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■2009/09/19 (Sat)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
1
糸色医院に到着すると、私たちはそれぞれで治療を受けた。糸色先生は別室に運ばれて、外科手術の準備に入った。藤吉も看護婦と一緒に別の部屋へ行った。千里は藤吉の付き添いだった。
私は一人きりで待合室で待った。全員どこかしら負傷していたし、小さな診療所だったから、命先生も看護婦もみんな手一杯のようだった。そんな中、意外にも私が一番の軽傷だったので、後回しにされてしまった。
30分が過ぎて、命先生が手術室から出てきた。私は命先生と一緒に診察室に入った。命先生は私とスツールに座って向き合うと、私の両手を取って感覚を確かめたり捻ったりした。
「骨に異常はないが、相当に関節を痛めているな。湿布を貼っておくが、しばらく何も持たないほうがいい。料理や勉強も駄目だ。誰かに面倒見てもらえ」
「はい」
命先生の忠告に、私は大人しく頷いた。
命先生は私の腕にひんやり冷たい湿布を貼り付け、そのうえに包帯をぐるぐる巻きにした。
「つらい思いをしたな。でも安心しろ。弟はあれでも、優秀な人間だ。信頼していい」
命先生は治療を終えると、私を励ますように言った。
腕に目を落としていた私は、命先生の顔を見上げた。そこに、糸色先生そっくりな顔があった。目元がじわりと滲むものがあった。腕の包帯が巻かれていないところで目元を拭った。それだけで涙は納まってくれた。心の深いところで錠前が重く閉ざしていて、泣けそうな気分ではなかった。
「終りましたか?」
ドアが開いて、糸色先生が入ってきた。まといも一緒だった。
「糸色先生。……あ、望先生。あの、もういいんですか?」
私は糸色先生を振り返って、いつものように「糸色先生」と呼びかけて口を押さえた。今ここには、糸色先生が二人いるんだっけ。
「ええ、点滴を打って少し眠ったら、体力が回復しました。名前はアレですが、兄は医者としてはかなり優秀なんですよ」
「名前のことは言うな。さっき時田が来たぞ。机の上に置いてある」
命先生は軽く言い返して、後ろ手に机をペンで指した。
糸色先生は、珍しく着物の下に何も着ていなかった。だから胸の下に、厚く包帯で巻かれているのが見えた。
「何か物々しいですね」
糸色先生は机に向かいながら、世間話でもするような気軽さで口にした。まといがそれとなく二人分のスツールを用意して、私の左隣に座った。
「ああ。糸色家の警備の者に来てもらった。話を聞くと、ここもやばそうだからな。倫のところも警戒態勢に入っているはずだ」
命先生は姿勢を逸らして、糸色先生の姿を追った。
「景兄さんは?」
「拒否したらしい。景兄さんらしいよ」
命は冗談を言うみたいに肩をすくめた。
景というのは命先生と糸色先生のお兄さんの名前だ。確か、芸術家だったはずだ。一度も顔を見ていないけど、どんな人なんだろう。私は筋骨逞しい孤高の芸術家を想像していた。
糸色先生が机の前へ行き、書類の束を探った。しかし机の上は整理されず、色んな書類で溢れかえっていた。私はちょっと糸色先生が机の上を探る様子を観察した。すると、机の棚に『ブラックジャック』の文庫本がずらりと並んでいるのに気付いてしまった。命先生にも、悩みがあるのかもしれない。
「これですね。……おや、これは何ですか?」
しばらくして、糸色先生は目的のものを見つけたらしかった。でも、他に気になるものを見つけたらしく、手に取った。
「ああ、それか。知り合いの外科医からタレコミがあってな。面白いからカルテをコピーさせてもらったんだ。一応身内であるとはいえ、医者としての守秘義務がある。見ないでくれるか」
命先生は持っていたペンの先を振って忠告した。
「医者だったらいいんですか?」
私は呆れる調子で命先生に尋ねた。
「警察は警察同士、医者は医者同士。まあ、職業上の特権ってやつだよ」
命先生は私を振向いて、悪者っぽくにやりとした。
「それで、望……先生、それ、何ですか?」
望先生、と下の名前で呼ぶのはちょっと言いづらくて、声をすぼめてしまった。
糸色先生は私を振向いて、気を遣うように軽く微笑みかけてくれた。
「今だけ望先生で構いませんよ。これは時田に頼んで取り寄せたものです。10年前、男爵の屋敷から保護されたある13人の子供のリストです。まあ、これについては順を追って説明しますよ」
糸色先生は命先生の後ろを横切って、まといと命先生の間の席に座った。そうして、少しリストに目を落として、考えるふうに顎をなでた。
診察室のドアが開く気配がしたので振り向いた。看護婦に付き添われて、千里と藤吉が一緒に入ってきた。
藤吉は右肩から二の腕にかけて包帯が巻かれていた。他にもあちこちに白い絆創膏が貼られていた。左こめかみのところにもガーゼが当てられていた。可符香に似た女の子に引っ掻かれたところだ。
藤吉は目を赤くしていた。どうやら泣いていたらしかった。
「あびるちゃんは?」
私は姿の見えないあびるが気になった。
「寝てるわ。ショックが大きかったみたい。眠りながらうなされてたわ。」
千里が心配そうな顔で答えた。千里は白いシャツに着替えていた。私が抱きしめたせいで、服に血がついてしまったからだ。
「藤吉さん、大丈夫ですか?」
糸色先生が気遣うように訊ねた。
藤吉さんはいつもにはない暗い顔で、うつむいたまま小さく頷いた。
「なんともないと思ったけど、鏡を見たら、なんかショックで……」
言葉にも、いつもの気軽さはなくなっていた。
「傷はちゃんと治るんでしょうね?」
糸色先生は念を押すように、一緒に入ってきた看護婦に声をかけた。
「ええ。傷そのものは浅いですから。数日で痕も残らず回復します」
看護婦は事務的な調子で言葉を返した。
「大変でしたね。さあ、こちらへ」
糸色先生が優しい声で、藤吉と千里を手招きした。
「はい。……あれ、なんで?」
藤吉が顔を上げて頷いた。でもその拍子に、眼鏡が涙で曇った。それを切掛けに、藤吉は感情を溢れ出させたみたいだった。
藤吉は眼鏡を外して、腕で目元を擦った。でも感情が収まらず、喉の奥から嗚咽がこぼれた。千里が何も言わず、藤吉を抱きよせて、その背中をなでた。
藤吉は声を抑えながら泣いた。小さくしゃくりあげる嗚咽が、何かを堪えるみたいだった。藤吉の感情はしばらく収まらない様子だった。私はずっとうつむきながら、藤吉の泣き声を聞いていた。
次回 P061 第6章 異端の少女2 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P060 第6章 異端の少女
1
糸色医院に到着すると、私たちはそれぞれで治療を受けた。糸色先生は別室に運ばれて、外科手術の準備に入った。藤吉も看護婦と一緒に別の部屋へ行った。千里は藤吉の付き添いだった。
私は一人きりで待合室で待った。全員どこかしら負傷していたし、小さな診療所だったから、命先生も看護婦もみんな手一杯のようだった。そんな中、意外にも私が一番の軽傷だったので、後回しにされてしまった。
