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■2009/08/27 (Thu)
映画:日本映画■
荒野に、取り残されたような家が一つ。すでに荒らされて、家主が家の前に倒れていた。
家主は額を一発撃ち抜かれて死んでいた。
そんな荒んだ場所を背景にしながら、男が一人、静けさを讃えて座っていた。男の前には鍋が用意され、鍋は焚き火の炎に当てられていた。鍋の中の豚肉や焼き豆腐が、いよいよぐつぐつと踊り始めようとしている。
男の背後に、気配が忍び寄った。一人、二人、三人。リッチとその手下たちだ。
リッチたちは気配を隠そうとせず、堂々と拍車の音を鳴らし男歩み寄り、撃鉄をあげる音を聞かせた。
「ピリンゴ。探したぜ。お前もここで終わりだ」
リッチは今にも上擦りそうな声で、勝利を宣言した。
そのとき、砂を交えた風に、鐘の音がひっそりと混じった。
「何の音だ?」
リッチがにわかに動揺を示して、音の方角を探ろうとした。
「祇園精舎の鐘の音」
ピリンゴがようやく口を開いた。だがその眼差しは、ピリンゴを取り囲む男たちではなく、鍋の具合に注がれている。
「なに?」
「源氏と平家を知っているか? 遠い島国で、赤と白に分かれて戦った」
ピリンゴは淡々とした静けさを纏いながら、掌の中の卵をいじった。
「どっちが勝った。白か」
リッチはピリンゴを追い詰めるように、二歩、接近した。
「決戦の地は壇ノ浦。赤い平家は、白い源氏に破れた。その物語は、このように始まる。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す
奢れる者も久しからず ただ春の夜の夢の如し
偏に風の前の塵に同じ……」
タイトルに『スキヤキ』の名前が入れられたのは、西部劇の通称が『マカロニ』だからだ。成程『スキヤキ』の呼称がぴったりの、ごった煮の映画だ。
宿場町“根畑(ネヴァダ)”。
そこは不法者に占拠されて、治安を失った町だった。
中心となるのは平家と源氏とよばれる二つの勢力で、毎日のように殺伐とした殺し合いを繰り広げていた。
そんな宿場町に、一人の流れ者がやってくる。男は決して名を名乗らず、宿場町の渾沌を浄化しようと立ち上がる。
『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』はそんな冒頭で始まる西部劇映画だ。
物語の骨格はダシール・ハメットの『血の収穫』をベースにしている。
かつて黒澤明監督が『用心棒』の原作に採用した作品で、いまやハードボイルド・アクションドラマのオリジナルとして掲げられている小説だ。
『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』はあまりにも奇抜な設定とシチュエーション満載で描かれるが、物語自体は、躊躇いもなく王道を突き進んだ映画だ。
“静”から“動”へ、渾沌へと流れていく描写は、三池監督の特徴だ。三池監督には、かつて職業映画監督が持っていた気質を感じる。今、自在にエンターティンメントを作れる数少ない映画監督だ。
「SF映画は英語圏文化の産物であって、日本語で撮影できない」
とは某映画監督の言葉だ。
同じ理由で、西部劇も英語圏文化の産物であって、銃社会の歴史を持たない日本では、西部劇は撮影できない。
もし日本語で制作しても、奇怪なイミテーションができあがるに決まっている。
アメリカがSFという舞台を採用しなければ、チャンバラ映画『スター・ウォーズ』を製作できなかったのと、同じ理由だ。
だから『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』は、日米の文化が奇怪な感性が入り混じって作られている。
出演俳優のほとんどは日本人だが、英語で喋り、西洋の衣装を身にまとっている。
後半に進むほど、コメディタッチ(開き直り)の度合いが強くなる。そもそもまともでない設計の映画に、まともな展開を求めてはいけない。コメディともシリアスとも言わない、形容しづらい映画だ。
映画『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』は、あまりにも独特の感性で製作された映画だ。
舞台となる宿場町の風景は細部まで描かれて、重量感のあるリアリズムで描かれている。
だが、何かがおかしい。いや、全てがおかしい。
そもそも、日本人俳優が英語で演技している時点で、『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』は奇怪な映画として運命を宿命付けられているのだ。
だから映画制作者たちは、気持ちのいいくらい、開き直って奇怪なものを奇怪なものとして描いている。
『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』の感性は、とどめる物はなく放出され、それが見事なまでの痛快さを演出している。
『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』が本当に融合させたのは、日米の文化ではなく、映画的リアリズムと、多分、おふざけだ。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:三池崇史 原作:ダシール・ハメット
音楽:遠藤浩二 脚本:NAKA雅MURA
出演:伊藤英明 佐藤浩市 伊勢谷友介 安藤政信
堺雅人 小栗旬 田中要次 石橋貴明
木村佳乃 内田流果 溝口琢矢 稲宮誠
クエンティ・タランティーノ
家主は額を一発撃ち抜かれて死んでいた。
そんな荒んだ場所を背景にしながら、男が一人、静けさを讃えて座っていた。男の前には鍋が用意され、鍋は焚き火の炎に当てられていた。鍋の中の豚肉や焼き豆腐が、いよいよぐつぐつと踊り始めようとしている。
