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■2009/09/07 (Mon)
映画:外国映画■
エンロンの起源は、20世紀初頭まで遡れるが、エンロンとして設立されたのは1985年だ。
規制緩和によってパイプライン買収を繰り広げ、急成長を遂げた企業である。
だが2001年、エンロンは突然に破綻する。
21000名になる全社員が一斉に解雇され、負債総額は310億ドル。年金基金から20億ドルが喪失した。
そのとき、何が起こったのか。
ドキュメンタリー『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』は崩壊のプロセスを詳らかに追跡していく。
エンロンの崩壊。様々な人の証言で綴られていく。ドキュメンタリーのつくりとしては平均的、平凡。映像の構造的な部分より、エンロンという巨大企業が崩壊する様に注目していきたい。
始まりは1985年。
ケン・レイは規制緩和の波に乗り、エンロンを設立。全米のパイプラインの買収を重ねた。
天然ガスの価格規制が撤廃されれば、必ず商機が訪れると信じていた。
1987年、エンロン石油はトレーダーによる投機取引を開始。
エンロンの企業成績は天井知らずに上昇していった。
間もなくベテラン・トレーダーたちが、高収益を続けるエンロンを不審に思うようになった。
調査を始めると、すぐにでも横領、海外口座、ニセ帳簿、あらゆる不正がエンロンから出てきた。
左がエンロン本社。今もこの周辺は廃墟らしい。右はブッシュ大統領(当時)。他ならぬエンロンを擁護していたのはブッシュ家だった。またしてもブッシュ家。犯罪の陰に女と金、というが、アメリカの場合「犯罪の陰に金とブッシュ」か?
それでもエンロン会長ケン・レイはトレーダー達を解雇しなかった。
挑発的な人間を好むケン・レイは、1990年頃、スキリングという名の男をエンロンに雇う。
スキリングは《時価会計》という概念を考案。監査法人と規制当局の承認を得て、正式に《時価会計》が導入された。
《時価会計》とは、将来の発生する利益を、現在時点で計上する方法のことだ。
つまり、未来のことだから、自由に操作可能なわけだ。
この《時価会計》魔術を得たエンロンは、インドに巨大発電所を作り、オンライン帯域の販売をはじめ、莫大な利益を上げる。
だが、“利益を出したことにした”だけであって、実際の利益はゼロに等しかった。
それでも、エンロン社員たちは《時価会計》の魔術に気付かず、毎年数百ドルのボーナスを受け取っていた。
傲慢で強欲。エゴの塊のような人間が荒廃していく様が描かれいく。右はエンロンをネタにした『シンプソンズ』の一コマ。なんでもネタにしてしまうのは、さすがにシンプソンズ。日本の作家で同じ度胸があるのは久米田康治くらいだ。
不正な方法で大きく膨らみすぎた企業が、あるとき突然崩壊する。
“儲け”に取り付かれた彼らは、利益に熱中するあまり、自分達の危機に気付かない。
気付いた時には遅すぎで、傷は大きすぎて回復不能だった。
エンロンの21000名になる社員はある日、突然全員解雇され、莫大な財産は、瞬時にしてゼロになってしまった。
ドキュメンタリー『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』は企業の崩壊とともに、人間性の崩壊を描いていく。
人間はどこまで強欲になり、どこまで傲慢になり、どこまで堕ちてゆくのか。
自尊心の塊のようだった人間が突然崩壊する瞬間。その時、人間はどんな表情を見せるのか。どんな心の傷を負うのか。
ウィキペディアに詳しい情報があります。
映画記事一覧
作品データ
監督:アレックス・ギブニー
撮影:マリーズ・アルバルティ 編集:アリソン・エルウッド
規制緩和によってパイプライン買収を繰り広げ、急成長を遂げた企業である。
だが2001年、エンロンは突然に破綻する。
21000名になる全社員が一斉に解雇され、負債総額は310億ドル。年金基金から20億ドルが喪失した。
そのとき、何が起こったのか。
ドキュメンタリー『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』は崩壊のプロセスを詳らかに追跡していく。
エンロンの崩壊。様々な人の証言で綴られていく。ドキュメンタリーのつくりとしては平均的、平凡。映像の構造的な部分より、エンロンという巨大企業が崩壊する様に注目していきたい。
始まりは1985年。
ケン・レイは規制緩和の波に乗り、エンロンを設立。全米のパイプラインの買収を重ねた。
天然ガスの価格規制が撤廃されれば、必ず商機が訪れると信じていた。
1987年、エンロン石油はトレーダーによる投機取引を開始。
エンロンの企業成績は天井知らずに上昇していった。
間もなくベテラン・トレーダーたちが、高収益を続けるエンロンを不審に思うようになった。
調査を始めると、すぐにでも横領、海外口座、ニセ帳簿、あらゆる不正がエンロンから出てきた。
左がエンロン本社。今もこの周辺は廃墟らしい。右はブッシュ大統領(当時)。他ならぬエンロンを擁護していたのはブッシュ家だった。またしてもブッシュ家。犯罪の陰に女と金、というが、アメリカの場合「犯罪の陰に金とブッシュ」か?