30分が過ぎて、命先生が手術室から出てきた。私は命先生と一緒に診察室に入った。命先生は私とスツールに座って向き合うと、私の両手を取って感覚を確かめたり捻ったりした。
「骨に異常はないが、相当に関節を痛めているな。湿布を貼っておくが、しばらく何も持たないほうがいい。料理や勉強も駄目だ。誰かに面倒見てもらえ」
「はい」
命先生の忠告に、私は大人しく頷いた。
命先生は私の腕にひんやり冷たい湿布を貼り付け、そのうえに包帯をぐるぐる巻きにした。
「つらい思いをしたな。でも安心しろ。弟はあれでも、優秀な人間だ。信頼していい」
命先生は治療を終えると、私を励ますように言った。
腕に目を落としていた私は、命先生の顔を見上げた。そこに、糸色先生そっくりな顔があった。目元がじわりと滲むものがあった。腕の包帯が巻かれていないところで目元を拭った。それだけで涙は納まってくれた。心の深いところで錠前が重く閉ざしていて、泣けそうな気分ではなかった。
「終りましたか?」
ドアが開いて、糸色先生が入ってきた。まといも一緒だった。
「糸色先生。……あ、望先生。あの、もういいんですか?」
私は糸色先生を振り返って、いつものように「糸色先生」と呼びかけて口を押さえた。今ここには、糸色先生が二人いるんだっけ。
「ええ、点滴を打って少し眠ったら、体力が回復しました。名前はアレですが、兄は医者としてはかなり優秀なんですよ」
「名前のことは言うな。さっき時田が来たぞ。机の上に置いてある」
命先生は軽く言い返して、後ろ手に机をペンで指した。
糸色先生は、珍しく着物の下に何も着ていなかった。だから胸の下に、厚く包帯で巻かれているのが見えた。
「何か物々しいですね」
糸色先生は机に向かいながら、世間話でもするような気軽さで口にした。まといがそれとなく二人分のスツールを用意して、私の左隣に座った。
「ああ。糸色家の警備の者に来てもらった。話を聞くと、ここもやばそうだからな。倫のところも警戒態勢に入っているはずだ」
命先生は姿勢を逸らして、糸色先生の姿を追った。
「景兄さんは?」
「拒否したらしい。景兄さんらしいよ」
命は冗談を言うみたいに肩をすくめた。
景というのは命先生と糸色先生のお兄さんの名前だ。確か、芸術家だったはずだ。一度も顔を見ていないけど、どんな人なんだろう。私は筋骨逞しい孤高の芸術家を想像していた。
糸色先生が机の前へ行き、書類の束を探った。しかし机の上は整理されず、色んな書類で溢れかえっていた。私はちょっと糸色先生が机の上を探る様子を観察した。すると、机の棚に『ブラックジャック』の文庫本がずらりと並んでいるのに気付いてしまった。命先生にも、悩みがあるのかもしれない。
「これですね。……おや、これは何ですか?」
しばらくして、糸色先生は目的のものを見つけたらしかった。でも、他に気になるものを見つけたらしく、手に取った。
「ああ、それか。知り合いの外科医からタレコミがあってな。面白いからカルテをコピーさせてもらったんだ。一応身内であるとはいえ、医者としての守秘義務がある。見ないでくれるか」
命先生は持っていたペンの先を振って忠告した。
「医者だったらいいんですか?」
私は呆れる調子で命先生に尋ねた。
「警察は警察同士、医者は医者同士。まあ、職業上の特権ってやつだよ」
命先生は私を振向いて、悪者っぽくにやりとした。
「それで、望……先生、それ、何ですか?」
望先生、と下の名前で呼ぶのはちょっと言いづらくて、声をすぼめてしまった。
糸色先生は私を振向いて、気を遣うように軽く微笑みかけてくれた。
「今だけ望先生で構いませんよ。これは時田に頼んで取り寄せたものです。10年前、男爵の屋敷から保護されたある13人の子供のリストです。まあ、これについては順を追って説明しますよ」
糸色先生は命先生の後ろを横切って、まといと命先生の間の席に座った。そうして、少しリストに目を落として、考えるふうに顎をなでた。
診察室のドアが開く気配がしたので振り向いた。看護婦に付き添われて、千里と藤吉が一緒に入ってきた。
藤吉は右肩から二の腕にかけて包帯が巻かれていた。他にもあちこちに白い絆創膏が貼られていた。左こめかみのところにもガーゼが当てられていた。可符香に似た女の子に引っ掻かれたところだ。
藤吉は目を赤くしていた。どうやら泣いていたらしかった。
「あびるちゃんは?」
私は姿の見えないあびるが気になった。
「寝てるわ。ショックが大きかったみたい。眠りながらうなされてたわ。」
千里が心配そうな顔で答えた。千里は白いシャツに着替えていた。私が抱きしめたせいで、服に血がついてしまったからだ。
「藤吉さん、大丈夫ですか?」
糸色先生が気遣うように訊ねた。
藤吉さんはいつもにはない暗い顔で、うつむいたまま小さく頷いた。
「なんともないと思ったけど、鏡を見たら、なんかショックで……」
言葉にも、いつもの気軽さはなくなっていた。
「傷はちゃんと治るんでしょうね?」
糸色先生は念を押すように、一緒に入ってきた看護婦に声をかけた。
「ええ。傷そのものは浅いですから。数日で痕も残らず回復します」
看護婦は事務的な調子で言葉を返した。
「大変でしたね。さあ、こちらへ」
糸色先生が優しい声で、藤吉と千里を手招きした。
「はい。……あれ、なんで?」
藤吉が顔を上げて頷いた。でもその拍子に、眼鏡が涙で曇った。それを切掛けに、藤吉は感情を溢れ出させたみたいだった。
藤吉は眼鏡を外して、腕で目元を擦った。でも感情が収まらず、喉の奥から嗚咽がこぼれた。千里が何も言わず、藤吉を抱きよせて、その背中をなでた。
藤吉は声を抑えながら泣いた。小さくしゃくりあげる嗚咽が、何かを堪えるみたいだった。藤吉の感情はしばらく収まらない様子だった。私はずっとうつむきながら、藤吉の泣き声を聞いていた。
次回 P061 第6章 異端の少女2 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
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■2009/09/19 (Sat)
映画:外国映画■
1585年のヨーロッパは、二つの宗教が対立する時代だった。
カトリックを国教とするスペインと、プロテスタントを国教とする英国。
スペイン王フェリペニ二世は、プロテスタントの女王を亡き者にし、娘を英国女王の座に就かせるために、謀略を練っていた。
侍女エリザベス(ベス)。もう一人のエリザベスとして描かれる。エリザベスの俗世の姿である。この両者の関係、決別、成長の物語が作品の主なキーワードだ。
一方の英国には、戦争の影はどこにもなかった。
英国女王エリザベスのもとに、いくつもの縁談の話が舞い込んでくる。
退屈そうにするエリザベスは、謁見場にいた、一人の男に心惹かれる。海賊の、ウォルター・ローリーだ。