男の背後に、気配が忍び寄った。一人、二人、三人。リッチとその手下たちだ。
リッチたちは気配を隠そうとせず、堂々と拍車の音を鳴らし男歩み寄り、撃鉄をあげる音を聞かせた。
「ピリンゴ。探したぜ。お前もここで終わりだ」
リッチは今にも上擦りそうな声で、勝利を宣言した。
そのとき、砂を交えた風に、鐘の音がひっそりと混じった。
「何の音だ?」
リッチがにわかに動揺を示して、音の方角を探ろうとした。
「祇園精舎の鐘の音」
ピリンゴがようやく口を開いた。だがその眼差しは、ピリンゴを取り囲む男たちではなく、鍋の具合に注がれている。
「なに?」
「源氏と平家を知っているか? 遠い島国で、赤と白に分かれて戦った」
ピリンゴは淡々とした静けさを纏いながら、掌の中の卵をいじった。
「どっちが勝った。白か」
リッチはピリンゴを追い詰めるように、二歩、接近した。
「決戦の地は壇ノ浦。赤い平家は、白い源氏に破れた。その物語は、このように始まる。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す
奢れる者も久しからず ただ春の夜の夢の如し
偏に風の前の塵に同じ……」
タイトルに『スキヤキ』の名前が入れられたのは、西部劇の通称が『マカロニ』だからだ。成程『スキヤキ』の呼称がぴったりの、ごった煮の映画だ。
宿場町“根畑(ネヴァダ)”。
そこは不法者に占拠されて、治安を失った町だった。
中心となるのは平家と源氏とよばれる二つの勢力で、毎日のように殺伐とした殺し合いを繰り広げていた。
そんな宿場町に、一人の流れ者がやってくる。男は決して名を名乗らず、宿場町の渾沌を浄化しようと立ち上がる。
『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』はそんな冒頭で始まる西部劇映画だ。
物語の骨格はダシール・ハメットの『血の収穫』をベースにしている。
かつて黒澤明監督が『用心棒』の原作に採用した作品で、いまやハードボイルド・アクションドラマのオリジナルとして掲げられている小説だ。
『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』はあまりにも奇抜な設定とシチュエーション満載で描かれるが、物語自体は、躊躇いもなく王道を突き進んだ映画だ。
“静”から“動”へ、渾沌へと流れていく描写は、三池監督の特徴だ。三池監督には、かつて職業映画監督が持っていた気質を感じる。今、自在にエンターティンメントを作れる数少ない映画監督だ。
「SF映画は英語圏文化の産物であって、日本語で撮影できない」
とは某映画監督の言葉だ。
同じ理由で、西部劇も英語圏文化の産物であって、銃社会の歴史を持たない日本では、西部劇は撮影できない。
もし日本語で制作しても、奇怪なイミテーションができあがるに決まっている。
アメリカがSFという舞台を採用しなければ、チャンバラ映画『スター・ウォーズ』を製作できなかったのと、同じ理由だ。
だから『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』は、日米の文化が奇怪な感性が入り混じって作られている。
出演俳優のほとんどは日本人だが、英語で喋り、西洋の衣装を身にまとっている。
後半に進むほど、コメディタッチ(開き直り)の度合いが強くなる。そもそもまともでない設計の映画に、まともな展開を求めてはいけない。コメディともシリアスとも言わない、形容しづらい映画だ。
映画『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』は、あまりにも独特の感性で製作された映画だ。
舞台となる宿場町の風景は細部まで描かれて、重量感のあるリアリズムで描かれている。
だが、何かがおかしい。いや、全てがおかしい。
そもそも、日本人俳優が英語で演技している時点で、『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』は奇怪な映画として運命を宿命付けられているのだ。
だから映画制作者たちは、気持ちのいいくらい、開き直って奇怪なものを奇怪なものとして描いている。
『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』の感性は、とどめる物はなく放出され、それが見事なまでの痛快さを演出している。
『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』が本当に融合させたのは、日米の文化ではなく、映画的リアリズムと、多分、おふざけだ。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:三池崇史 原作:ダシール・ハメット
音楽:遠藤浩二 脚本:NAKA雅MURA
出演:伊藤英明 佐藤浩市 伊勢谷友介 安藤政信
堺雅人 小栗旬 田中要次 石橋貴明
木村佳乃 内田流果 溝口琢矢 稲宮誠
クエンティ・タランティーノ
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■2009/08/27 (Thu)
映画:日本映画■
下級武士である平松正四郎は、御勘定仕切りの監査で、城に三日間ぶっ通しで勤めていた。
そんな時、老職部屋の若い付番が、平松に声をかけた。田原様がお呼びです、という用向きだった。
正四郎が行ってみると、田原権右衛門はいきなり、
「お前の家にいるあの娘は、どういう関係の者だ」
と、厳しく問い詰める。
実は平松は、城代家老の娘との縁談話が決まったばかりだった。
そんなところに、家に見知らぬ女がいるとなると、大問題だ。