それでもエンロン会長ケン・レイはトレーダー達を解雇しなかった。
挑発的な人間を好むケン・レイは、1990年頃、スキリングという名の男をエンロンに雇う。
スキリングは《時価会計》という概念を考案。監査法人と規制当局の承認を得て、正式に《時価会計》が導入された。
《時価会計》とは、将来の発生する利益を、現在時点で計上する方法のことだ。
つまり、未来のことだから、自由に操作可能なわけだ。
この《時価会計》魔術を得たエンロンは、インドに巨大発電所を作り、オンライン帯域の販売をはじめ、莫大な利益を上げる。
だが、“利益を出したことにした”だけであって、実際の利益はゼロに等しかった。
それでも、エンロン社員たちは《時価会計》の魔術に気付かず、毎年数百ドルのボーナスを受け取っていた。
傲慢で強欲。エゴの塊のような人間が荒廃していく様が描かれいく。右はエンロンをネタにした『シンプソンズ』の一コマ。なんでもネタにしてしまうのは、さすがにシンプソンズ。日本の作家で同じ度胸があるのは久米田康治くらいだ。
不正な方法で大きく膨らみすぎた企業が、あるとき突然崩壊する。
“儲け”に取り付かれた彼らは、利益に熱中するあまり、自分達の危機に気付かない。
気付いた時には遅すぎで、傷は大きすぎて回復不能だった。
エンロンの21000名になる社員はある日、突然全員解雇され、莫大な財産は、瞬時にしてゼロになってしまった。
ドキュメンタリー『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』は企業の崩壊とともに、人間性の崩壊を描いていく。
人間はどこまで強欲になり、どこまで傲慢になり、どこまで堕ちてゆくのか。
自尊心の塊のようだった人間が突然崩壊する瞬間。その時、人間はどんな表情を見せるのか。どんな心の傷を負うのか。
ウィキペディアに詳しい情報があります。
映画記事一覧
作品データ
監督:アレックス・ギブニー
撮影:マリーズ・アルバルティ 編集:アリソン・エルウッド
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■2009/09/06 (Sun)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
5
私は茫然と連れて行かれる糸色先生を見ていた。一瞬、何の考えが浮かばなかった。でも、糸色先生が垣根の向うに消えかけた途端、私は衝動的に飛び出していた。
女刑事が私の腕を掴んで、引きとめようとした。でも、千里やまといも同時に駆け出した。女刑事はみんなを止めようと手を伸ばすが、バランスを失って倒れてしまった。
私は外の道路に飛び出した。広くもない道路に、警察の車が一杯に停車していた。警光灯のランプが回転して、暗くなりかける通りに赤い光を投げかけている。通りの左右が黄色のロープで封鎖されていて、見張りの私服警官が立っていた。そのロープの向うに、野次馬が集って私たちを見ていた。
「糸色先生!」
私は糸色先生の姿を探して声をかけた。糸色先生は白黒パトカーの後部座席に入るところだった。
だけどその時、急に周囲の空気が変わった。通りを包んでいたざわめきが、低いささやきに変わった。警察の人たちが、みんな同じ方向を向いて、胸をそらして敬礼した。
私は、警察の人たちが敬礼を送る方向を振り向いた。男が制服警官に促されて、ロープを越えて入ってくる瞬間だった。
しかし、男はどう見ても警察関係者には見えなかった。
背が高く、細く痩せた体型。少し長めの髪は、後ろに流している。少し前頭部が薄くなりかけていた。それから、なにかの式典の後のように、男は黒の燕尾服姿だった。
「お前は……男爵!」
糸色先生が驚愕に凍りついた声をあげた。
「なにやら騒がしいと思ったら、君かね。まさか、こんなところで再会するとはね」
男爵と呼ばれた男は、悠然と杖をついて歩いていた。低く呟くようだったけど、よく通る声だった。
「男爵、どうしてここに。お前は刑務所に送り届けたはず」
糸色先生は男爵を振り向いて、一歩前に進み出た。
「仮釈放になったのだよ。私は温和で素行優良な紳士だからね。むしろ、不当逮捕もいいところだったからな。しかし、君の女グセの悪さは相変わらずのようだね。教職に就いたとは聞いていたが、何人いるのかね? 警部補殿。後でそちらの少女たちから、詳しく事情聴取することをお勧めするよ」
男爵は皺の多い顔をにやりとさせて、私たちを杖で指した。
「勝手なこと言わないで! 糸色先生は誠実な人です!」
私は一歩踏み出して男爵に怒鳴りつけた。一緒に飛び出してきた女の子たちがみんな頷いた。
「信頼されているようだね。羨ましいことだ。優秀な人間には、後継者を育てる義務があるからね」
男爵が私を振り返った。萎れかけた老人の目、ではなかった。男爵の目は異様に強く、魔術的な何かで私を強引に鷲掴みにするようだった。私はそんな目線に、かつて感じた経験のない冷たい戦慄を感じて、ふらふらと後ろに下がって目を逸らした。
「男爵……。これはあなたの罠ですか」
糸色先生が毅然とした声で男爵に訊ねた。
「さて、何のことやら。一応言っておくが、私は正直な人間だ。この件に関しても、私は一切関知していない。ついでに宣言しておこう。君がどんなに知恵を絞ろうとも、君は私に危害を加えられない。君は私に手を触れられないというルールの中で、出口の見付からない迷路を延々彷徨い続けるだろう」
男爵は糸色先生を真直ぐに向いて、静かだが決定的と思える断言をした。
糸色先生はそれに対抗するように、男爵を指でさした。
「ならば私も宣言しましょう。男爵、私はあなたを止めてみます。あのときのように。どんな罠も潜り抜けて」
糸色先生は今までにない強い調子で男爵に言葉を叩き付けた。だけど、男爵は鼻で笑って、糸色先生の言葉を受け流した。
「そういうことは裁判が終ってから言え! もっと言えば刑期を終えて充分反省してから言え! 手錠掛けられたくなかったら、さっさとパトカーに乗れ!」
警部補が糸色先生を怒鳴りつけて、その背中を掴んで無理矢理パトカーの後部座席に押し込んだ。警部補が後部座席の扉を閉じると、すぐにパトカーが出発した。
次回 P048 第5章 ドラコニアの屋敷6 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P047 第5章 ドラコニアの屋敷
5
私は茫然と連れて行かれる糸色先生を見ていた。一瞬、何の考えが浮かばなかった。でも、糸色先生が垣根の向うに消えかけた途端、私は衝動的に飛び出していた。
女刑事が私の腕を掴んで、引きとめようとした。でも、千里やまといも同時に駆け出した。女刑事はみんなを止めようと手を伸ばすが、バランスを失って倒れてしまった。
私は外の道路に飛び出した。広くもない道路に、警察の車が一杯に停車していた。警光灯のランプが回転して、暗くなりかける通りに赤い光を投げかけている。通りの左右が黄色のロープで封鎖されていて、見張りの私服警官が立っていた。そのロープの向うに、野次馬が集って私たちを見ていた。