豪華絢爛な衣装デザインに注目したい。大作映画だがセット数は少なく、おそらく歴史建築などが撮影に使われたのだろう。古い建築がそのまま残るのが石建築のいいところだ。だからプリ・プロダクションで力を注いだのは衣装のほうだろう。
歴史を現代の感性で美しく描いた作品だ。石建築の重厚な重々しさ、暗く差し込んでくる光。西洋絵画で見られる光を、しっかり捉えてフィルムの中に封じている。
歴史を題材にし、背景に戦争の影があるが、本質は恋愛映画だ。女王エリザベスの恋愛物語であり、成長の物語だ。
『エリザベス:ゴールデン・エイジ』には二人のエリザベスが登場する。女王エリザベスと、その侍女であるエリザベス(ベス)だ。
二人のエリザベスの関係は、光と影だ。二人は常に一緒にいるし、鏡のように対比する存在として描かれる。
権力を持ったエリザベスと、権力に服従するエリザベス。思い通りになれないエリザベスと、思い通りになるエリザベス。
ウォルター・ローリーの役割は、恋愛の主体であると同時に、この両者の関係を変質させるためにある。
我々はつい物質だけで価値判断してしまいがちだ。確かに王はあらゆる物に満たされているが、しかし自由はない。孤独であるといっていい。常に背後にある国家を意識して行動しなければならないし、どんな決断も先延ばしにできない。罠に陥れて戦争を始めたがる連中もいる。暗殺の恐れもある。ひたすら神経をすり減らしていくだけだろう。王であるためには大きな責任が伴うのだ。
王とは、俗世的な存在ではなく、偶像に近い存在だ。馬鹿げた装飾に、白塗りの面のような顔。女王自身がそんな姿を望んでいるのではない――王という立場を示すために、俗世とは違う存在である証明のために、そんな格好をしているのだ。
王とは、すべての権威の最上部にありながら自由はない。民も側近も、王に人間としたの姿など求めていない。
王とは偶像に過ぎない。王とはある意味で人間ですらない。王とは国家である。王とは大地そのものである。
だから女王エリザベスは、救いたい命も救えず、愛も得られない。人間としての欲求は、王という存在にはふさわしくないからだ。
だから女王エリザベスは、侍女のベスを通じて、ローリーの愛を得ようとする。自分の代わりにローリーと踊らせ、自分の代わりに愛の言葉を交わす。そのどちらも、女王がする行為としては認められていないからだ。
クライマックスの戦いは、象徴的に描かれる。おそらく、予算の問題が背景にあったのだと思うが、この映画はあくまでもエリザベスの成長の物語。嘔吐しての覚悟を決めるまでの物語だ。国同士の戦いも、エリザベスにとっては精神的な戦いである。兵士のぶつかり合いを中心とした合戦を期待した人はがっかり?
物語は間もなく戦争の影が忍び寄ろうとする。スペイン艦隊が、海峡に迫ってくる。
エリザベス女王は、様々な葛藤を抱き、決断を迫られる。
人間としてではない。女としてでもない。一国を背負う王として。王である立場を自ら受け入れ、民を導く覚悟のために。
そのすべてが達成させられた時にこそ、英雄の時代“ゴールデン・エイジ(黄金時代)”が得られるのだ。
映画記事一覧
作品データ
監督:シェカール・カプール
脚本:ウィリアム・ニコルソン マイケル・ハースト
音楽:クレイグ・アームストロング
撮影:レミ・アデファラシン 編集:ジル・ビルコック
出演:ケイト・ブランシェット ジェフリー・ラッシュ
〇〇〇クライブ・オーエン リス・エヴァンス
〇〇〇ジョルディ・モリャ アビー・コーニッシュ
カトリックを国教とするスペインと、プロテスタントを国教とする英国。
スペイン王フェリペニ二世は、プロテスタントの女王を亡き者にし、娘を英国女王の座に就かせるために、謀略を練っていた。
侍女エリザベス(ベス)。もう一人のエリザベスとして描かれる。エリザベスの俗世の姿である。この両者の関係、決別、成長の物語が作品の主なキーワードだ。
一方の英国には、戦争の影はどこにもなかった。
英国女王エリザベスのもとに、いくつもの縁談の話が舞い込んでくる。
退屈そうにするエリザベスは、謁見場にいた、一人の男に心惹かれる。海賊の、ウォルター・ローリーだ。
豪華絢爛な衣装デザインに注目したい。大作映画だがセット数は少なく、おそらく歴史建築などが撮影に使われたのだろう。古い建築がそのまま残るのが石建築のいいところだ。だからプリ・プロダクションで力を注いだのは衣装のほうだろう。
歴史を現代の感性で美しく描いた作品だ。石建築の重厚な重々しさ、暗く差し込んでくる光。西洋絵画で見られる光を、しっかり捉えてフィルムの中に封じている。
歴史を題材にし、背景に戦争の影があるが、本質は恋愛映画だ。女王エリザベスの恋愛物語であり、成長の物語だ。
『エリザベス:ゴールデン・エイジ』には二人のエリザベスが登場する。女王エリザベスと、その侍女であるエリザベス(ベス)だ。
二人のエリザベスの関係は、光と影だ。二人は常に一緒にいるし、鏡のように対比する存在として描かれる。
権力を持ったエリザベスと、権力に服従するエリザベス。思い通りになれないエリザベスと、思い通りになるエリザベス。
ウォルター・ローリーの役割は、恋愛の主体であると同時に、この両者の関係を変質させるためにある。
我々はつい物質だけで価値判断してしまいがちだ。確かに王はあらゆる物に満たされているが、しかし自由はない。孤独であるといっていい。常に背後にある国家を意識して行動しなければならないし、どんな決断も先延ばしにできない。罠に陥れて戦争を始めたがる連中もいる。暗殺の恐れもある。ひたすら神経をすり減らしていくだけだろう。王であるためには大きな責任が伴うのだ。
王とは、俗世的な存在ではなく、偶像に近い存在だ。馬鹿げた装飾に、白塗りの面のような顔。女王自身がそんな姿を望んでいるのではない――王という立場を示すために、俗世とは違う存在である証明のために、そんな格好をしているのだ。
王とは、すべての権威の最上部にありながら自由はない。民も側近も、王に人間としたの姿など求めていない。
王とは偶像に過ぎない。王とはある意味で人間ですらない。王とは国家である。王とは大地そのものである。
だから女王エリザベスは、救いたい命も救えず、愛も得られない。人間としての欲求は、王という存在にはふさわしくないからだ。
エリザベスは海賊ローリーに恋心を抱く。しかしエリザベスの恋は決して実現しない。
なぜなら、女王エリザベスは“バージン・クイーン”であるからだ。エリザベス自身で、絶対の処女という象徴的存在を規定した。だから、自らこれに反逆してはならない。だから女王エリザベスは、侍女のベスを通じて、ローリーの愛を得ようとする。自分の代わりにローリーと踊らせ、自分の代わりに愛の言葉を交わす。そのどちらも、女王がする行為としては認められていないからだ。
クライマックスの戦いは、象徴的に描かれる。おそらく、予算の問題が背景にあったのだと思うが、この映画はあくまでもエリザベスの成長の物語。嘔吐しての覚悟を決めるまでの物語だ。国同士の戦いも、エリザベスにとっては精神的な戦いである。兵士のぶつかり合いを中心とした合戦を期待した人はがっかり?