しかし正四郎は、三日間、城に務めきりなので、なんの話なのかさっぱりわからない。
御勘定仕切りの仕事を投げ出すわけにも行かず、正四郎が家に帰ったのは、その翌日のことだった。
謎の女は確かに家にいた。何日も旅してきたように服はボロボロで、飢えで倒れてしまう。しかも記憶喪失だ。この女は何者なのか。着ていた着物はどうやら武家のものらしい。針仕事をこなすなど、ヒントになりそうなものは多い。
正四郎が慌てて家に帰ると、確かに女はいた。
だが、女は記憶をなくしていて、何を尋ねても答えを返さない。
家扶の吉塚に尋ねるも、素性がわからず、わからないまま家にあげてしまった、と話す。
「これは、誰かのいたずらか、あるいは罠に違いない……」
そう考えた正四郎は、娘を一度追い出し、その後をつけてみることにした。
ところが娘は当てもなく歩き、ついには人気のない観音堂に入っていった。
そんな場所で娘は小さく震え、おかあさま、と呟く。
しかもそこに、駕籠かきの男が二人やってきて、娘に声をかける。
これはいけない、と思った平松正四郎は、娘の前に現れ「それは私の連れだ」と引き止める。
こうして、この謎の女は、平松の家で養われることとなった。
山本周五郎作品には、「下級武士の下に、ある日、女が訪ねてきて……」というシチュエーションは意外と多い。どれも傑作なのでお勧めだ。(ぱっとしない少年の下に美少女が訪ねる、という展開はアニメでも多いが。何か繋がるものでもあるのだろうか)
『その木戸を通って』この作品が制作されたのは、1993年8月だ。
だが、作品は一度BSで放送されたきり、完全に忘れられ、ビデオとして製品化すらされなかった。
皮肉にも、市川崑監督死去により、『その木戸を通って』は掘り起こされ、再び光に当てられることとなった。
制作当時の情緒や、幻想小説的な不可思議さは、まったく魔力を失われていない。
十数年の時が流れているが、そんな経過などまったく感じさせない傑作だ。
場面によって色彩がうまくコントロールされている。雨のシーンでは特に幻想的な雰囲気が出ている。ふさを中心に描く場面には、紫の色彩がよく使われている。
『その木戸を通って』は山本周五郎の小説を原作にした作品だ。
物語は、記憶喪失の女と、その女に恋心を抱く男のロマンスだ。
だが、『その木戸を通って』は解明の物語ではない。
女の失われた記憶が重要なのはもちろんだが、そのすべてがすっかり解明される物語ではない。
それゆえに、映画には幻想的な空気に満ちている。
記憶喪失という神秘を背負った女と、その周囲の人間の感情の動きを、映画は静かに描き、重ねていく。
映画版『その木戸を通って』では原作にはない、その後のエピソードが少し追加されている。2時間映画ならではの情緒を引く結末だ。小説版映画版どちらにおいても、静かな物語だが果てしないドラマを背景に予感させる作品になっている。
女はやがて“ふさ”の名前が与えられ、平松家での日常を順応していく。
それでも時々、ふさを過去の記憶が襲う。
ふさは、過去の記憶に怯えている。その記憶が、今の幸福な生活をすっかり奪い去っていくのでは、と怯えている。
幻想とは、一般に考えられているような明るいメルヘンではない。
人間精神の最も深い闇、猥雑で、おぞましい悪霊の潜む場所だ。
そんな場所で、子鬼達が人間の魂を戯れで秤にかけている。
映画は、時々、ふさの意識の内部へと潜り込んでいく。日常が覆いつくす現実に、幻想をひっそりと混じらせ、我々を“あちらの世界”へと引き込もうとする。
ふさは、あちらの世界の住人だ。だから幻想の景色がフレーム一杯に覆い、現実世界が失われたその時、ふさは“あちらの世界”へと去ってしまう。
“木戸”とは“ゲート”だ。
女は、やがてやってたときのように去っていく。名のなかった、謎の女だったときのように。
だが平松正四郎の心に、あるいは我々観客の心に、多くの痕跡を残していく。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:市川崑 原作:山本周五郎
音楽:谷川賢作 脚本:中村努
撮影:秋場武男 編集:長田千鶴子
出演:中井貴一 浅野ゆう子 フランキー堺 神山繁
市川比佐志 岸田今日子 石坂浩二 榎木孝明
そんな時、老職部屋の若い付番が、平松に声をかけた。田原様がお呼びです、という用向きだった。
正四郎が行ってみると、田原権右衛門はいきなり、
「お前の家にいるあの娘は、どういう関係の者だ」
と、厳しく問い詰める。
実は平松は、城代家老の娘との縁談話が決まったばかりだった。
そんなところに、家に見知らぬ女がいるとなると、大問題だ。
しかし正四郎は、三日間、城に務めきりなので、なんの話なのかさっぱりわからない。
御勘定仕切りの仕事を投げ出すわけにも行かず、正四郎が家に帰ったのは、その翌日のことだった。
謎の女は確かに家にいた。何日も旅してきたように服はボロボロで、飢えで倒れてしまう。しかも記憶喪失だ。この女は何者なのか。着ていた着物はどうやら武家のものらしい。針仕事をこなすなど、ヒントになりそうなものは多い。
正四郎が慌てて家に帰ると、確かに女はいた。
だが、女は記憶をなくしていて、何を尋ねても答えを返さない。
家扶の吉塚に尋ねるも、素性がわからず、わからないまま家にあげてしまった、と話す。
「これは、誰かのいたずらか、あるいは罠に違いない……」
そう考えた正四郎は、娘を一度追い出し、その後をつけてみることにした。
ところが娘は当てもなく歩き、ついには人気のない観音堂に入っていった。
そんな場所で娘は小さく震え、おかあさま、と呟く。
しかもそこに、駕籠かきの男が二人やってきて、娘に声をかける。
これはいけない、と思った平松正四郎は、娘の前に現れ「それは私の連れだ」と引き止める。
こうして、この謎の女は、平松の家で養われることとなった。