「糸色先生!」
私は糸色先生の姿を探して声をかけた。糸色先生は白黒パトカーの後部座席に入るところだった。
だけどその時、急に周囲の空気が変わった。通りを包んでいたざわめきが、低いささやきに変わった。警察の人たちが、みんな同じ方向を向いて、胸をそらして敬礼した。
私は、警察の人たちが敬礼を送る方向を振り向いた。男が制服警官に促されて、ロープを越えて入ってくる瞬間だった。
しかし、男はどう見ても警察関係者には見えなかった。
背が高く、細く痩せた体型。少し長めの髪は、後ろに流している。少し前頭部が薄くなりかけていた。それから、なにかの式典の後のように、男は黒の燕尾服姿だった。
「お前は……男爵!」
糸色先生が驚愕に凍りついた声をあげた。
「なにやら騒がしいと思ったら、君かね。まさか、こんなところで再会するとはね」
男爵と呼ばれた男は、悠然と杖をついて歩いていた。低く呟くようだったけど、よく通る声だった。
「男爵、どうしてここに。お前は刑務所に送り届けたはず」
糸色先生は男爵を振り向いて、一歩前に進み出た。
「仮釈放になったのだよ。私は温和で素行優良な紳士だからね。むしろ、不当逮捕もいいところだったからな。しかし、君の女グセの悪さは相変わらずのようだね。教職に就いたとは聞いていたが、何人いるのかね? 警部補殿。後でそちらの少女たちから、詳しく事情聴取することをお勧めするよ」
男爵は皺の多い顔をにやりとさせて、私たちを杖で指した。
「勝手なこと言わないで! 糸色先生は誠実な人です!」
私は一歩踏み出して男爵に怒鳴りつけた。一緒に飛び出してきた女の子たちがみんな頷いた。
「信頼されているようだね。羨ましいことだ。優秀な人間には、後継者を育てる義務があるからね」
男爵が私を振り返った。萎れかけた老人の目、ではなかった。男爵の目は異様に強く、魔術的な何かで私を強引に鷲掴みにするようだった。私はそんな目線に、かつて感じた経験のない冷たい戦慄を感じて、ふらふらと後ろに下がって目を逸らした。
「男爵……。これはあなたの罠ですか」
糸色先生が毅然とした声で男爵に訊ねた。
「さて、何のことやら。一応言っておくが、私は正直な人間だ。この件に関しても、私は一切関知していない。ついでに宣言しておこう。君がどんなに知恵を絞ろうとも、君は私に危害を加えられない。君は私に手を触れられないというルールの中で、出口の見付からない迷路を延々彷徨い続けるだろう」
男爵は糸色先生を真直ぐに向いて、静かだが決定的と思える断言をした。
糸色先生はそれに対抗するように、男爵を指でさした。
「ならば私も宣言しましょう。男爵、私はあなたを止めてみます。あのときのように。どんな罠も潜り抜けて」
糸色先生は今までにない強い調子で男爵に言葉を叩き付けた。だけど、男爵は鼻で笑って、糸色先生の言葉を受け流した。
「そういうことは裁判が終ってから言え! もっと言えば刑期を終えて充分反省してから言え! 手錠掛けられたくなかったら、さっさとパトカーに乗れ!」
警部補が糸色先生を怒鳴りつけて、その背中を掴んで無理矢理パトカーの後部座席に押し込んだ。警部補が後部座席の扉を閉じると、すぐにパトカーが出発した。
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小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
■2009/09/05 (Sat)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
4
しばらくして、刑事の男が私たちの側に近付いてきた。さっき、警部補と呼ばれた男だ。白髪の混じりかけた短い髪で、顔全体に面のように厳しい皺が入っていた。警部補の後ろを、若い刑事が旅行ケースを手に抱えて従いてきた。
「糸色望というのは、あんたか」
警部補は丁寧とは言えない調子で、糸色先生に話しかけた。
「はい、私です」
私たちと一緒にうずくまっていた糸色先生が、尻の泥を払って立ち上がった。
私は、なんだろうと涙で濡れた頬を拭って糸色先生を見上げた。
「あんたの持ち物を調べさせてもらった。これは、あんたのもので間違いないか」
警部補は、後ろに控えていた若い刑事に合図を出した。若い刑事は、糸色先生の前で旅行ケースを開ける。
千里が尻の泥を払って立ち上がった。それに続くようにまといも立ち上がって、ケースを覗き込んだ。
私も立ち上がって、糸色先生の旅行ケースを覗き込んだ。ケースにはロープ、ガムテープ、カセットテープと録音機、それからナイフも入っていた。
「はい、間違いありません」
糸色先生は言葉を緊張させながら、頷いた。
「では聞くが、このガムテープやロープはなんだね。何に使うつもりで持ち歩いているのかね」
警部補がロープを掴み、糸色先生の前に突き出した。
「いえ、それは……」
糸色先生はしどろもどろに答えを探そうとする。
「他にもナイフ、練丹、録音機。これだけあれば、人を殺すのに充分な準備だよな。こんなものを持ち歩いて、お前は何をしようとしていたんだ」
警部補の声が問い詰めるように厳しくなった。
私は緊張して糸色先生を見守った。糸色先生の顔に、頼りなげな困惑が浮かんでいた。
「いえ、これは自分のために用意したものです。決して、誰かに対してどうこうするつもりは……」
「嘘付け! これだけあからさまな道具が揃っているんだ! 何もしないわけがないだろう。……迂闊だったな。犯人が目撃者の振りをして通報する。目立ちたがり屋の犯罪者によくあるパターンじゃないか」
警部補が糸色先生に顔を近づけ、脅しかけるように声のトーンを落とした。
糸色先生は暗闇でもわかるくらい顔を真っ白にさせていた。口を開けるが言葉が出てこない、といった感じだった。
「待ってください。先生はそんなことをする人じゃありません」
私は我慢できず声をあげた。
「本当です。それは全部、先生が自分用で持ち歩いているんです。」
千里も私の後に続けて、警部補に身を乗り出した。
警部補が私と千里を交互に見た。無精髭を生やした厳しい顔に、わずかな戸惑いが浮かんでいた。
「貴様、自分の生徒に手をかけるつもりだったな!」
警部補が糸色先生の胸を掴んで怒りをぶつけた。
「違います、放してください」
私は警部補の腕にすがりついた。警部補と糸色先生を引き離すつもりだった。だけど私たちの間に、女の刑事が割り込んできた。
「もういいのよ。あなたは騙されてただけだから」
女刑事は同情を浮かべた声で、警部補の腕を掴む私を引き離した。千里も警部補に飛び掛ろうとしたが、女刑事がブロックした。
糸色先生は、二人の刑事に両腕を掴まれ、玄関のほうに連れて行かれようとしていた。
「私、逮捕されるんですか?」
糸色先生が抵抗しようと足をズルズルとさせた。だけど、刑事の男は問答無用に糸色先生を引き摺っていく。
「任意同行だ!」
警部補が怒鳴った。
「絶望した! 誤認逮捕に絶望した!」
糸色先生が諦めをこめた絶叫を上げた。先生、そんなこと言っている場合じゃないです!