物語は間もなく戦争の影が忍び寄ろうとする。スペイン艦隊が、海峡に迫ってくる。
エリザベス女王は、様々な葛藤を抱き、決断を迫られる。
人間としてではない。女としてでもない。一国を背負う王として。王である立場を自ら受け入れ、民を導く覚悟のために。
そのすべてが達成させられた時にこそ、英雄の時代“ゴールデン・エイジ(黄金時代)”が得られるのだ。
映画記事一覧
作品データ
監督:シェカール・カプール
脚本:ウィリアム・ニコルソン マイケル・ハースト
音楽:クレイグ・アームストロング
撮影:レミ・アデファラシン 編集:ジル・ビルコック
出演:ケイト・ブランシェット ジェフリー・ラッシュ
〇〇〇クライブ・オーエン リス・エヴァンス
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■2009/09/19 (Sat)
映画:外国映画■
マゴリアムおじさんのおもちゃ屋に並ぶ玩具は普通の品ではない。すべてに魔法がかけられている。どの玩具も生命を持ち、子供を楽しませようと身を弾ませている。
そんな店の主であるマゴリアムおじさんは、まもなく243歳にる。マゴリアムおじさんは生涯を通じてあらゆる玩具を創作し、あらゆる玩具を蒐集してきた。だが、それそろ引退する時がやってきた。魔法のおもちゃ屋から、そして人生から。
マゴリアムおじさんは、支配人であるマホーニーに店を譲ろうと考えているが……。
マホーニーは少女時代、ピアノの天才と呼ばれていた。自身もピアノを職業にするつもりでいた。
でも才能は枯れてしまった。夢は半ばで挫折してしまった。
それでもマホーニーは作曲の夢だけは諦められなかった。それも枯れ尽きた才能の前に、行き詰まり、自信を失っていた。
マホーニーはマゴリアムおじさんおもちゃ屋をうまく経営していた。店の玩具なら何でも知っている。どんな玩具にどんな魔力が込められているかも、それからマゴリアムおじさん独特のユーモアも理解している。
しかし自信喪失がマホーニーを追い詰めていく。いつしかマホーニーは、玩具に宿る魔法を信じられなくなっていった。
物質の洪水のような映画だ。物に依存した映画なのか、精神病理とは違った視点の精神性ついて語ろうとした映画なのか。その解釈は見る人によって様々だろう。ただ、見ると少々目が疲れる映画である。
『マゴリアムおじさんのおもちゃ屋』はとにかく色彩豊かな映画だ。レッドを中心にブルー、イエロー。色彩の洪水だが、色同士は混濁せず、うまく譲歩しあって鮮やかな色調を作り出している。
色彩の洪水であると同時に、中心舞台であるおもちゃ屋もまた物質の洪水だ。この映画のために、世界中のあらゆる場所から玩具が蒐集され、ディスプレイされる。
その圧倒的なディティールに眩暈すら感じる。画面は常に閉所恐怖症のように物まみれで、静止する瞬間なしに動き続けている。画面の印象はあまりにも濃厚で、見終わる頃にはゲップが出そうな勢いだ。
もっとも、画面の色彩そのものは落ち着いた暖色系で、暖かな印象をもって描かれている。
映画のもう一つのキーパーソンである、少年と会計士。人生には遊びも必要……アメリカ映画にありがちなテーマで目立ったものはない。アメリからしい享楽主義の精神がよく現われているといえるだろう。
『マゴリアムおじさんのおもちゃ屋』において、色彩と玩具は単に背景ではない。俳優以上に、物語の状況と登場人物の精神状態について雄弁に解説している。
すべての玩具には魔法がかけられている――。この都合のよい設定どおりに、物語の感情に合わせて、無数に陳列された玩具たちが騒ぎ、沈黙し、色彩を変化させる。
玩具一つ一つが重要な登場人物なのであり、玩具が映画の構造の一つとして機能しているのだ。
『マゴリアムおじさんのおもちゃ屋』は、俳優と同じくらい、物質と色彩、音楽を重要視する映画だ。本来背景におかれるべきものが、物語の進行を解説し、シーンの感情を決定付けている。俳優以上に感情豊かで、生命観溢れる装置だ。
映画中にちらと登場する『ケロロ軍曹』。映画中に登場する玩具は世界中から蒐集されたものだ。ケロロ軍曹は日本代表という感じで登場する。アメリカのドラマにも登場したり、ケロロ軍曹は意外にも世界に広がっているのだろうか?
