間に!」
時田はコーヒーを飲み込んで、私たちを振り返った。
「時田さん、もしかして、ずっとここにいたんですか?」
「まあ、そうですな」
時田は動揺するように、カイザー髭についたコーヒーを拭った。
ディスプレイは近付いてみると、映画観のスクリーンみたいに左右が視界に入らなくなる。200インチはありそうだ。
画面には巨大な糸色家の俯瞰地図が描かれていた。黒のバックに、建物と庭園の形が緑の線で描かれている。こうして見ると、糸色家はあまりにも広大で、RPGのマップを見ているような感覚だった。その黒と緑で構成された地図の中に、赤く光る点がちらちらと移動していた。
「これって、どういう仕組みなんですか?」
私は地図の全体を見上げながら質問した。
「実はこの屋敷には、土の下にセンサーが埋め込まれているんですよ。その上を通過すると、地図上に反応して赤く示される仕組みになっているんです」
時田は、落ち着きを取り戻すみたいに椅子に座りなおし、ディスプレイを振り返った。
「でも、それじゃ何でも感知しちゃうんじゃないですか? 屋敷には物がたくさんあるでしょうし、庭園に動物もいるみたいですし……」
私は視線を時田の肩辺りに移した。
「センサーが感知するのは、熱を持って移動しているものだけですよ。それにある程度の体重がなければなりません。その条件を満たせば、あとはコンピューターが追尾してくれます。キツネやタヌキ程度なら反応しませんし、屋敷に忍び込んだ盗賊が隠れていても、見つけ出すことができます」
時田は誇らしげな調子で説明してくれた。
私はなるほど、と感心の溜め息をついてディスプレイを見上げた。確かにこのシステムがあれば、現在のような警備が手薄な状況でも、安全を確保できそうだ。
緑の線で引かれた屋敷の中を、いくつもの赤い点が移動している。屋敷の外縁で移動しているのは、多分警備の人たちだろう。庭園のほうで激しく動いている点は、多分、千里とまといだ。客間で停止している二つの点は、眠っている芽留とマリアだ。庭園をゆったりと探るように動いているのはあびるだろう。客間に近い部屋で停止している点は、カエレだ。屋敷の中を、慎重に進んだり停止している点があった。多分、あれが隠れている糸色先生だろう。
私はそんなふうに、点の一つ一つに人物を当てはめていった。しかし、ふと奇妙な違和感に気付いた。
「あれ? なんだろう。……9人。1人、多い?」
私は呟いて、点の一つ一つを改めて数えようとした。でも、勘違いだったのだろうか。点の数はやはり8人だった。
「それはそうだよ。だって、屋敷にいるのは、私たちだけじゃないんだよ」
可符香は朗らかに微笑んで私の間違いを指摘した。
「ああ、そっか。ごめん、やっぱ勘違いだ」
私はごまかすように笑った。
「うむ。そうですぞ。屋敷には今、見合いの儀を終了させるために、多くの刺客を潜り込ませておるのです。
不良(ガンを飛ばす)
サッカー選手(アイコンタクト)
子供(ジーッと見る)
杉様(流し目)
田代氏(覗き)
この日のために、“見合い系サイト”で収集した見るプロたちでございます。望ぼっちゃまには、今年こそは結婚していただきます!」
時田の堂々たる宣言が、秘密の空間内に轟いた。
「あの、それって、ただの嫌がらせですよね」
私は笑顔を引き攣らせて、時田の背中を振り向いた。というか、田代って見る場所が違うんじゃないの?