次回 P047 第5章 ドラコニアの屋敷5 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P046 第5章 ドラコニアの屋敷
4
しばらくして、刑事の男が私たちの側に近付いてきた。さっき、警部補と呼ばれた男だ。白髪の混じりかけた短い髪で、顔全体に面のように厳しい皺が入っていた。警部補の後ろを、若い刑事が旅行ケースを手に抱えて従いてきた。
「糸色望というのは、あんたか」
警部補は丁寧とは言えない調子で、糸色先生に話しかけた。
「はい、私です」
私たちと一緒にうずくまっていた糸色先生が、尻の泥を払って立ち上がった。
私は、なんだろうと涙で濡れた頬を拭って糸色先生を見上げた。
「あんたの持ち物を調べさせてもらった。これは、あんたのもので間違いないか」
警部補は、後ろに控えていた若い刑事に合図を出した。若い刑事は、糸色先生の前で旅行ケースを開ける。
千里が尻の泥を払って立ち上がった。それに続くようにまといも立ち上がって、ケースを覗き込んだ。
私も立ち上がって、糸色先生の旅行ケースを覗き込んだ。ケースにはロープ、ガムテープ、カセットテープと録音機、それからナイフも入っていた。
「はい、間違いありません」
糸色先生は言葉を緊張させながら、頷いた。
「では聞くが、このガムテープやロープはなんだね。何に使うつもりで持ち歩いているのかね」
警部補がロープを掴み、糸色先生の前に突き出した。
「いえ、それは……」
糸色先生はしどろもどろに答えを探そうとする。
「他にもナイフ、練丹、録音機。これだけあれば、人を殺すのに充分な準備だよな。こんなものを持ち歩いて、お前は何をしようとしていたんだ」
警部補の声が問い詰めるように厳しくなった。
私は緊張して糸色先生を見守った。糸色先生の顔に、頼りなげな困惑が浮かんでいた。
「いえ、これは自分のために用意したものです。決して、誰かに対してどうこうするつもりは……」
「嘘付け! これだけあからさまな道具が揃っているんだ! 何もしないわけがないだろう。……迂闊だったな。犯人が目撃者の振りをして通報する。目立ちたがり屋の犯罪者によくあるパターンじゃないか」
警部補が糸色先生に顔を近づけ、脅しかけるように声のトーンを落とした。
糸色先生は暗闇でもわかるくらい顔を真っ白にさせていた。口を開けるが言葉が出てこない、といった感じだった。
「待ってください。先生はそんなことをする人じゃありません」
私は我慢できず声をあげた。
「本当です。それは全部、先生が自分用で持ち歩いているんです。」
千里も私の後に続けて、警部補に身を乗り出した。
警部補が私と千里を交互に見た。無精髭を生やした厳しい顔に、わずかな戸惑いが浮かんでいた。
「貴様、自分の生徒に手をかけるつもりだったな!」
警部補が糸色先生の胸を掴んで怒りをぶつけた。
「違います、放してください」
私は警部補の腕にすがりついた。警部補と糸色先生を引き離すつもりだった。だけど私たちの間に、女の刑事が割り込んできた。
「もういいのよ。あなたは騙されてただけだから」
女刑事は同情を浮かべた声で、警部補の腕を掴む私を引き離した。千里も警部補に飛び掛ろうとしたが、女刑事がブロックした。
糸色先生は、二人の刑事に両腕を掴まれ、玄関のほうに連れて行かれようとしていた。
「私、逮捕されるんですか?」
糸色先生が抵抗しようと足をズルズルとさせた。だけど、刑事の男は問答無用に糸色先生を引き摺っていく。
「任意同行だ!」
警部補が怒鳴った。
「絶望した! 誤認逮捕に絶望した!」
糸色先生が諦めをこめた絶叫を上げた。先生、そんなこと言っている場合じゃないです!