山本周五郎作品には、「下級武士の下に、ある日、女が訪ねてきて……」というシチュエーションは意外と多い。どれも傑作なのでお勧めだ。(ぱっとしない少年の下に美少女が訪ねる、という展開はアニメでも多いが。何か繋がるものでもあるのだろうか)
『その木戸を通って』この作品が制作されたのは、1993年8月だ。
だが、作品は一度BSで放送されたきり、完全に忘れられ、ビデオとして製品化すらされなかった。
皮肉にも、市川崑監督死去により、『その木戸を通って』は掘り起こされ、再び光に当てられることとなった。
制作当時の情緒や、幻想小説的な不可思議さは、まったく魔力を失われていない。
十数年の時が流れているが、そんな経過などまったく感じさせない傑作だ。
場面によって色彩がうまくコントロールされている。雨のシーンでは特に幻想的な雰囲気が出ている。ふさを中心に描く場面には、紫の色彩がよく使われている。
『その木戸を通って』は山本周五郎の小説を原作にした作品だ。
物語は、記憶喪失の女と、その女に恋心を抱く男のロマンスだ。
だが、『その木戸を通って』は解明の物語ではない。
女の失われた記憶が重要なのはもちろんだが、そのすべてがすっかり解明される物語ではない。
それゆえに、映画には幻想的な空気に満ちている。
記憶喪失という神秘を背負った女と、その周囲の人間の感情の動きを、映画は静かに描き、重ねていく。
映画版『その木戸を通って』では原作にはない、その後のエピソードが少し追加されている。2時間映画ならではの情緒を引く結末だ。小説版映画版どちらにおいても、静かな物語だが果てしないドラマを背景に予感させる作品になっている。
女はやがて“ふさ”の名前が与えられ、平松家での日常を順応していく。
それでも時々、ふさを過去の記憶が襲う。
ふさは、過去の記憶に怯えている。その記憶が、今の幸福な生活をすっかり奪い去っていくのでは、と怯えている。
幻想とは、一般に考えられているような明るいメルヘンではない。
人間精神の最も深い闇、猥雑で、おぞましい悪霊の潜む場所だ。
そんな場所で、子鬼達が人間の魂を戯れで秤にかけている。
映画は、時々、ふさの意識の内部へと潜り込んでいく。日常が覆いつくす現実に、幻想をひっそりと混じらせ、我々を“あちらの世界”へと引き込もうとする。
ふさは、あちらの世界の住人だ。だから幻想の景色がフレーム一杯に覆い、現実世界が失われたその時、ふさは“あちらの世界”へと去ってしまう。
“木戸”とは“ゲート”だ。
女は、やがてやってたときのように去っていく。名のなかった、謎の女だったときのように。
だが平松正四郎の心に、あるいは我々観客の心に、多くの痕跡を残していく。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:市川崑 原作:山本周五郎
音楽:谷川賢作 脚本:中村努
撮影:秋場武男 編集:長田千鶴子
出演:中井貴一 浅野ゆう子 フランキー堺 神山繁
市川比佐志 岸田今日子 石坂浩二 榎木孝明
■2009/08/27 (Thu)
映画:日本映画■
春野一は、田圃の脇の道を走っていた。
目の前の線路を、電車が駆け抜ける。
電車の中には、春野一が片思いをし続けた女の子が乗っていた。
その春、片思いだった女の子は転校してしまった。
一度も言葉を交わさないまま、春野一は失恋した。
冒頭の二つのデジタルカット。この二つのシーンだけでも映画の色調を解説している。デジタルの効果についても考えさせられる。デジタルは仰々しいエフェクトが全てではなく、作家の夢想世界を具現化するのにも役立つ。
春野幸子は、大きな自分が、自分を眺めるのに悩まされていた。
大きな自分は、どこにでも現れ、気付くと自分を見下ろしている。
いったいいつになったら、あの大きな自分が消えてくれるのか、春野幸子は考えていた。
恐怖映画の雰囲気で語られる、入れ墨と血まみれの男。だが、その頭にはうんこ。『茶の味』は小さな断片になった物語(キャラクター?)がいくつも並んでいるイメージだ。通常の連続した物語と少し違う趣向で作られている。
ある日、幸子は、アヤノおじさんと春野一の二人が話しているのを聞く。
「あの、お前がよく行っている瓢箪池ってあるだろ。あそこさ、昔、森だったんだ。“呪いの森”って言われててさあ、俺が小学校6年生の頃、俺、あそこで初めての野糞デビューしたんだよな」
その野糞を切っ掛けに、入れ墨をした血まみれの男が、アヤノおじさんの前に現われるようになった。
血まみれの男は、アヤノおじさんが逆上がりができるようになった瞬間、姿を消した。
春野幸子は、自分も逆上がりができるようになったら、大きな自分も消えるのでは、と考えるようになる。
幸子は、誰もいない空き地に鉄棒を見つける。物語とは主人公が何かを思い立ち、達成するまでの過程と経過と位置づけるならば、“逆上がり”はキーとなる。だが、この映画の場合、本質はもう少し別のところにありそうだ。
一方、春野一の高校に、女の子が転校してきた。
鈴石アオイ。
美人で、勝気な女の子だった。それに、趣味は自分と同じ囲碁だった。
春野一に、新たな恋の予感が巡ってきた。
漫画家のおじいちゃんは、アニメーター美子の師匠という設定。美子の下に、時々「アニメ監督」が訪れるが、その監督がまさかの庵野秀明。動画を見ている様子は、やはり自然だ。
映画は、春野一家の周辺を、静かに、つぶさに描いていく。
大きなドラマはなく、ただ過ぎ去って行く日々をのんびりと眺めていく。
ただし、ありふれた日常の物語とは少し違う。
映画の登場人物たちは、どこか不思議な人たちばかりだ。
大きな自分に見詰められている幸子。
かつて漫画家だったおじいちゃん。
アニメーターのお母さんの美子。
そんな一家のもとに集まり、訪れる人たちはみんなどこか変わっている。