「わかります?」
時田がこちらに横顔を見せて、にやっと微笑んだ。
次回 P035 第4章 見合う前に跳べ11 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
■2009/08/24 (Mon)
映画:外国映画■
「今、世界には5億5000万丁の銃がある。ざっと12人に1丁の計算だ。残る課題は――1人1丁の世界」
夥しい薬莢の上に立つユーリー。いかにも典型的なサラリーマン風情といった感じだ。思考回路もサラリーマン的で、商品をいくら売っていくら儲けるしか考えがない。
ユーリーは、幼い頃、家族と一緒にアメリカに渡って来た。
20歳を過ぎるまで、ユーリーはその町が、人生の終点だと思っていた。
ある日、ロシア人レストランで、銃撃戦を目撃する。
ユーリーは、本物の銃撃戦に衝撃的なものを受け、武器での商売を思いつく。
『武器』は魅力的なアイテムである。形としても洗練され芸術的に美しく、自身の肉体を補強してくれそうな幻想を与えてくれる。だが魅力的ゆえに、『武器』は危険でもある。
ユーリーには、武器商人の才能があった。
商売を始めると、ユーリーは瞬く間に成功し、ライバルたちを次々と追い抜いていく。
やがて経済的にも豊かになり、ずっと片思いだったエヴァとも結婚。何もかもが順風に思えた。
しかし、インターポールのバレンタインが、ユーリーを執拗に追い始める。
成功に思えた仕事と暮らしが、少しずつ綻び、崩壊していく。
映画は断片的だが少年兵について触れられる。簡単に人を殺傷できる武器が大量に流通すると、どうなるか。兵士は大人である必要はなくなる。ユーリーの弟という設定のジャレット・レトだが、似ていない。
人間には、得手不得手というものがある。
才能が見出されると、どんな人も情熱的になり、仕事に熱中するようになる。
人には“天職”が必要だ。ユーリーの場合、それが武器商人だった。
武器を見る目利きとしての力。商売口上のセンス。危機を乗り切る、とっさのユーモア。
なにもかもが、武器商人に必要な才能だった。ユーリーは、潜在的にその才能を備えていた。
武器商人として成功していくと、自信とともに傲慢さを身につけていく。商人にモラルは問えるのか?右はアメリカの商人がレーニン像に尻を置いて稼ぎを計算している図。この映画中でも改心のショットだ。
事実に基づく映画だが、物語はやや非現実的に映る。
あまりにも物事がうまく行くし、ウクライナの武器庫へ入っていく場面は「まさか」と思う。
しかし、どの描写も事実らしい。冷戦終結後、格納庫の武器は大量に“どこかに”流出している。
映画は、戦争を題材にしているとは思えないくらい陽気で、リズミカルで、ユーモアに満ちている。前半だけ鑑賞すると、おしゃれな映画でも見ているような気分になる。
左はアメリカ軍が戦地で放置した大量の武器。右は武器の青空市に群がるアフリカ人たち。どこまで実際に基づいて描かれているのだろう、と思わせる場面だ。
だが、これはもう一つの戦争の実態を描いた作品だ。
“なぜ戦争はなくならないのか”
それは武器を売る人間がいるからだ。武器で大儲けできる人がいるからだ。
しかもそういう人達が、我々の頭上で政治を担っている。
国のトップにいる人達こそが、平和を望まぬのだ。
左のカットは多分、大きな十字架だろう。後半は売っている商品に対する罪悪の話になる。だが、もっとも大きな権力が、ユーリーの引退を決して認めない。巨大な力は、巨大な権力の中へ入っていく。
武器商人に必要なのは、多分、無関心と無知だ。
罪の意識や、後ろめたさ。そんなものがあると、当然だが戦争を商売になどできない。
銃撃戦を見るたびに、札束が舞う…。そんなイメージがないと、武器商人は務まらない。
彼らは、自分たちが決して危害を受けない場所で、戦争のたびにいくら儲かるのかそろばんを弾く。
いつか自分が売った武器が、自分を殺すかもしれない。
戦争と死は、彼らの手で広まり、いつか自分のところに返ってくる。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:アンドリュー・ニコル