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小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
■2009/09/05 (Sat)
映画:外国映画■
女は小刻みに体を震わせていた。足音を立てて近付く。女は一瞬、身をこわばらす。
「吸うかい?」
「ええ。あなたも退屈なの?」
「パーティーじゃなくて、君が目当てさ」
女はタバコを口にくわえる。俺は、女のタバコに火を点ける。
「何を語っているの?」
女は緩く微笑んだ。照れをごまかす笑いだ。俺は女の心が揺れているのを感じた。
「君は、妙に冷静だ。逃げるのをやめて、現実に立ち向かおうと決心している。でも、一人では、行きたくない」
俺は女に静かに囁いた。女の息遣いと、同じリズムで。
「そう。一人で立ち向かうのは、嫌」
風が二人を誘う。女の体は柔らかく、暖かかった。女の香水が、俺の涙を誘った。
俺は言う。“安心しろ。どこかへ連れて行ってやる”と。
女はサイレンサーの鈍い音とともに、死んだ。俺の腕の中で。
『シン・シティ』は三本プラスの短編から成り立っている。それぞれの関連は弱く、通してみるとやや長い印象すらある。
あと一時間で、俺の勤務も終わりだ。30年間の警察勤務もようやく終わる。
女房が脂肪たっぷりのステーキ肉を、しぶしぶ買う姿が目に浮かんだ。
だが、まだ未解決事件が一つ残っていた。俺の最後の事件だった。
「よせ、ハーティガン。殺されちまうぞ」
相棒のボブが忠告した。ありがたい相棒だ。だが引退の時間が近いんだ。一人で行かせてもらうぜ。
引退の日が、とんだ相棒の解消劇になっちまった。
俺は犯人のいる倉庫へ向かった。扉をぶち破って、目についた男を銃で撃ち殺した。
しかし油断した。背後から肩を撃たれた。
撃ったのは、ロアーク・ジュニアだ。ロアーク・ジュニアは、少女を抱えて倉庫を飛び出していった。
俺は膝をついた。ただのかすり傷だ。立て、老いぼれ。
ロアーク・ジュニアは倉庫を出たところにいた。
「ロアーク。諦めろ。その子を離せ」
「お前には、手出しできない。俺の父親が誰かわかっているな? 俺は逮捕できねえんだ。銃を持つ手も上がらないくせに」
ロアーク・ジュニア。ロアーク上院議員の息子。警察も手出しできない男。
だがロアーク・ジュニアは怯えて震えていた。いい大人のくせに。大した男じゃない。
俺はロアーク・ジュニアに近付いて、銃を撃った。奴の武器を持つ右腕を、下の武器も撃った。
遠くでサイレンが聞こえてきた。さあロアーク、お前もおしまいだ。俺の事件もすべて片付いた。
しかし油断した。後ろから、誰かが俺を撃った。
「その辺にしておけ。次は殺すぞ」
相棒のボブだった。
とんだ、相棒解消劇になっちまったぜ。
一部のシーンはクエンティ・タランティーノが監督した。タランティーノ監督は、ロバート・ロドリゲス監督の友人であるし、ロドリゲスによれば「デジタル撮影の良さを知ってほしかった」だそうだ。
シン・シティ。
“罪の街”
その街は決して朝の光は射しこまない。
夜の闇が永遠に包み込み、邪な悪党達の戯れが無限に続く街。
いかれた人間だけが集る、いかれた人間のための街だ。
シン・シティにはまともなルールはない。街で一番になった悪党が、ルールを決めるのだ。
シン・シティにやってくる人間に、まともな経歴の人間はいない。
男はみんな殺し屋だし、女はみんな娼婦だ。
この街で生きていくには、超人的なパワーが必要だ。
全速力で走る車に何度轢かれても死なない体や、首を落とされても平気でにやりとするくらいの能力は必要だ。
ここでは、正気などという上等なものはない。
『シン・シティ』の映像は、フランク・ミラーの原作漫画に似せるために、手の込んだデジタル処理が加えられている。漫画特有のコントラストの使い方や、“決めポーズ”の作り方まで忠実に再現されている。
映画『シン・シティ』は独創的な映像感覚で描かれた作品だ。
背景は奥へ行くほど、古典的なマット画風になり、煙や雨は、わざとらしいくらいに強調されている。
黒と白のコントラストは、従来の照明が作り出す濃淡とは、まったく違う手法を実践している。
光があたっているのに関わらず黒く塗りつぶされたり、反対に極端なくらい白く描かれたりする。
血などの表現などは、特に真っ白に描かれて際立たせている。
すべてはデジタルの効果だが、どこかしら古い時代の映画を思わせる。
『シン・シティ』に現代的なリアリズムはない。
だからといって、どこか特定の時代の特徴だと指し示すこともできない。
『シン・シティ』は映画全体に異常な何かが起きそうな空気で張り詰めている。
実際に異常な事件が起きても、なにもかも、当たり前として受け止めている我々がいる。
デヴォン青木は西洋人が考える典型的な日本人女性像を体現する。いま米映画で、日本人の代名詞となり、日本のゲーム原作『デッド・オア・アライブ』でカスミ役で出演したのは記憶に新しい。だが正直なところ、納得がいかない。確かに西洋の画家が描く日本人は、デヴォン青木のようなルックスをしているが、日本人の視点や感性と著しく乖離している。いくら西洋で日本がブームになろうとしても、相容れない部分はあるのだ。
『シン・シティ』は、ハード・ボイルドの映画だ。
ハード・ボイルドはこの頃はすっかり毒抜きされて、ただの犯罪映画との区別が曖昧になってしまった。
本来のハード・ボイルドは、まともでない人間の、まともではない日常を描いた作品のことだ。
まともではないから、ハード・ボイルドの人間は孤独だし、常に危険な事件に巻き込まれる。
『シン・シティ』にはそんなハード・ボイルドの空気が一杯に満ちている。
『シン・シティ』の住人にまっとうな人間は一人としていない。男も女もどこか壊れていて、それでいて、異様にぎらぎらとしている。