映画は、そんな人々の日常を強調的に表現するわけでもなく、ドラマを組み立てるわけでもなく、のんびりとした時間の経過を描いていく。
加瀬亮、土屋アンナ、松山ケンイチ、轟木一騎(エヴァンゲリヲン新劇場版の監督助手)……改めて出演者を見ると、後に出世した人達がたくさん顔を並べている。そう思うと、なかなか貴重な作品だ。
一言で形容し、カテゴライズしづらい映画だ。
家族映画ではないし、青春映画ではないし、もちろんコメディ映画でもないし、恋愛映画でもなさそうだ。
“シュール”という便利な言葉はあるが、それはカテゴライズに失敗した言葉であって、何か特定の範疇を指す言葉ではない。
まず、物語の構成自体、通俗的な映画の手法とかなり違っている。
言葉はなに一つ解説せず、登場人物同士がどう連なっているのかほとんどわからない。
ドラマチックなクライマックスなども、もちろんない。
ただただ、とてつもなく不思議な景色が映画全体に溢れている。
この映画の感性を理解するのに、言葉は不十分だし、言葉の無力さを痛感せずに入られない。
とにかく自身の目で映画を見て、自身の感性で“何か”を感じるべきだろう。
映画記事一覧
作品データ
監督・原作・脚本:石井克人
音楽:リトルテンポ
出演:坂野真弥 佐藤貴広 浅野忠信 手塚理美
我修院達也 土屋アンナ 中嶋朋子 三浦友和
轟木一騎 加瀬亮 庵野秀明 岡田義徳
寺島進 武田真治 森山開次 松山ケンイチ
目の前の線路を、電車が駆け抜ける。
電車の中には、春野一が片思いをし続けた女の子が乗っていた。
その春、片思いだった女の子は転校してしまった。
一度も言葉を交わさないまま、春野一は失恋した。
冒頭の二つのデジタルカット。この二つのシーンだけでも映画の色調を解説している。デジタルの効果についても考えさせられる。デジタルは仰々しいエフェクトが全てではなく、作家の夢想世界を具現化するのにも役立つ。
春野幸子は、大きな自分が、自分を眺めるのに悩まされていた。
大きな自分は、どこにでも現れ、気付くと自分を見下ろしている。
いったいいつになったら、あの大きな自分が消えてくれるのか、春野幸子は考えていた。
恐怖映画の雰囲気で語られる、入れ墨と血まみれの男。だが、その頭にはうんこ。『茶の味』は小さな断片になった物語(キャラクター?)がいくつも並んでいるイメージだ。通常の連続した物語と少し違う趣向で作られている。
ある日、幸子は、アヤノおじさんと春野一の二人が話しているのを聞く。
「あの、お前がよく行っている瓢箪池ってあるだろ。あそこさ、昔、森だったんだ。“呪いの森”って言われててさあ、俺が小学校6年生の頃、俺、あそこで初めての野糞デビューしたんだよな」
その野糞を切っ掛けに、入れ墨をした血まみれの男が、アヤノおじさんの前に現われるようになった。
血まみれの男は、アヤノおじさんが逆上がりができるようになった瞬間、姿を消した。
春野幸子は、自分も逆上がりができるようになったら、大きな自分も消えるのでは、と考えるようになる。
幸子は、誰もいない空き地に鉄棒を見つける。物語とは主人公が何かを思い立ち、達成するまでの過程と経過と位置づけるならば、“逆上がり”はキーとなる。だが、この映画の場合、本質はもう少し別のところにありそうだ。
一方、春野一の高校に、女の子が転校してきた。
鈴石アオイ。
美人で、勝気な女の子だった。それに、趣味は自分と同じ囲碁だった。
春野一に、新たな恋の予感が巡ってきた。
漫画家のおじいちゃんは、アニメーター美子の師匠という設定。美子の下に、時々「アニメ監督」が訪れるが、その監督がまさかの庵野秀明。動画を見ている様子は、やはり自然だ。
映画は、春野一家の周辺を、静かに、つぶさに描いていく。
大きなドラマはなく、ただ過ぎ去って行く日々をのんびりと眺めていく。
ただし、ありふれた日常の物語とは少し違う。
映画の登場人物たちは、どこか不思議な人たちばかりだ。
大きな自分に見詰められている幸子。
かつて漫画家だったおじいちゃん。
アニメーターのお母さんの美子。
そんな一家のもとに集まり、訪れる人たちはみんなどこか変わっている。
映画は、そんな人々の日常を強調的に表現するわけでもなく、ドラマを組み立てるわけでもなく、のんびりとした時間の経過を描いていく。
加瀬亮、土屋アンナ、松山ケンイチ、轟木一騎(エヴァンゲリヲン新劇場版の監督助手)……改めて出演者を見ると、後に出世した人達がたくさん顔を並べている。そう思うと、なかなか貴重な作品だ。
一言で形容し、カテゴライズしづらい映画だ。
家族映画ではないし、青春映画ではないし、もちろんコメディ映画でもないし、恋愛映画でもなさそうだ。
“シュール”という便利な言葉はあるが、それはカテゴライズに失敗した言葉であって、何か特定の範疇を指す言葉ではない。
まず、物語の構成自体、通俗的な映画の手法とかなり違っている。
言葉はなに一つ解説せず、登場人物同士がどう連なっているのかほとんどわからない。
ドラマチックなクライマックスなども、もちろんない。
ただただ、とてつもなく不思議な景色が映画全体に溢れている。
この映画の感性を理解するのに、言葉は不十分だし、言葉の無力さを痛感せずに入られない。
とにかく自身の目で映画を見て、自身の感性で“何か”を感じるべきだろう。
映画記事一覧
作品データ
監督・原作・脚本:石井克人
音楽:リトルテンポ
出演:坂野真弥 佐藤貴広 浅野忠信 手塚理美
我修院達也 土屋アンナ 中嶋朋子 三浦友和
轟木一騎 加瀬亮 庵野秀明 岡田義徳
寺島進 武田真治 森山開次 松山ケンイチ
■2009/08/27 (Thu)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
12
糸色先生は通路を進み、蔵の奥へと行き当たった。糸色先生はそこで折り返さず、足元を探り始めた。