音楽:アントニオ・ピント
出演:ニコラス・ケイジ イーサン・ホーク
ブリジット・モイナハン ジャレッド・レトー
イアン・ホルム ドナルド・サザーランド
夥しい薬莢の上に立つユーリー。いかにも典型的なサラリーマン風情といった感じだ。思考回路もサラリーマン的で、商品をいくら売っていくら儲けるしか考えがない。
ユーリーは、幼い頃、家族と一緒にアメリカに渡って来た。
20歳を過ぎるまで、ユーリーはその町が、人生の終点だと思っていた。
ある日、ロシア人レストランで、銃撃戦を目撃する。
ユーリーは、本物の銃撃戦に衝撃的なものを受け、武器での商売を思いつく。
『武器』は魅力的なアイテムである。形としても洗練され芸術的に美しく、自身の肉体を補強してくれそうな幻想を与えてくれる。だが魅力的ゆえに、『武器』は危険でもある。
ユーリーには、武器商人の才能があった。
商売を始めると、ユーリーは瞬く間に成功し、ライバルたちを次々と追い抜いていく。
やがて経済的にも豊かになり、ずっと片思いだったエヴァとも結婚。何もかもが順風に思えた。
しかし、インターポールのバレンタインが、ユーリーを執拗に追い始める。
成功に思えた仕事と暮らしが、少しずつ綻び、崩壊していく。
映画は断片的だが少年兵について触れられる。簡単に人を殺傷できる武器が大量に流通すると、どうなるか。兵士は大人である必要はなくなる。ユーリーの弟という設定のジャレット・レトだが、似ていない。
人間には、得手不得手というものがある。
才能が見出されると、どんな人も情熱的になり、仕事に熱中するようになる。
人には“天職”が必要だ。ユーリーの場合、それが武器商人だった。
武器を見る目利きとしての力。商売口上のセンス。危機を乗り切る、とっさのユーモア。
なにもかもが、武器商人に必要な才能だった。ユーリーは、潜在的にその才能を備えていた。
武器商人として成功していくと、自信とともに傲慢さを身につけていく。商人にモラルは問えるのか?右はアメリカの商人がレーニン像に尻を置いて稼ぎを計算している図。この映画中でも改心のショットだ。
事実に基づく映画だが、物語はやや非現実的に映る。
あまりにも物事がうまく行くし、ウクライナの武器庫へ入っていく場面は「まさか」と思う。
しかし、どの描写も事実らしい。冷戦終結後、格納庫の武器は大量に“どこかに”流出している。
映画は、戦争を題材にしているとは思えないくらい陽気で、リズミカルで、ユーモアに満ちている。前半だけ鑑賞すると、おしゃれな映画でも見ているような気分になる。
左はアメリカ軍が戦地で放置した大量の武器。右は武器の青空市に群がるアフリカ人たち。どこまで実際に基づいて描かれているのだろう、と思わせる場面だ。
だが、これはもう一つの戦争の実態を描いた作品だ。
“なぜ戦争はなくならないのか”
それは武器を売る人間がいるからだ。武器で大儲けできる人がいるからだ。
しかもそういう人達が、我々の頭上で政治を担っている。
国のトップにいる人達こそが、平和を望まぬのだ。
左のカットは多分、大きな十字架だろう。後半は売っている商品に対する罪悪の話になる。だが、もっとも大きな権力が、ユーリーの引退を決して認めない。巨大な力は、巨大な権力の中へ入っていく。
武器商人に必要なのは、多分、無関心と無知だ。
罪の意識や、後ろめたさ。そんなものがあると、当然だが戦争を商売になどできない。
銃撃戦を見るたびに、札束が舞う…。そんなイメージがないと、武器商人は務まらない。
彼らは、自分たちが決して危害を受けない場所で、戦争のたびにいくら儲かるのかそろばんを弾く。
いつか自分が売った武器が、自分を殺すかもしれない。
戦争と死は、彼らの手で広まり、いつか自分のところに返ってくる。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:アンドリュー・ニコル
音楽:アントニオ・ピント
出演:ニコラス・ケイジ イーサン・ホーク