久々に肌でひりひりと感じられる、ハード・ボイルド映画だ。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本・音楽:ロバート・ロドリゲス
脚本・原作:フランク・ミラー 監督:クエンティン・タランティーノ
音楽:ジョン・デブニー グレーム・レヴェル
出演:ブルース・ウィリス ミッキー・ローク
〇〇〇クライヴ・オーウェン ジェシカ・アルバ
〇〇〇ベニチオ・デル・トロ イライジャ・ウッド
〇〇〇リタニー・マーフィ デヴォン青木
〇〇〇ジョシュ・ハートネット マイケル・マドセン
「吸うかい?」
「ええ。あなたも退屈なの?」
「パーティーじゃなくて、君が目当てさ」
女はタバコを口にくわえる。俺は、女のタバコに火を点ける。
「何を語っているの?」
女は緩く微笑んだ。照れをごまかす笑いだ。俺は女の心が揺れているのを感じた。
「君は、妙に冷静だ。逃げるのをやめて、現実に立ち向かおうと決心している。でも、一人では、行きたくない」
俺は女に静かに囁いた。女の息遣いと、同じリズムで。
「そう。一人で立ち向かうのは、嫌」
風が二人を誘う。女の体は柔らかく、暖かかった。女の香水が、俺の涙を誘った。
俺は言う。“安心しろ。どこかへ連れて行ってやる”と。
女はサイレンサーの鈍い音とともに、死んだ。俺の腕の中で。
『シン・シティ』は三本プラスの短編から成り立っている。それぞれの関連は弱く、通してみるとやや長い印象すらある。
あと一時間で、俺の勤務も終わりだ。30年間の警察勤務もようやく終わる。
女房が脂肪たっぷりのステーキ肉を、しぶしぶ買う姿が目に浮かんだ。
だが、まだ未解決事件が一つ残っていた。俺の最後の事件だった。
「よせ、ハーティガン。殺されちまうぞ」
相棒のボブが忠告した。ありがたい相棒だ。だが引退の時間が近いんだ。一人で行かせてもらうぜ。
引退の日が、とんだ相棒の解消劇になっちまった。
俺は犯人のいる倉庫へ向かった。扉をぶち破って、目についた男を銃で撃ち殺した。
しかし油断した。背後から肩を撃たれた。
撃ったのは、ロアーク・ジュニアだ。ロアーク・ジュニアは、少女を抱えて倉庫を飛び出していった。
俺は膝をついた。ただのかすり傷だ。立て、老いぼれ。
ロアーク・ジュニアは倉庫を出たところにいた。
「ロアーク。諦めろ。その子を離せ」
「お前には、手出しできない。俺の父親が誰かわかっているな? 俺は逮捕できねえんだ。銃を持つ手も上がらないくせに」
ロアーク・ジュニア。ロアーク上院議員の息子。警察も手出しできない男。
だがロアーク・ジュニアは怯えて震えていた。いい大人のくせに。大した男じゃない。
俺はロアーク・ジュニアに近付いて、銃を撃った。奴の武器を持つ右腕を、下の武器も撃った。
遠くでサイレンが聞こえてきた。さあロアーク、お前もおしまいだ。俺の事件もすべて片付いた。
しかし油断した。後ろから、誰かが俺を撃った。
「その辺にしておけ。次は殺すぞ」
相棒のボブだった。
とんだ、相棒解消劇になっちまったぜ。
一部のシーンはクエンティ・タランティーノが監督した。タランティーノ監督は、ロバート・ロドリゲス監督の友人であるし、ロドリゲスによれば「デジタル撮影の良さを知ってほしかった」だそうだ。
シン・シティ。
“罪の街”
その街は決して朝の光は射しこまない。
夜の闇が永遠に包み込み、邪な悪党達の戯れが無限に続く街。
いかれた人間だけが集る、いかれた人間のための街だ。
シン・シティにはまともなルールはない。街で一番になった悪党が、ルールを決めるのだ。
シン・シティにやってくる人間に、まともな経歴の人間はいない。
男はみんな殺し屋だし、女はみんな娼婦だ。
この街で生きていくには、超人的なパワーが必要だ。
全速力で走る車に何度轢かれても死なない体や、首を落とされても平気でにやりとするくらいの能力は必要だ。
ここでは、正気などという上等なものはない。
『シン・シティ』の映像は、フランク・ミラーの原作漫画に似せるために、手の込んだデジタル処理が加えられている。漫画特有のコントラストの使い方や、“決めポーズ”の作り方まで忠実に再現されている。
映画『シン・シティ』は独創的な映像感覚で描かれた作品だ。
背景は奥へ行くほど、古典的なマット画風になり、煙や雨は、わざとらしいくらいに強調されている。
黒と白のコントラストは、従来の照明が作り出す濃淡とは、まったく違う手法を実践している。
光があたっているのに関わらず黒く塗りつぶされたり、反対に極端なくらい白く描かれたりする。
血などの表現などは、特に真っ白に描かれて際立たせている。
すべてはデジタルの効果だが、どこかしら古い時代の映画を思わせる。
『シン・シティ』に現代的なリアリズムはない。
だからといって、どこか特定の時代の特徴だと指し示すこともできない。
『シン・シティ』は映画全体に異常な何かが起きそうな空気で張り詰めている。
実際に異常な事件が起きても、なにもかも、当たり前として受け止めている我々がいる。
デヴォン青木は西洋人が考える典型的な日本人女性像を体現する。いま米映画で、日本人の代名詞となり、日本のゲーム原作『デッド・オア・アライブ』でカスミ役で出演したのは記憶に新しい。だが正直なところ、納得がいかない。確かに西洋の画家が描く日本人は、デヴォン青木のようなルックスをしているが、日本人の視点や感性と著しく乖離している。いくら西洋で日本がブームになろうとしても、相容れない部分はあるのだ。
『シン・シティ』は、ハード・ボイルドの映画だ。
ハード・ボイルドはこの頃はすっかり毒抜きされて、ただの犯罪映画との区別が曖昧になってしまった。
本来のハード・ボイルドは、まともでない人間の、まともではない日常を描いた作品のことだ。
まともではないから、ハード・ボイルドの人間は孤独だし、常に危険な事件に巻き込まれる。
『シン・シティ』にはそんなハード・ボイルドの空気が一杯に満ちている。
『シン・シティ』の住人にまっとうな人間は一人としていない。男も女もどこか壊れていて、それでいて、異様にぎらぎらとしている。