物語中に登場する玩具には魔法がかけられている。その魔法をかけるのは、もちろん人間の側である。つまり、この映画は玩具と人間に関わりを描いている。
玩具を“ただの”玩具と決め付けたとき、それはただの物質となる。玩具は人間の心理に対し、何ら影響を与えないだろう。子供に夢を与えたりもしないだろう。
玩具が玩具であり続けるには、人間の側による魔法が必要なのだ。
魔法を信じ、玩具の人形に話しかけたとき、玩具は玩具として輝き出す。それは人間と物質の関係〔=アニミズム〕を示唆するものである。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:ザック・ヘルム
音楽:アレクサンドル・デスプラ アーロン・ジグマン
出演:ダスティン・ホフマン ナタリー・ポートマン
〇〇〇ジェイソン・ベイトマン ザック・ミルズ
〇〇〇テッド・ルジック マイク・リアルバ
そんな店の主であるマゴリアムおじさんは、まもなく243歳にる。マゴリアムおじさんは生涯を通じてあらゆる玩具を創作し、あらゆる玩具を蒐集してきた。だが、それそろ引退する時がやってきた。魔法のおもちゃ屋から、そして人生から。
マゴリアムおじさんは、支配人であるマホーニーに店を譲ろうと考えているが……。
マホーニーは少女時代、ピアノの天才と呼ばれていた。自身もピアノを職業にするつもりでいた。
でも才能は枯れてしまった。夢は半ばで挫折してしまった。
それでもマホーニーは作曲の夢だけは諦められなかった。それも枯れ尽きた才能の前に、行き詰まり、自信を失っていた。
マホーニーはマゴリアムおじさんおもちゃ屋をうまく経営していた。店の玩具なら何でも知っている。どんな玩具にどんな魔力が込められているかも、それからマゴリアムおじさん独特のユーモアも理解している。
しかし自信喪失がマホーニーを追い詰めていく。いつしかマホーニーは、玩具に宿る魔法を信じられなくなっていった。
物質の洪水のような映画だ。物に依存した映画なのか、精神病理とは違った視点の精神性ついて語ろうとした映画なのか。その解釈は見る人によって様々だろう。ただ、見ると少々目が疲れる映画である。
『マゴリアムおじさんのおもちゃ屋』はとにかく色彩豊かな映画だ。レッドを中心にブルー、イエロー。色彩の洪水だが、色同士は混濁せず、うまく譲歩しあって鮮やかな色調を作り出している。
色彩の洪水であると同時に、中心舞台であるおもちゃ屋もまた物質の洪水だ。この映画のために、世界中のあらゆる場所から玩具が蒐集され、ディスプレイされる。
その圧倒的なディティールに眩暈すら感じる。画面は常に閉所恐怖症のように物まみれで、静止する瞬間なしに動き続けている。画面の印象はあまりにも濃厚で、見終わる頃にはゲップが出そうな勢いだ。
もっとも、画面の色彩そのものは落ち着いた暖色系で、暖かな印象をもって描かれている。
映画のもう一つのキーパーソンである、少年と会計士。人生には遊びも必要……アメリカ映画にありがちなテーマで目立ったものはない。アメリからしい享楽主義の精神がよく現われているといえるだろう。
『マゴリアムおじさんのおもちゃ屋』において、色彩と玩具は単に背景ではない。俳優以上に、物語の状況と登場人物の精神状態について雄弁に解説している。
すべての玩具には魔法がかけられている――。この都合のよい設定どおりに、物語の感情に合わせて、無数に陳列された玩具たちが騒ぎ、沈黙し、色彩を変化させる。
玩具一つ一つが重要な登場人物なのであり、玩具が映画の構造の一つとして機能しているのだ。
『マゴリアムおじさんのおもちゃ屋』は、俳優と同じくらい、物質と色彩、音楽を重要視する映画だ。本来背景におかれるべきものが、物語の進行を解説し、シーンの感情を決定付けている。俳優以上に感情豊かで、生命観溢れる装置だ。
映画中にちらと登場する『ケロロ軍曹』。映画中に登場する玩具は世界中から蒐集されたものだ。ケロロ軍曹は日本代表という感じで登場する。アメリカのドラマにも登場したり、ケロロ軍曹は意外にも世界に広がっているのだろうか?
物語中に登場する玩具には魔法がかけられている。その魔法をかけるのは、もちろん人間の側である。つまり、この映画は玩具と人間に関わりを描いている。
玩具を“ただの”玩具と決め付けたとき、それはただの物質となる。玩具は人間の心理に対し、何ら影響を与えないだろう。子供に夢を与えたりもしないだろう。
玩具が玩具であり続けるには、人間の側による魔法が必要なのだ。
魔法を信じ、玩具の人形に話しかけたとき、玩具は玩具として輝き出す。それは人間と物質の関係〔=アニミズム〕を示唆するものである。
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作品データ
監督・脚本:ザック・ヘルム
音楽:アレクサンドル・デスプラ アーロン・ジグマン
出演:ダスティン・ホフマン ナタリー・ポートマン
〇〇〇ジェイソン・ベイトマン ザック・ミルズ
〇〇〇テッド・ルジック マイク・リアルバ
■2009/09/19 (Sat)
映画:外国映画■
朝の6時37分。
アナは何となく気配を感じて目を覚ました。昨日の晩、夫のルイスと抱き合ったままの格好だった。
ふっとドアが開いた。誰かが廊下に立っている気配を感じた。
「ヴィヴィアンか。ヴィヴィアン、どうかしたのか?」
ルイスが顔を上げて、ヴィヴィアンの姿を確認した。ヴィヴィアンは隣に住んでいる女の子だ。
こんな朝の早い時間に、どうしたのだろう。
アナも顔を上げて、ヴィヴィアンの姿を確認しようとした。
ヴィヴィアンの顔は真っ赤な血で塗りつぶされていた。
「なんてこった! 救急車を!」
ルイスが飛び起きてヴィヴィアンの側に向かった。
その時だ。突然、ヴィヴィアンがルイスの首に噛み付いた。
「ルイス!」
アナもヴィヴィアンに飛びついた。引き離そうとしても、ヴィヴィアンの顎の力は強く、ルイスの首が噛み千切られてしまった。
ヴィヴィアンは、標的を変えてアナに襲い掛かろうとした。
アナはヴィヴィアンを突き飛ばした。ヴィヴィアンは廊下に吹っ飛ばされるが、さっと身を跳ね起こした。アナは寝室のドアを閉めて、鍵を閉めた。
ヴィヴィアンはドアに激突して、突き破ろうと激しく叩いた。
アナはベッドに倒れたルイスの側に飛んだ。
「ルイス、手を離して。血が止められない」
ルイスの首から、血がとめどなく溢れ出ていた。アナはルイスの手をのけさせて、枕カバーを当てて、とりあえずの応急処置をした。
それから、受話器を手に取り、911に電話した。しかし、回線が混雑中で、繋がらない。アナは半ば混乱しつつ、911を何度もプッシュした。
そうしていると、ルイスがふらりと立ち上がった。
「ルイス、傷は?」
アナは看護師だ。その経験からいって、致命傷だったはず。起き上がれるはずがない。
ルイスが振り向いた。だがその目は正気ではなかった。
ルイスがアナに飛びついてきた。アナはとっさに身をかわした。ルイスは壁に激突し、ベッド脇の棚を突き崩した。
ルイスは尚もアナに襲いかかろうとしていた。アナは車の鍵を手に取り、シャワールームへ飛び込んだ。鍵をかけて、浴槽に逃げ込む。
一瞬、沈黙した。
夫は、夫はどうしたしまったんだ。ルイスはにわかに冷静を取り戻して、ドアの側に近付いた。
すると、いきなりドアがぶち破られた。ルイスが掴もうと飛びついてきた。
アナはシャワールームの奥に飛びつき、窓を開けた。だが、ルイスがアナの脚をつかんだ。アナはルイスを蹴り飛ばし、窓の向こう側に脱出した。
それから、ようやく気付いた。
街が崩壊していた。あちこちで悲鳴が上がり、銃声が鳴っていた。正気をなくした人たちが、街の人間に襲い掛かっている。制御を失った車が、車道を暴走していた。
いったい何が起きたのか?