ブリジット・モイナハン ジャレッド・レトー
イアン・ホルム ドナルド・サザーランド
■
つづきはこちら
■2009/08/24 (Mon)
劇場アニメ■
月の光が暗い水面に落ちていた。水の中から突き出るように立っている建物が、暗い影を落としている。コリンは、その一つに目を向けた。デパートだったらしい建物の屋上で、赤い炎が浮かんでいる。冷たく沈黙した夜に、猥雑な笑い声を投げかけていた。
コリンは、ボートをデパートのほうへ向けた。水は2階駐車場まで入り込んでいる。コリンは駐車場へ入っていき、ボートを止めた。
駐車場から中へ入っていった。内部は荒廃を極め、活動しているものは一つとして見当たらない。天井から、ミイラ化した死体が吊り下げられているのが見えた。
「よく飽きないもんだ」
死体の一つが、コリンにくるりと首を向けてにやりと微笑みかけた。
「お前もだ」
コリンは無感情に呟いて、死体のそばを通り過ぎた。
屋上に達すると、焚き火を囲んだ一団が見えた。死体を焼いてバーベキューをやっていた。コリンは警戒心を抱かず、ごろつきたちの中へ入っていった。
「なんだ、貴様は?」
男の一人がコリンの前に進み出た。頭に角がある、畸形だった。
ごろつきたちがコリンの周囲に集ってきた。いずれも異形の姿をしていて、まともな人間は一人としていなかった。
「気にするな。人を探しているだけだ」
コリンは冷静に集ってきたごろつきの顔を一つ一つ確かめた。
――妙だ。確かにあいつの気配を感じたのに。
「いい度胸だ。誰を探しているって?」
角をつけた男がコリンに掴みかかろうとした。
コリンは刀を抜いた。刃が素早く走る。次の瞬間には、男の腕が切り裂かれて地面に落ちた。
ごろつきたちの顔に恐怖が浮かんだ。さっきまでの勢いはなくなり、散り散りになってコリンから逃げ出した。
その時だ。あの気配だ。コリンはただならぬ物を察して、欄干の側に駐車しているトラックに目を向けた。
「俺の名はマライケ。ただの賞金稼ぎかと思ったら、“同属”がやってきたとはな」
トラックから大男が現れた。手にしているのは、鋭い刃を持った異様に大きさのチェーンソーだった。
「悪いが人違いだった」
コリンはマライケを充分警戒した。
「シティが俺に賭けた1万ドルの賞金も諦めるのか?」
「酒代には多すぎる」
マライケがチェーンソーを起動させた。刃が物凄い速度で回転を始める。
マライケが突進した。コリンは避けつつ、刀で牽制した。火花が散った。マライケはさらにコリンを追撃した。巨大なチェーンソーが振り落とされる。コリンは刀で受け止めた。
「俺は500年生きてきたが、貴様ほどの奴は初めてだ! 楽しいぜ!」
マライケが筋肉質の顔を恍惚にゆがめた。
「だが生き残りし者は一人だ!」
マライケが腕に力を込めた。コリンの体が吹っ飛んだ。コリンはガラスの天井を突き破って、デパートの中へ落ちた。
マライケがチェーンソーを手に飛び降りてきた。コリンは神経を研ぎ澄ませて身構えた。マライケの巨体が迫る。巨大なチェーンソーが唸りを上げて迫った。
瞬間、青い火花が飛び散った。
デパートの中は、廃墟としての沈黙を取り戻した。
「……ば、馬鹿な。お前はいったい」
マライケの首に、切れ目が走り、頭がずるりと落ちた。
「コリン・マクラード……。マクラード一族のコリンだ」
コリンはエスカレーターに着地して、静かに言い放った。
マライケの体から電流が溢れ出した。電流はデパート全体を走り、コリンの体に注がれた。溢れ出るエネルギーはそれでも収まらず、天上を貫き、雷を逆さまに迸らせた。
左は日本人の伽羅。戦国時代、武将だったマライケに見出され、愛人となる。伽羅は不死族だ。右はドルイドのアメルガン。主人公の導き手となるが、行動原理を含めて何者なのか不明。
主人公コリンは不死族である。首を落とされぬ限り、どんな怪我を負っても決して死なないし、寿命から解放されている。
不死族は不死身であるが、同時に戦士としての宿命を背負う。それは不死族同士の決して避けられない戦いだ。