久々に肌でひりひりと感じられる、ハード・ボイルド映画だ。
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作品データ
監督・脚本・音楽:ロバート・ロドリゲス
脚本・原作:フランク・ミラー 監督:クエンティン・タランティーノ
音楽:ジョン・デブニー グレーム・レヴェル
出演:ブルース・ウィリス ミッキー・ローク
〇〇〇クライヴ・オーウェン ジェシカ・アルバ
〇〇〇ベニチオ・デル・トロ イライジャ・ウッド
〇〇〇リタニー・マーフィ デヴォン青木
〇〇〇ジョシュ・ハートネット マイケル・マドセン
■2009/09/05 (Sat)
映画:外国映画■
1950年2月。
マッカーシー上院議員が「国務省職員に205人の共産主義者が勤務している」と告発。
これを切っ掛けに、アメリカ全土に赤狩りの嵐が吹き荒れる。
誰もが自身の投獄を恐れ、家族や親しい隣人に疑いを向けた時代。
マスコミすら、政治的圧力と恐怖心から、上意下達的な報道しかしなくなった時代。
そんな時代に、真っ向からマッカーシズムに抵抗したニュース・キャスターがいた。
マッカーシー(左)の告発によって、アメリカの世論は動揺する。マスコミもその例外ではなく、政府からの宣誓書にサインするよう強制される。報道にもネガティブな自主規制の嵐が吹き荒れようとしていた。
CBSの人気キャスターであるエド・マローは、デトロイトの地方新聞に目を向ける。
その地方新聞には、空軍のマイロ・ラドゥロヴィッチが、共産主義の疑いで解雇された一件が記されていた。
だが、この解雇には具体的な証拠はなく、裁判すらない強制的なものだった。
エドは同僚のフレッドに話題を持ちかけ、番組で大きく取り上げるべきではないか、と話し合う。
報道で正論と真実を取り上げようとしても、圧力がかけられる。エドとフレッドは、その圧力に抵抗して挑戦する。ちなみに、フレッドは監督ジョージ・クルーニーの父親だ。つまり、父親自慢の映画でもあるのだ。
だが、周囲の反発は大きかった。
エドとフレッドの上司は、「会長とスポンサーに報告するぞ」と怒り、
番組を聞きつけた空軍の大佐は、露骨な圧力をかけてくる。
それでもエドとフレッドは、果敢に抵抗してマイロの一件を番組に取り上げる。
エドの報道はまずまずの成功を収め、好意的な評価を得る。一方で、エド自身が共産主義の疑いが向けられてしまう。
日本人は空気の良さと恐ろしさをよく知っている。空気に同調しすぎると、思考力を失い、狂信者になる。
知性の時代においては、英雄も知性に長けた者ではなくてはならない。
周囲の“空気”に決して押し流されず、自身の信念を強く持ち、主張し、良心をなくさない者。
知性の時代には、それが強く求められるし、現在のような過剰な情報化の時代においては、自身の信念と知性の高さがより重要になる。
映画『グッドナイト&グッドラック』はブッシュ政権によるイラク戦争下で制作された。当時のアメリカの状況について正確に知らないが、相当な報道規制、情報統制が敷かれたようだ。ちょうど、マッカーシズムに似た状況に陥り、その“空気”への反発が、この映画の制作を促した。映画制作者は、エド・マローと同じ精神で映画を製作したのだ。
権力者は、大衆の感情を自由に操作する方法を知っている。
大衆に本当の不安と恐怖を抱かせることができれば、反抗の意識を権力や親にではなく、自身と隣人に向けるようになると、よく知っている。
そうした疑心暗鬼が社会一杯に満たされると、正論はむしろ恐怖を掻きたてて、正義は抹殺される。
権力は大衆を操作する方法をよく知り、その方法論を常に実践している。
冒頭スピーチより引用「もし、50年後や100年後の歴史家が今のテレビ番組を一週間分見たとする。彼らの目に映るのは、おそらく今の世にはびこる退廃と現実逃避と隔絶でしょう。アメリカ人は裕福で気楽な現状に満足し、暗いニュースには拒否反応を示す。それが報道にも現れている。だが我々はテレビの現状を見極めるべきです。テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠している。それに気付かねば、スポンサーも視聴者も制作者も後悔することになる」
報道は、その当事者が想像する以上に、はるかに大きなパワーが与えられている。
「この人は悪い」テレビでそう言えば、その情報に接した人々は、親しい友人に囁かれたように信用する。
言論の発信者は、常に自身の言論に責任を持たねばならない。
言論の代表者の意見は、多くの人々の思考・意識に、決定的な影響を与えるからだ。
罪なき者を犯罪者に仕立て上げることも可能だ。
だからこそ報道に従事する人間は、周囲の“空気”に流されないように自身を律し、冷静でなければならない。報道を仕事にする人間にとって、常に精神性の高さが求められる。当然であるが、付和雷同であっては決してならない。自身の信念や主張がなく、“何となく”周りに流されるなどあってはならないし、周囲に発生した“何となく”の空気を自身の信念と主張であると錯覚するということもあってはならない(要するに最低限の「思考力」の必要だ)。その程度の自立心がなければ、報道をやっていく資格などないだろう。
だが、それも実際には“空気”にすぎない。
その人間に対して好意を抱くか嫌悪を抱くか。
そういった判断を、周囲の“空気”に委ねて同調する必要はない。まして、それを自身で思考した信念だ、と錯覚するのはただの愚か者だ。
報道の発信者こそ、そうした“空気”に過ぎない意識に対して、敏感に審査すべきである。
そんな不安と恐怖という“空気”を作り出したマッカーシズム。
エドは単身、そんな“空気”に反発し、恐れず“正論”を主張する。
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作品データ
監督・脚本:ジョージ・クルーニー
脚本・制作:グラント・ヘスロヴ 撮影:ロバート・エルスウィット