アナは考えるより先に、車に乗り込んだ。
ゾンビ映画はかつてのような宗教的な説教くささ……ピューリタリズムの影響から逃れつつある。『ドーン・オブ・ザ・デッド』では宗教的な規範者や善良者が不自然に生き残る映画ではない。純粋に、強い者だけが生き残るサバイバル・ゲーム映画だ。もっといえば「宗教とゾンビ映画」という文脈で描いたホラー映画が見てみたい。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』は、ゾンビ映画の古典『ゾンビ』のリメイク作品である。
だが、『ゾンビ』の基本的骨格だけを残し、大胆なアレンジを加えている。
街に突然ゾンビが溢れ出し、生存者はショッピングモールに逃げ込む。そこで、ぎりぎりぎのサバイバルゲームが始まる。
新しい『ドーン・オブ・ザ・デッド』には、かつての消費社会に対する警鐘や、風刺といったメッセージ性はない。
ただ恐るべき怪物が目の前に迫り、いかに逃げおおせるか。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』は、強者だけが生き残れる、純粋な自然主義的サバイバル・ゲームとして復活した。
ゾンビ映画といえば、ショッピングモール。しかし消費社会への警鐘など一切ない。ゾンビ映画などで清貧の美徳など唱えても、観客は戸惑うだけだ。むしろ、溢れる物で何を達成するか、が現代人の思考やスタイルに求められている。この映画では、ショッピング・モールはただの場所とでしか描いていないが。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』において、ホラー映画にまとわりついていた宗教の影は完全に消滅した。
かつてのホラー映画の背景にちらついていた、説教臭い啓発など『ドーン・オブ・ザ・デッド』のどこにもない。
かつて鮮明だったメッセージは、同じ内容をテレビが連呼した結果、中身のない抜け殻の教訓に身を落としてしまった。
毎日テレビで繰り返し聞かされているような愚昧な説教を、わざわざ映画観の5.1チャンネルの音響で聞きたいと思う者はいないのだ。
現代人の目は、はっきりと越えすぎている。あまりにも知性が高いし、平凡な人間でも鋭い感性を持っている。
そんな現代人が求めているのは、刷り込みを一段階アウフヘーベンする飛躍したビジョンだ。
文法が細分化し、様式が高度に洗練されてしまった現代。映像作家にできることは、もはやかつて見た映像の焼き直しか、パロディだけだ。
だからこそ、従来とはまったく違う、新しいスタンダートとなるべき感性が求められているのだ。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』はエンディングを抜けば80分程度。この種の娯楽映画に思うことだが、もう少し尺度はあってもいいのではないかと思う。人物の描写やドラマの組立てが中途半端に放り出した感じがあって、どうしても拍子抜けになってしまう。じっくり描けば、ゾンビ映画でも今までと違った印象になるはず。映画は消費社会について警鐘はしていないが、作品自体がファーストフードのような消費物のように感じてしまう。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』でのゾンビは、全力疾走で追いかけてくる。
生きているときには制限がかけられていた筋肉は、限界まで引き絞られ、生きた人間の肉を求めて走る。
生き残るためには、全力で走らねばならない。
かつてのゾンビ映画では、同じ種類の緊張は決して得られない。
あまりにも愚鈍なゾンビや殺人鬼では、現代の観客には恐ろしくともなんともない。
よほどの間抜けか不注意ではない限り、簡単に逃げられるからだ。
かつての映画は、「シチュエーションの魔術」が映画にかけられていたから、我々は何となく納得して見ていたが、今の感性で見ると、シュールな映像にしか見えない。はっきり言えば、かつてのホラー映画の登場人物は、間抜けの集団だ。
だからこそ、『ドーン・オブ・ザ・デッド』でのゾンビは全力で走り、全力で逃げる。
限界まで走り、限界まで緊張する。
何もかも限界だからこそ、かつて経験したことのない、新しい種類のサバイバル・スペースが誕生するのだ。
映画記事一覧
作品データ
監督:ザック・スナイダー
音楽:タイラー・ベイツ 脚本:ジェームズ・ガン
出演:サラ・ポーリー ヴィング・レイムス
〇〇〇ジェイク・ウェバー メキー・ファイファー
〇〇〇タイ・バーレル マイケル・ケリー
〇〇〇ケヴィン・ゼガーズ リンディ・ブース
アナは何となく気配を感じて目を覚ました。昨日の晩、夫のルイスと抱き合ったままの格好だった。
ふっとドアが開いた。誰かが廊下に立っている気配を感じた。
「ヴィヴィアンか。ヴィヴィアン、どうかしたのか?」
ルイスが顔を上げて、ヴィヴィアンの姿を確認した。ヴィヴィアンは隣に住んでいる女の子だ。
こんな朝の早い時間に、どうしたのだろう。
アナも顔を上げて、ヴィヴィアンの姿を確認しようとした。
ヴィヴィアンの顔は真っ赤な血で塗りつぶされていた。
「なんてこった! 救急車を!」
ルイスが飛び起きてヴィヴィアンの側に向かった。
その時だ。突然、ヴィヴィアンがルイスの首に噛み付いた。
「ルイス!」
アナもヴィヴィアンに飛びついた。引き離そうとしても、ヴィヴィアンの顎の力は強く、ルイスの首が噛み千切られてしまった。
ヴィヴィアンは、標的を変えてアナに襲い掛かろうとした。
アナはヴィヴィアンを突き飛ばした。ヴィヴィアンは廊下に吹っ飛ばされるが、さっと身を跳ね起こした。アナは寝室のドアを閉めて、鍵を閉めた。
ヴィヴィアンはドアに激突して、突き破ろうと激しく叩いた。
アナはベッドに倒れたルイスの側に飛んだ。
「ルイス、手を離して。血が止められない」
ルイスの首から、血がとめどなく溢れ出ていた。アナはルイスの手をのけさせて、枕カバーを当てて、とりあえずの応急処置をした。
それから、受話器を手に取り、911に電話した。しかし、回線が混雑中で、繋がらない。アナは半ば混乱しつつ、911を何度もプッシュした。
そうしていると、ルイスがふらりと立ち上がった。
「ルイス、傷は?」
アナは看護師だ。その経験からいって、致命傷だったはず。起き上がれるはずがない。
ルイスが振り向いた。だがその目は正気ではなかった。
ルイスがアナに飛びついてきた。アナはとっさに身をかわした。ルイスは壁に激突し、ベッド脇の棚を突き崩した。
ルイスは尚もアナに襲いかかろうとしていた。アナは車の鍵を手に取り、シャワールームへ飛び込んだ。鍵をかけて、浴槽に逃げ込む。
一瞬、沈黙した。
夫は、夫はどうしたしまったんだ。ルイスはにわかに冷静を取り戻して、ドアの側に近付いた。
すると、いきなりドアがぶち破られた。ルイスが掴もうと飛びついてきた。
アナはシャワールームの奥に飛びつき、窓を開けた。だが、ルイスがアナの脚をつかんだ。アナはルイスを蹴り飛ばし、窓の向こう側に脱出した。
それから、ようやく気付いた。
街が崩壊していた。あちこちで悲鳴が上がり、銃声が鳴っていた。正気をなくした人たちが、街の人間に襲い掛かっている。制御を失った車が、車道を暴走していた。
いったい何が起きたのか?