不死族は相手の首を切った直後、その体から生命エネルギーを放ち、それを浴びるとより強い力を得られる。だから不死族は、より強い力を得るために、不死族同士殺し合いを続ける。
ただし、その舞台が聖域である場合、戦いに一時の休息が儲けられる。
また不死族は子供を作ることができない。
以上の三つが不死族に絡みつく絶対のルールである。だから不死族はより強いエネルギーを得るために、同じ不死族を求め続け、殺し合いを繰り広げる。
あらゆる時代を突き通して戦いが繰り広げられる。衣装や舞台や小道具…実写で同じ映画を製作すると、悪夢のような予算がかかっただろう。ロケーションの必要のないアニメだからこそ、(低予算で)多次元的なイメージが重ねられるのだ。
不死族の宿命という以上に、主人公のコリンにはもう一つ運命を背負っていた。
それは今から2000年前、ローマ軍によるイングランド侵略だった。
間もなく迫ってくる2000人の大軍勢。抵抗するコリンが率いる軍団はわずか100人だった。
敗北が確定した戦い。それでもコリンは、一族の誇りをかけて戦うと決心していた。
しかし妻のモーヤは、ローマの将軍マルカスのもとへ一人で行き、戦いをやめるよう訴える。マルカスはそのモーヤを磔にし、コリンの村を襲い掛かった。
一夜明けて、村は壊滅。コリンだけが瓦礫の下に埋もれ、奇跡的に一命を取り留めた。だが、村の全ては滅ぼされ、顔を上げると、丘の上には磔にされて死んでいるモーヤがいた。
コリンはマルカスへの復讐を誓った。どこまでも追いかけて、必ずマルカスを殺す、と。
日本アニメ独特の決めカットが多いのが川尻監督流だ。前後のつながり以上に、絵画の強さを強調。動画作品というより、イラストレーションに近い完成度。ちなみに、影塗り分け意外は口紅を含めて殆ど実線。色彩の強烈さもあり、ポップアートの印象もある。
それから二人の宿命の戦いが始まる。互いに不死族同士だったコリントマルカス。戦いは場所を移し、時代を移しながら延々と続く。
聖十字軍の戦いであり、万里の長城を挟んだフン族との戦いであり、戦国時代の日本であり……。戦いの舞台は次第に現代に近付き、二つの大戦を乗り越えて近未来社会へと飛び越え、尚も戦いを繰り広げ続ける。
物語は直線的だし、世界観は典型的な世紀末風SFサイバーパンクである。映画『ハイランダー』独自の映像感、世界構造はそこにはない。いかにもどこかで見た、典型的なSF映画である。キャラクターも台詞も、『ハイランダー』独自の個性はどこにも見当たらない。
ただし、映像から感じるエネルギーは想像以上に鮮烈だ。
太く、濃い線でしつこいくらいに描かれたキャラクター。はっきりと切り分けられた色彩。アニメーションはどの瞬間も素晴らしい精度で完成され、見る者に一瞬の隙も許さない。
物語は単調だが、極限までに高められたアニメーション技術が、平凡さを鮮烈なビジョンへと押し上げている。
太く描かれた線と強烈な色彩で、見る者を唖然とさせるアニメーターの力技が炸裂する作品だ。
物語は直線的だし、設定は曖昧だし、こじつけにしか思えない部分はあるし、だが直線の勢いは凄まじい。「細かいことは良いんだ!」と制作者の強い言葉が聞こえる。『北斗の拳』シリーズが好きな人は理解できるかも?
物語はコリンとマルカスという二人の最強の男が出会い、戦い、決着が付けられるまでである。
単調そのものだし、結末はおおよそ想像がつく。
だが、尋常じゃない渦を巻くようなパッションが映像から溢れ出している。いつまでも続く戦い。終わりなき宿命の対決。世界戦争を経ても尚も戦いを選択し続ける男の物語。
そのドラマはとことん力強く、ビジュアル同様ぶっとい線で描かれ、嵐の勢いで流れ去ろうとする。気付けば最後の戦いが終わる瞬間まで、一時も目が離せない映像体験になっていた。
見終わった後も、しばらく体に熱が残る映画である。
監督:川尻義昭
脚本:デヴィッド・アブラモウィッツ
音楽:ユーシー・テジェルマン ネイサン・ワン
出演:小栗旬 山寺宏一 朴璐美 高山みなみ
林原めぐみ 富田耕作 日野由利加 石塚運昇
屋良有作 土師孝也 藤原啓治 小林沙苗