製作総指揮:マーク・バダン スティーブン・ソダーバーグ
出演:デヴィッド・ストラザーン ジョージ・クルーニー
〇〇○ロバート・ダウニー・Jr パトリシア・クラークソン
〇〇○レイ・ワイズ フランク・ランジェラ
〇〇○ジェフ・ダニエルズ テイト・ドノヴァン
〇〇○トム・マッカーシー アレックス・ボースタイン
マッカーシー上院議員が「国務省職員に205人の共産主義者が勤務している」と告発。
これを切っ掛けに、アメリカ全土に赤狩りの嵐が吹き荒れる。
誰もが自身の投獄を恐れ、家族や親しい隣人に疑いを向けた時代。
マスコミすら、政治的圧力と恐怖心から、上意下達的な報道しかしなくなった時代。
そんな時代に、真っ向からマッカーシズムに抵抗したニュース・キャスターがいた。
マッカーシー(左)の告発によって、アメリカの世論は動揺する。マスコミもその例外ではなく、政府からの宣誓書にサインするよう強制される。報道にもネガティブな自主規制の嵐が吹き荒れようとしていた。
CBSの人気キャスターであるエド・マローは、デトロイトの地方新聞に目を向ける。
その地方新聞には、空軍のマイロ・ラドゥロヴィッチが、共産主義の疑いで解雇された一件が記されていた。
だが、この解雇には具体的な証拠はなく、裁判すらない強制的なものだった。
エドは同僚のフレッドに話題を持ちかけ、番組で大きく取り上げるべきではないか、と話し合う。
報道で正論と真実を取り上げようとしても、圧力がかけられる。エドとフレッドは、その圧力に抵抗して挑戦する。ちなみに、フレッドは監督ジョージ・クルーニーの父親だ。つまり、父親自慢の映画でもあるのだ。
だが、周囲の反発は大きかった。
エドとフレッドの上司は、「会長とスポンサーに報告するぞ」と怒り、
番組を聞きつけた空軍の大佐は、露骨な圧力をかけてくる。
それでもエドとフレッドは、果敢に抵抗してマイロの一件を番組に取り上げる。
エドの報道はまずまずの成功を収め、好意的な評価を得る。一方で、エド自身が共産主義の疑いが向けられてしまう。
日本人は空気の良さと恐ろしさをよく知っている。空気に同調しすぎると、思考力を失い、狂信者になる。
知性の時代においては、英雄も知性に長けた者ではなくてはならない。
周囲の“空気”に決して押し流されず、自身の信念を強く持ち、主張し、良心をなくさない者。
知性の時代には、それが強く求められるし、現在のような過剰な情報化の時代においては、自身の信念と知性の高さがより重要になる。
映画『グッドナイト&グッドラック』はブッシュ政権によるイラク戦争下で制作された。当時のアメリカの状況について正確に知らないが、相当な報道規制、情報統制が敷かれたようだ。ちょうど、マッカーシズムに似た状況に陥り、その“空気”への反発が、この映画の制作を促した。映画制作者は、エド・マローと同じ精神で映画を製作したのだ。
権力者は、大衆の感情を自由に操作する方法を知っている。
大衆に本当の不安と恐怖を抱かせることができれば、反抗の意識を権力や親にではなく、自身と隣人に向けるようになると、よく知っている。
そうした疑心暗鬼が社会一杯に満たされると、正論はむしろ恐怖を掻きたてて、正義は抹殺される。
権力は大衆を操作する方法をよく知り、その方法論を常に実践している。
冒頭スピーチより引用「もし、50年後や100年後の歴史家が今のテレビ番組を一週間分見たとする。彼らの目に映るのは、おそらく今の世にはびこる退廃と現実逃避と隔絶でしょう。アメリカ人は裕福で気楽な現状に満足し、暗いニュースには拒否反応を示す。それが報道にも現れている。だが我々はテレビの現状を見極めるべきです。テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠している。それに気付かねば、スポンサーも視聴者も制作者も後悔することになる」
報道は、その当事者が想像する以上に、はるかに大きなパワーが与えられている。
「この人は悪い」テレビでそう言えば、その情報に接した人々は、親しい友人に囁かれたように信用する。
言論の発信者は、常に自身の言論に責任を持たねばならない。
言論の代表者の意見は、多くの人々の思考・意識に、決定的な影響を与えるからだ。
罪なき者を犯罪者に仕立て上げることも可能だ。
だからこそ報道に従事する人間は、周囲の“空気”に流されないように自身を律し、冷静でなければならない。報道を仕事にする人間にとって、常に精神性の高さが求められる。当然であるが、付和雷同であっては決してならない。自身の信念や主張がなく、“何となく”周りに流されるなどあってはならないし、周囲に発生した“何となく”の空気を自身の信念と主張であると錯覚するということもあってはならない(要するに最低限の「思考力」の必要だ)。その程度の自立心がなければ、報道をやっていく資格などないだろう。
だが、それも実際には“空気”にすぎない。
その人間に対して好意を抱くか嫌悪を抱くか。
そういった判断を、周囲の“空気”に委ねて同調する必要はない。まして、それを自身で思考した信念だ、と錯覚するのはただの愚か者だ。
報道の発信者こそ、そうした“空気”に過ぎない意識に対して、敏感に審査すべきである。
そんな不安と恐怖という“空気”を作り出したマッカーシズム。
エドは単身、そんな“空気”に反発し、恐れず“正論”を主張する。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:ジョージ・クルーニー
脚本・制作:グラント・ヘスロヴ 撮影:ロバート・エルスウィット
製作総指揮:マーク・バダン スティーブン・ソダーバーグ
出演:デヴィッド・ストラザーン ジョージ・クルーニー
〇〇○ロバート・ダウニー・Jr パトリシア・クラークソン
〇〇○レイ・ワイズ フランク・ランジェラ
〇〇○ジェフ・ダニエルズ テイト・ドノヴァン
〇〇○トム・マッカーシー アレックス・ボースタイン