アナは考えるより先に、車に乗り込んだ。
ゾンビ映画はかつてのような宗教的な説教くささ……ピューリタリズムの影響から逃れつつある。『ドーン・オブ・ザ・デッド』では宗教的な規範者や善良者が不自然に生き残る映画ではない。純粋に、強い者だけが生き残るサバイバル・ゲーム映画だ。もっといえば「宗教とゾンビ映画」という文脈で描いたホラー映画が見てみたい。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』は、ゾンビ映画の古典『ゾンビ』のリメイク作品である。
だが、『ゾンビ』の基本的骨格だけを残し、大胆なアレンジを加えている。
街に突然ゾンビが溢れ出し、生存者はショッピングモールに逃げ込む。そこで、ぎりぎりぎのサバイバルゲームが始まる。
新しい『ドーン・オブ・ザ・デッド』には、かつての消費社会に対する警鐘や、風刺といったメッセージ性はない。
ただ恐るべき怪物が目の前に迫り、いかに逃げおおせるか。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』は、強者だけが生き残れる、純粋な自然主義的サバイバル・ゲームとして復活した。
ゾンビ映画といえば、ショッピングモール。しかし消費社会への警鐘など一切ない。ゾンビ映画などで清貧の美徳など唱えても、観客は戸惑うだけだ。むしろ、溢れる物で何を達成するか、が現代人の思考やスタイルに求められている。この映画では、ショッピング・モールはただの場所とでしか描いていないが。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』において、ホラー映画にまとわりついていた宗教の影は完全に消滅した。
かつてのホラー映画の背景にちらついていた、説教臭い啓発など『ドーン・オブ・ザ・デッド』のどこにもない。
かつて鮮明だったメッセージは、同じ内容をテレビが連呼した結果、中身のない抜け殻の教訓に身を落としてしまった。
毎日テレビで繰り返し聞かされているような愚昧な説教を、わざわざ映画観の5.1チャンネルの音響で聞きたいと思う者はいないのだ。
現代人の目は、はっきりと越えすぎている。あまりにも知性が高いし、平凡な人間でも鋭い感性を持っている。
そんな現代人が求めているのは、刷り込みを一段階アウフヘーベンする飛躍したビジョンだ。
文法が細分化し、様式が高度に洗練されてしまった現代。映像作家にできることは、もはやかつて見た映像の焼き直しか、パロディだけだ。
だからこそ、従来とはまったく違う、新しいスタンダートとなるべき感性が求められているのだ。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』はエンディングを抜けば80分程度。この種の娯楽映画に思うことだが、もう少し尺度はあってもいいのではないかと思う。人物の描写やドラマの組立てが中途半端に放り出した感じがあって、どうしても拍子抜けになってしまう。じっくり描けば、ゾンビ映画でも今までと違った印象になるはず。映画は消費社会について警鐘はしていないが、作品自体がファーストフードのような消費物のように感じてしまう。
『ドーン・オブ・ザ・デッド』でのゾンビは、全力疾走で追いかけてくる。
生きているときには制限がかけられていた筋肉は、限界まで引き絞られ、生きた人間の肉を求めて走る。
生き残るためには、全力で走らねばならない。
かつてのゾンビ映画では、同じ種類の緊張は決して得られない。
あまりにも愚鈍なゾンビや殺人鬼では、現代の観客には恐ろしくともなんともない。
よほどの間抜けか不注意ではない限り、簡単に逃げられるからだ。
かつての映画は、「シチュエーションの魔術」が映画にかけられていたから、我々は何となく納得して見ていたが、今の感性で見ると、シュールな映像にしか見えない。はっきり言えば、かつてのホラー映画の登場人物は、間抜けの集団だ。
だからこそ、『ドーン・オブ・ザ・デッド』でのゾンビは全力で走り、全力で逃げる。
限界まで走り、限界まで緊張する。
何もかも限界だからこそ、かつて経験したことのない、新しい種類のサバイバル・スペースが誕生するのだ。
映画記事一覧
作品データ
監督:ザック・スナイダー
音楽:タイラー・ベイツ 脚本:ジェームズ・ガン
出演:サラ・ポーリー ヴィング・レイムス
〇〇〇ジェイク・ウェバー メキー・ファイファー
〇〇〇タイ・バーレル マイケル・ケリー
〇〇〇ケヴィン・ゼガーズ リンディ・ブース
■2009/09/19 (Sat)
創作小説■
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判】
17
藤吉が振り返った。そこにあったのは厳しい戦士の顔ではなく、緊張から解放されて微笑む同世代の女の子の顔だった。
「助かりました。でも藤吉さん、格闘技でもやっていたのですか」
糸色先生が千里とまといに助けられて体を起こした。その腹に、バタフライナイフが突き刺さったままだった。
藤吉は朗らかな顔で首を振った。
「ううん。格ゲーで。でも、リアルファイトも結構いいもんね。ねえ、千里。今度二人でジムとか行かない?」
藤吉は気持ち良さそうな背伸びをして、千里に微笑みかけた。
「こんなときにおかしな冗談はいわないで。それに、晴美と一緒は嫌よ。」
千里が放り出されたままの眼鏡を拾い、藤吉に差し出した。その瞬間、二人は親密そうに目線を交わした。互いを気遣うような気配が漂い、藤吉は眼鏡を受け取りながら、こくりと頷いた。
私たちは、再び出口を目指して進み始めた。だけど、糸色先生は負傷して、思うように走れないようだった。まといに支えられ、千里に手を引かれながら、なんとか早足に進む。
ホールを離れてしばらく進むと、下に降りる階段が現れた。そこまでくると、『ジュリアーノ・デ・メディチ』の後ろ姿が見えた。『ジュリアーノ・デ・メディチ』の向うから、月の光が射しこんでくるのが見えた。出口は、すぐそこだった。
だが、背後からモーター音が聞こえた。私たちははっとして振り返った。暗闇の中から、チェーンソーを手に微笑を浮かべる可符香が現れた。
「みんな先に逃げて!」
藤吉が可符香と向きあって、低く身構えた。
「できません!」
糸色先生が藤吉を振り向こうとした。しかし、千里が糸色先生の手を強く引っ張った。
「大丈夫、晴美を信じて!」
千里は糸色先生に声をかけて、階段に向かった。