三宅健太 佐々木誠二 稲田徹 高瀬右光
佐藤智恵 麻生智久 金野潤 高橋研二
仁科洋平 平田絵里子 青木強 小林かつのり
園田秦隆 沢見幸徳 立岡耕造 中司優花
中上育実 高津原まり子 浅井麻理
コリンは、ボートをデパートのほうへ向けた。水は2階駐車場まで入り込んでいる。コリンは駐車場へ入っていき、ボートを止めた。
駐車場から中へ入っていった。内部は荒廃を極め、活動しているものは一つとして見当たらない。天井から、ミイラ化した死体が吊り下げられているのが見えた。
「よく飽きないもんだ」
死体の一つが、コリンにくるりと首を向けてにやりと微笑みかけた。
「お前もだ」
コリンは無感情に呟いて、死体のそばを通り過ぎた。
屋上に達すると、焚き火を囲んだ一団が見えた。死体を焼いてバーベキューをやっていた。コリンは警戒心を抱かず、ごろつきたちの中へ入っていった。
「なんだ、貴様は?」
男の一人がコリンの前に進み出た。頭に角がある、畸形だった。
ごろつきたちがコリンの周囲に集ってきた。いずれも異形の姿をしていて、まともな人間は一人としていなかった。
「気にするな。人を探しているだけだ」
コリンは冷静に集ってきたごろつきの顔を一つ一つ確かめた。
――妙だ。確かにあいつの気配を感じたのに。
「いい度胸だ。誰を探しているって?」
角をつけた男がコリンに掴みかかろうとした。
コリンは刀を抜いた。刃が素早く走る。次の瞬間には、男の腕が切り裂かれて地面に落ちた。
ごろつきたちの顔に恐怖が浮かんだ。さっきまでの勢いはなくなり、散り散りになってコリンから逃げ出した。
その時だ。あの気配だ。コリンはただならぬ物を察して、欄干の側に駐車しているトラックに目を向けた。
「俺の名はマライケ。ただの賞金稼ぎかと思ったら、“同属”がやってきたとはな」
トラックから大男が現れた。手にしているのは、鋭い刃を持った異様に大きさのチェーンソーだった。
「悪いが人違いだった」
コリンはマライケを充分警戒した。
「シティが俺に賭けた1万ドルの賞金も諦めるのか?」
「酒代には多すぎる」
マライケがチェーンソーを起動させた。刃が物凄い速度で回転を始める。
マライケが突進した。コリンは避けつつ、刀で牽制した。火花が散った。マライケはさらにコリンを追撃した。巨大なチェーンソーが振り落とされる。コリンは刀で受け止めた。
「俺は500年生きてきたが、貴様ほどの奴は初めてだ! 楽しいぜ!」
マライケが筋肉質の顔を恍惚にゆがめた。
「だが生き残りし者は一人だ!」
マライケが腕に力を込めた。コリンの体が吹っ飛んだ。コリンはガラスの天井を突き破って、デパートの中へ落ちた。
マライケがチェーンソーを手に飛び降りてきた。コリンは神経を研ぎ澄ませて身構えた。マライケの巨体が迫る。巨大なチェーンソーが唸りを上げて迫った。
瞬間、青い火花が飛び散った。
デパートの中は、廃墟としての沈黙を取り戻した。
「……ば、馬鹿な。お前はいったい」
マライケの首に、切れ目が走り、頭がずるりと落ちた。
「コリン・マクラード……。マクラード一族のコリンだ」
コリンはエスカレーターに着地して、静かに言い放った。
マライケの体から電流が溢れ出した。電流はデパート全体を走り、コリンの体に注がれた。溢れ出るエネルギーはそれでも収まらず、天上を貫き、雷を逆さまに迸らせた。
左は日本人の伽羅。戦国時代、武将だったマライケに見出され、愛人となる。伽羅は不死族だ。右はドルイドのアメルガン。主人公の導き手となるが、行動原理を含めて何者なのか不明。
主人公コリンは不死族である。首を落とされぬ限り、どんな怪我を負っても決して死なないし、寿命から解放されている。
不死族は不死身であるが、同時に戦士としての宿命を背負う。それは不死族同士の決して避けられない戦いだ。
不死族は相手の首を切った直後、その体から生命エネルギーを放ち、それを浴びるとより強い力を得られる。だから不死族は、より強い力を得るために、不死族同士殺し合いを続ける。
ただし、その舞台が聖域である場合、戦いに一時の休息が儲けられる。