何をしているのだろう、と私は見守った。別のウインドウでは、小森霧が蔵の入口で待ち伏せをしている姿が映されている。蔵を脱出しようと思ったら、どうしても霧と目を合わせねばならない状況だった。
しかし糸色先生は蔵の入口に戻らず、地面を丹念に見ていた。やがて何かを発見したように、地面をつかんで跳ね上げた。秘密の地下通路だ。床板が跳ね上げられ、その下に続く階段が現れていた。
糸色先生は地下に体を潜り込ませ、床板を閉じてしまった。
監視カメラの映像から糸色先生が消えた。地図画面からも糸色先生を示す赤い点がロストした。
「あの地下通路は、どこに繋がっているんですか?」
私は少し不安を感じながら時田に尋ねた。
「困りましたな。あそこは戦時中に作られた秘密の抜け道です。糸色家の敷地の外へと繋がっておりますが、明かりもなく、整備もされておりません。しかも迷路状になっており、迷い込むと抜け出られなくなる怖れがあります。これは、危険かもしれませんぞ」
時田の言葉に、切迫する気配が混じった。
時田が素早くキーボードを叩き始めた。画面に新しいウインドウがいくつも開く。謎の英文ファイルが大量に羅列された。
私も緊張して、ディスプレイを眺めた。糸色先生は無事だろうか。画面上では、時田が何かを始めている。英文のプログラムや記号がいくつも打ち込まれているが、何が起きているのか私にはよくわからなかった。私は不安な気持ちのまま、しかし何もできず、ただディスプレイ上で進行している状況を見詰めた。
間もなく、ディスプレイ上に5つのウインドウが開いた。だけど、どの画像の真っ暗で何も写していなかった。時田が画像のコントラストを調整すると、真っ暗だったウインドウにじわっと像が浮かび上がり始めた。
「多くはありませんが、地下にも監視カメラが仕掛けられております。もし、この中にも発見されないとなると、救助の要請が必要となります」
時田が緊張した声で説明しつつ、さらにキーボードを叩いてなにやら打ち込んでいた。
監視カメラの画面は、どれもごつごつとした石の壁面が映し出されていた。太い角材で補強されていて、どこかの坑道のようだった。
ウインドウの一つに、動く人の影があった。ノイズだらけで不鮮明だったけど、間違いなく糸色先生だった。
糸色先生は壁に背中をつけながら、慎重に進んでいた。ふと立ち止まり、懐から何かを引っ張り出す。糸色先生の手許が真っ白に輝きだした。どうやら懐中電灯を持っていたようだった。別のウインドウの画像にも、僅かに光が当てられた。
糸色先生は左右に光を投げかけた。人の気配がないとわかると、壁に手をつきながら、ゆっくりと進み始めた。監視カメラが糸色先生の姿を追尾する。
ふと、懐中電灯の光が失われた。監視カメラの映像もブラックアウトした。私は、あっと思って身を乗り出した。
すぐに光が戻った。だが画面に、怪異が写っていた。緑の歪な物体だった。全体がぬるぬるしていて、ピンポン球のようなものが大量に折り重なっていた。すべて目玉だった。目玉はそれぞれ意思を持っているように動き、一斉に糸色先生を注目した。
糸色先生が絶叫を上げた。監視カメラは糸色先生の声を拾わなかった。その代わりみたいに、私は悲鳴を上げて、ぺたんと尻とついてしまった。
「大丈夫だよ、奈美ちゃん。よく見てごらん」
可符香が優しい声をかけて、私が立ち上がるのを手助けした。
再び監視カメラの画面を見ると、糸色先生が気絶して倒れていた。糸色先生の前で、ぬるぬるとした妖怪がゆらゆらと揺れていた。私はようやく気が付いて、ディスプレイに身を乗り出して写っているものを凝視した。
「……これ、張りぼて?」
よく見ると、目玉の妖怪は何かに吊るされて揺れているだけだった。目玉が動いたように見えたのは、糸色先生が懐中電灯の光を当てたからだった。
「あれは泥棒対策で設置したおもちゃですよ。おかげで望ぼっちゃまの足を止められました。しかし、あのまま放置しているのは危険です。我々で救助に向かいましょう」
時田はホッと息を吐くと、席を立って私たちを振り返った。
次回 P037 第4章 見合う前に跳べ13 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P036 第4章 見合う前に跳べ
12
糸色先生は通路を進み、蔵の奥へと行き当たった。糸色先生はそこで折り返さず、足元を探り始めた。
何をしているのだろう、と私は見守った。別のウインドウでは、小森霧が蔵の入口で待ち伏せをしている姿が映されている。蔵を脱出しようと思ったら、どうしても霧と目を合わせねばならない状況だった。
しかし糸色先生は蔵の入口に戻らず、地面を丹念に見ていた。やがて何かを発見したように、地面をつかんで跳ね上げた。秘密の地下通路だ。床板が跳ね上げられ、その下に続く階段が現れていた。
糸色先生は地下に体を潜り込ませ、床板を閉じてしまった。
監視カメラの映像から糸色先生が消えた。地図画面からも糸色先生を示す赤い点がロストした。
「あの地下通路は、どこに繋がっているんですか?」
私は少し不安を感じながら時田に尋ねた。
「困りましたな。あそこは戦時中に作られた秘密の抜け道です。糸色家の敷地の外へと繋がっておりますが、明かりもなく、整備もされておりません。しかも迷路状になっており、迷い込むと抜け出られなくなる怖れがあります。これは、危険かもしれませんぞ」
時田の言葉に、切迫する気配が混じった。
時田が素早くキーボードを叩き始めた。画面に新しいウインドウがいくつも開く。謎の英文ファイルが大量に羅列された。
私も緊張して、ディスプレイを眺めた。糸色先生は無事だろうか。画面上では、時田が何かを始めている。英文のプログラムや記号がいくつも打ち込まれているが、何が起きているのか私にはよくわからなかった。私は不安な気持ちのまま、しかし何もできず、ただディスプレイ上で進行している状況を見詰めた。
間もなく、ディスプレイ上に5つのウインドウが開いた。だけど、どの画像の真っ暗で何も写していなかった。時田が画像のコントラストを調整すると、真っ暗だったウインドウにじわっと像が浮かび上がり始めた。
「多くはありませんが、地下にも監視カメラが仕掛けられております。もし、この中にも発見されないとなると、救助の要請が必要となります」
時田が緊張した声で説明しつつ、さらにキーボードを叩いてなにやら打ち込んでいた。
監視カメラの画面は、どれもごつごつとした石の壁面が映し出されていた。太い角材で補強されていて、どこかの坑道のようだった。
ウインドウの一つに、動く人の影があった。ノイズだらけで不鮮明だったけど、間違いなく糸色先生だった。
糸色先生は壁に背中をつけながら、慎重に進んでいた。ふと立ち止まり、懐から何かを引っ張り出す。糸色先生の手許が真っ白に輝きだした。どうやら懐中電灯を持っていたようだった。別のウインドウの画像にも、僅かに光が当てられた。
糸色先生は左右に光を投げかけた。人の気配がないとわかると、壁に手をつきながら、ゆっくりと進み始めた。監視カメラが糸色先生の姿を追尾する。
ふと、懐中電灯の光が失われた。監視カメラの映像もブラックアウトした。私は、あっと思って身を乗り出した。
すぐに光が戻った。だが画面に、怪異が写っていた。緑の歪な物体だった。全体がぬるぬるしていて、ピンポン球のようなものが大量に折り重なっていた。すべて目玉だった。目玉はそれぞれ意思を持っているように動き、一斉に糸色先生を注目した。
糸色先生が絶叫を上げた。監視カメラは糸色先生の声を拾わなかった。その代わりみたいに、私は悲鳴を上げて、ぺたんと尻とついてしまった。
「大丈夫だよ、奈美ちゃん。よく見てごらん」
可符香が優しい声をかけて、私が立ち上がるのを手助けした。
再び監視カメラの画面を見ると、糸色先生が気絶して倒れていた。糸色先生の前で、ぬるぬるとした妖怪がゆらゆらと揺れていた。私はようやく気が付いて、ディスプレイに身を乗り出して写っているものを凝視した。
「……これ、張りぼて?」
よく見ると、目玉の妖怪は何かに吊るされて揺れているだけだった。目玉が動いたように見えたのは、糸色先生が懐中電灯の光を当てたからだった。
「あれは泥棒対策で設置したおもちゃですよ。おかげで望ぼっちゃまの足を止められました。しかし、あのまま放置しているのは危険です。我々で救助に向かいましょう」
時田はホッと息を吐くと、席を立って私たちを振り返った。
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小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
■2009/08/25 (Tue)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
11
巨大ディスプレイに表示された時計が、17時を指した。地下の部屋には光は入ってこないけど、そろそろ夕暮れの時間だ。
留まっていた点のひとつが、活発な動きを始めた。糸色先生が動き出したのだ。
すぐさま二つの点が、糸色先生に気付いて急速な追尾を始める。もちろん千里とまといだ。
時田が状況の変化を察して、キーボードを叩いた。椅子の前にカウンターが置かれ、そこにキーボードとドラックボールがあった。どうやらディスプレイとキーボードの仲立ちをしているのは一般的なパソコンらしい。
地図だけを表示していたディスプレイに、小さなウインドウがいくつも開いた。監視カメラの映像と繋がっているらしく、屋敷の様子を天井の高さから映し出した。
監視カメラの映像は、青く沈み始めている。常夜灯や石灯篭にオレンジの光が宿りつつある。その最中を、糸色先生が必死の様子で走っていた。その後を、千里とまといが追跡している。監視カメラを映すウインドウが次々に開いて、糸色先生の姿を追尾していった。
私ははらはらと監視カメラの向うで展開する追跡劇を見守った。やはり糸色先生を応援していた。そこを右、掴まっちゃ駄目、と心の中で声援を送った。
糸色先生は屋敷の内部を熟知しているし、逃げ足は抜群に速かった。屋敷の中を自由に動き回り、巧みに千里とまといの追跡をかわしていく。
糸色先生は、やがて千里とまといの追跡を逃れて庭の裏手へと潜り込んでいった。糸色先生の姿が、監視カメラから外れた。地図上の点が、ゆっくり奥へ奥へと進んでいった。
先生の行く先に、蔵が現れた。地図上の点は、少し躊躇うように留まり、それから蔵の中へ入っていった。
蔵の中にも監視カメラが仕掛けられてあった。糸色先生の姿が再び監視カメラに映し出された。
蔵は僅かな常夜灯の明かりがあるだけだった。画像は粒子が粗く、ぼんやりと蔵の全体像と糸色先生の姿を浮かび上がらせている。糸色先生は慎重に重そうな鉄扉を閉じて、蔵の中を見回していた。
蔵の中はいくつもの棚が並び、つづらが整然と並んでいた。当り前だけど人の気配はない。糸色先生は、少し蔵の奥へと入っていくと、地面に置かれた箱に座り、呼吸を整えるように深呼吸していた。
しかし、蔵の奥から何かがのそりと動いた。小森霧だった。小森霧は白い着物を着ていて、やはりタオルケットを肩から掛けていた。
糸色先生が霧に気がついた。びっくりしたように箱から滑り落ちた。霧がゆっくりと糸色先生に近付こうとしていた。
「どうやら、会話しているようですな。音声を拾ってみましょう」
時田がウインドウのスピーカーボタンをクリックした。だけど、ノイズばかりでとても人の声なんて聞こえなかった。時田は素早くプロパティ画面を呼び出し、音の波長からその一部を抜き出した。
「……学校から拉致されて、宅配便で運ばれてきたんだよ」
ノイズが消えて、霧の細く消え入りそうな声が聞こえてきた。