また不死族は子供を作ることができない。
以上の三つが不死族に絡みつく絶対のルールである。だから不死族はより強いエネルギーを得るために、同じ不死族を求め続け、殺し合いを繰り広げる。
あらゆる時代を突き通して戦いが繰り広げられる。衣装や舞台や小道具…実写で同じ映画を製作すると、悪夢のような予算がかかっただろう。ロケーションの必要のないアニメだからこそ、(低予算で)多次元的なイメージが重ねられるのだ。
不死族の宿命という以上に、主人公のコリンにはもう一つ運命を背負っていた。
それは今から2000年前、ローマ軍によるイングランド侵略だった。
間もなく迫ってくる2000人の大軍勢。抵抗するコリンが率いる軍団はわずか100人だった。
敗北が確定した戦い。それでもコリンは、一族の誇りをかけて戦うと決心していた。
しかし妻のモーヤは、ローマの将軍マルカスのもとへ一人で行き、戦いをやめるよう訴える。マルカスはそのモーヤを磔にし、コリンの村を襲い掛かった。
一夜明けて、村は壊滅。コリンだけが瓦礫の下に埋もれ、奇跡的に一命を取り留めた。だが、村の全ては滅ぼされ、顔を上げると、丘の上には磔にされて死んでいるモーヤがいた。
コリンはマルカスへの復讐を誓った。どこまでも追いかけて、必ずマルカスを殺す、と。
日本アニメ独特の決めカットが多いのが川尻監督流だ。前後のつながり以上に、絵画の強さを強調。動画作品というより、イラストレーションに近い完成度。ちなみに、影塗り分け意外は口紅を含めて殆ど実線。色彩の強烈さもあり、ポップアートの印象もある。
それから二人の宿命の戦いが始まる。互いに不死族同士だったコリントマルカス。戦いは場所を移し、時代を移しながら延々と続く。
聖十字軍の戦いであり、万里の長城を挟んだフン族との戦いであり、戦国時代の日本であり……。戦いの舞台は次第に現代に近付き、二つの大戦を乗り越えて近未来社会へと飛び越え、尚も戦いを繰り広げ続ける。
物語は直線的だし、世界観は典型的な世紀末風SFサイバーパンクである。映画『ハイランダー』独自の映像感、世界構造はそこにはない。いかにもどこかで見た、典型的なSF映画である。キャラクターも台詞も、『ハイランダー』独自の個性はどこにも見当たらない。
ただし、映像から感じるエネルギーは想像以上に鮮烈だ。
太く、濃い線でしつこいくらいに描かれたキャラクター。はっきりと切り分けられた色彩。アニメーションはどの瞬間も素晴らしい精度で完成され、見る者に一瞬の隙も許さない。
物語は単調だが、極限までに高められたアニメーション技術が、平凡さを鮮烈なビジョンへと押し上げている。
太く描かれた線と強烈な色彩で、見る者を唖然とさせるアニメーターの力技が炸裂する作品だ。
物語は直線的だし、設定は曖昧だし、こじつけにしか思えない部分はあるし、だが直線の勢いは凄まじい。「細かいことは良いんだ!」と制作者の強い言葉が聞こえる。『北斗の拳』シリーズが好きな人は理解できるかも?
物語はコリンとマルカスという二人の最強の男が出会い、戦い、決着が付けられるまでである。
単調そのものだし、結末はおおよそ想像がつく。
だが、尋常じゃない渦を巻くようなパッションが映像から溢れ出している。いつまでも続く戦い。終わりなき宿命の対決。世界戦争を経ても尚も戦いを選択し続ける男の物語。
そのドラマはとことん力強く、ビジュアル同様ぶっとい線で描かれ、嵐の勢いで流れ去ろうとする。気付けば最後の戦いが終わる瞬間まで、一時も目が離せない映像体験になっていた。
見終わった後も、しばらく体に熱が残る映画である。
監督:川尻義昭
脚本:デヴィッド・アブラモウィッツ
音楽:ユーシー・テジェルマン ネイサン・ワン
出演:小栗旬 山寺宏一 朴璐美 高山みなみ
林原めぐみ 富田耕作 日野由利加 石塚運昇
屋良有作 土師孝也 藤原啓治 小林沙苗
三宅健太 佐々木誠二 稲田徹 高瀬右光
佐藤智恵 麻生智久 金野潤 高橋研二
仁科洋平 平田絵里子 青木強 小林かつのり
園田秦隆 沢見幸徳 立岡耕造 中司優花
中上育実 高津原まり子 浅井麻理