「それで今度は蔵に引きこもっているというわけですか。まあ蔵には、何かしら引きこもっているものですからね。でも、小森さんで安心しました。髪の毛で目が合うこともないですからね」
糸色先生が警戒を解いて、霧を振り向こうとした。
霧はさっと顔を隠す髪を掻き分けた。
「っと、やっぱり危険な気がするので、見ないほうがいいです」
糸色先生はとっさの判断で目を背けた。私も見合いの儀終了かと思ってどきりとしていた。
「先生、私を見て」
霧が前髪を掻き分けたまま、糸色先生に近付いた。
「見ません!」
糸色先生は目を逸らしたまま、蔵の入口に戻り始める。
「私、家のことなら何でもでるよ。ねえ、先生」
霧の声に、訴えるような切なさがこもった。霧の肩からタオルケットが落ちた。水色と赤色で構成された、着物の幾何学模様が見えた。霧は糸色先生を追い詰めようと、歩調を速めて迫った。
糸色先生は入口附近で折り返して、別の通路に飛び込んだ。そのまま蔵の奥に向かって駆け出す。霧は一瞬虚を突かれ、タオルケットを拾おうと振り返った。その間に糸色先生を見失ったみたいだった。霧は、棚と棚に挟まれた通路を順番に見て回った。しかし、糸色先生の姿は見つけられないようだった。
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小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P035 第4章 見合う前に跳べ
11
巨大ディスプレイに表示された時計が、17時を指した。地下の部屋には光は入ってこないけど、そろそろ夕暮れの時間だ。
留まっていた点のひとつが、活発な動きを始めた。糸色先生が動き出したのだ。
すぐさま二つの点が、糸色先生に気付いて急速な追尾を始める。もちろん千里とまといだ。
時田が状況の変化を察して、キーボードを叩いた。椅子の前にカウンターが置かれ、そこにキーボードとドラックボールがあった。どうやらディスプレイとキーボードの仲立ちをしているのは一般的なパソコンらしい。
地図だけを表示していたディスプレイに、小さなウインドウがいくつも開いた。監視カメラの映像と繋がっているらしく、屋敷の様子を天井の高さから映し出した。
監視カメラの映像は、青く沈み始めている。常夜灯や石灯篭にオレンジの光が宿りつつある。その最中を、糸色先生が必死の様子で走っていた。その後を、千里とまといが追跡している。監視カメラを映すウインドウが次々に開いて、糸色先生の姿を追尾していった。
私ははらはらと監視カメラの向うで展開する追跡劇を見守った。やはり糸色先生を応援していた。そこを右、掴まっちゃ駄目、と心の中で声援を送った。
糸色先生は屋敷の内部を熟知しているし、逃げ足は抜群に速かった。屋敷の中を自由に動き回り、巧みに千里とまといの追跡をかわしていく。
糸色先生は、やがて千里とまといの追跡を逃れて庭の裏手へと潜り込んでいった。糸色先生の姿が、監視カメラから外れた。地図上の点が、ゆっくり奥へ奥へと進んでいった。
先生の行く先に、蔵が現れた。地図上の点は、少し躊躇うように留まり、それから蔵の中へ入っていった。
蔵の中にも監視カメラが仕掛けられてあった。糸色先生の姿が再び監視カメラに映し出された。
蔵は僅かな常夜灯の明かりがあるだけだった。画像は粒子が粗く、ぼんやりと蔵の全体像と糸色先生の姿を浮かび上がらせている。糸色先生は慎重に重そうな鉄扉を閉じて、蔵の中を見回していた。
蔵の中はいくつもの棚が並び、つづらが整然と並んでいた。当り前だけど人の気配はない。糸色先生は、少し蔵の奥へと入っていくと、地面に置かれた箱に座り、呼吸を整えるように深呼吸していた。
しかし、蔵の奥から何かがのそりと動いた。小森霧だった。小森霧は白い着物を着ていて、やはりタオルケットを肩から掛けていた。
糸色先生が霧に気がついた。びっくりしたように箱から滑り落ちた。霧がゆっくりと糸色先生に近付こうとしていた。
「どうやら、会話しているようですな。音声を拾ってみましょう」
時田がウインドウのスピーカーボタンをクリックした。だけど、ノイズばかりでとても人の声なんて聞こえなかった。時田は素早くプロパティ画面を呼び出し、音の波長からその一部を抜き出した。
「……学校から拉致されて、宅配便で運ばれてきたんだよ」
ノイズが消えて、霧の細く消え入りそうな声が聞こえてきた。
「それで今度は蔵に引きこもっているというわけですか。まあ蔵には、何かしら引きこもっているものですからね。でも、小森さんで安心しました。髪の毛で目が合うこともないですからね」
糸色先生が警戒を解いて、霧を振り向こうとした。
霧はさっと顔を隠す髪を掻き分けた。
「っと、やっぱり危険な気がするので、見ないほうがいいです」
糸色先生はとっさの判断で目を背けた。私も見合いの儀終了かと思ってどきりとしていた。
「先生、私を見て」
霧が前髪を掻き分けたまま、糸色先生に近付いた。
「見ません!」
糸色先生は目を逸らしたまま、蔵の入口に戻り始める。
「私、家のことなら何でもでるよ。ねえ、先生」
霧の声に、訴えるような切なさがこもった。霧の肩からタオルケットが落ちた。水色と赤色で構成された、着物の幾何学模様が見えた。霧は糸色先生を追い詰めようと、歩調を速めて迫った。
糸色先生は入口附近で折り返して、別の通路に飛び込んだ。そのまま蔵の奥に向かって駆け出す。霧は一瞬虚を突かれ、タオルケットを拾おうと振り返った。その間に糸色先生を見失ったみたいだった。霧は、棚と棚に挟まれた通路を順番に見て回った。しかし、糸色先生の姿は見つけられないようだった。
次回 P036 第4章 見合う前に跳べ12 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次