私たちは階段を駆け下りていった。私は一番に階段を下りて、振り返った。階段の上のほうで、千里が踏みとどまっていた。戦いの音が、その向うから聞こえてきた。千里は間もなく階段を降りて、私たちを追いかけてきた。
私たちはついに、屋敷の門から外に飛び出した。星ぽつぽつと瞬くのが見えた。新鮮な空気が辺りを巡るのを感じた。まだ屋敷の敷地内だけど、私はほっとした気分になって足を止めてしまった。千里もまといも足を止めて、はあはあと息を吸い込んでいた。あびるは今にも崩れそうになって、膝に掌を置いていた。
その時、いきなり窓が砕けた。門の右手の窓だった。破片が飛び散って、少女が飛び出してきた。藤吉だった。
「走って!」
藤吉は受け身を取って鮮やかに立ち上がると、警告しながら走った。
私たちは再び走った。煉瓦敷きの通りを突っ切り、目の前に門が現れた。私たちは順番に、噛み合わずずれたところから体を押し込んで外に出た。最初に私、あびると続き、負傷した糸色先生とまといが一緒に出ようとする。
背後の闇から、モーター音と共に軽やかな足音が迫ってきた。振り向くと、煉瓦敷きの通りを、可符香がチェーンソーを手に走ってくるのが見えた。
「急いで!」
私とあびるで、糸色先生の脱出を手伝った。後ろから千里が糸色先生を押した。やっと糸色先生の体が外に出た。
最後の千里と藤吉が門の外に脱出した。
可符香の走る勢いが落ちた。門の前に来る頃には、可符香は完全に足を止め、チェーンソーを止めて放り出してしまった。そうして、鉄柵越しに私たちを赤い瞳でじっと見詰めた。
「どうして来ないの?」
千里が戸惑う表情で可符香を振り返った。
「我々が屋敷の外に出たからでしょう。ここで殺人を犯せば、男爵に言い逃れのできない容疑がかかってしまいます。屋敷の中ならば、男爵の自由が許されますが、ここでは目撃者の怖れがあります。だからでしょう」
糸色先生は苦しそうな声で解説した。着物に広がった赤い染みがじわりと広がりつつあった。
「藤吉さん、血、出てる」
私は藤吉の右腕から出血しているのに気付いて声をあげた。
「やられたの?」
あびるが気遣うように藤吉を覗き込んだ。
「ううん、ガラスで切っただけ。脱出するときに」
藤吉は何でもない、というふうに微笑むと、傷を隠すように掌で抑えた。
「先生、警察を呼びましょう。」
千里が厳しい顔で糸色先生を振り返った。
「駄目です。そんなことをしたら、私がマスコミの前で謝罪しなくちゃいけなくなったり、大変じゃないですか」
「先生、こんなときに何言っているんですか」
私は思わず呆れた声をあげてしまった。でも糸色先生は、私たちを手で制した。
「それに、あの子は私の生徒です。私は自分の生徒を、警察に突き出すような真似をしたくありません。いいですか。警察を動かすのは、最後の一手。男爵を確実に封じられるその時だけです。いいですね」
糸色先生はじっと可符香に似た少女を見詰め、それから私たちに引き攣る声で念を押した。
私たちも真剣な顔で頷いた。
糸色先生の体が崩れかけた。まといが慌てて糸色先生の体を支える。糸色先生は顔中に汗を浮かべ、はあはあと息を喘がせていた。
「……それでは、申し訳ありませんが、兄の医院まで引っ張ってくれませんか。あそこなら安全なはずです」
糸色先生が私たちに手を伸ばした。私たちみんなで、糸色先生の手を握った。
次回 P060 第6章 異端の少女1 を読む
小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次
P059 第5章 ドラコニアの屋敷
17
藤吉が振り返った。そこにあったのは厳しい戦士の顔ではなく、緊張から解放されて微笑む同世代の女の子の顔だった。
「助かりました。でも藤吉さん、格闘技でもやっていたのですか」
糸色先生が千里とまといに助けられて体を起こした。その腹に、バタフライナイフが突き刺さったままだった。
藤吉は朗らかな顔で首を振った。
「ううん。格ゲーで。でも、リアルファイトも結構いいもんね。ねえ、千里。今度二人でジムとか行かない?」
藤吉は気持ち良さそうな背伸びをして、千里に微笑みかけた。
「こんなときにおかしな冗談はいわないで。それに、晴美と一緒は嫌よ。」
千里が放り出されたままの眼鏡を拾い、藤吉に差し出した。その瞬間、二人は親密そうに目線を交わした。互いを気遣うような気配が漂い、藤吉は眼鏡を受け取りながら、こくりと頷いた。
私たちは、再び出口を目指して進み始めた。だけど、糸色先生は負傷して、思うように走れないようだった。まといに支えられ、千里に手を引かれながら、なんとか早足に進む。
ホールを離れてしばらく進むと、下に降りる階段が現れた。そこまでくると、『ジュリアーノ・デ・メディチ』の後ろ姿が見えた。『ジュリアーノ・デ・メディチ』の向うから、月の光が射しこんでくるのが見えた。出口は、すぐそこだった。
だが、背後からモーター音が聞こえた。私たちははっとして振り返った。暗闇の中から、チェーンソーを手に微笑を浮かべる可符香が現れた。
「みんな先に逃げて!」
藤吉が可符香と向きあって、低く身構えた。
「できません!」
糸色先生が藤吉を振り向こうとした。しかし、千里が糸色先生の手を強く引っ張った。
「大丈夫、晴美を信じて!」
千里は糸色先生に声をかけて、階段に向かった。
私たちは階段を駆け下りていった。私は一番に階段を下りて、振り返った。階段の上のほうで、千里が踏みとどまっていた。戦いの音が、その向うから聞こえてきた。千里は間もなく階段を降りて、私たちを追いかけてきた。
私たちはついに、屋敷の門から外に飛び出した。星ぽつぽつと瞬くのが見えた。新鮮な空気が辺りを巡るのを感じた。まだ屋敷の敷地内だけど、私はほっとした気分になって足を止めてしまった。千里もまといも足を止めて、はあはあと息を吸い込んでいた。あびるは今にも崩れそうになって、膝に掌を置いていた。
その時、いきなり窓が砕けた。門の右手の窓だった。破片が飛び散って、少女が飛び出してきた。藤吉だった。
「走って!」
藤吉は受け身を取って鮮やかに立ち上がると、警告しながら走った。
私たちは再び走った。煉瓦敷きの通りを突っ切り、目の前に門が現れた。私たちは順番に、噛み合わずずれたところから体を押し込んで外に出た。最初に私、あびると続き、負傷した糸色先生とまといが一緒に出ようとする。
背後の闇から、モーター音と共に軽やかな足音が迫ってきた。振り向くと、煉瓦敷きの通りを、可符香がチェーンソーを手に走ってくるのが見えた。
「急いで!」
私とあびるで、糸色先生の脱出を手伝った。後ろから千里が糸色先生を押した。やっと糸色先生の体が外に出た。
最後の千里と藤吉が門の外に脱出した。
可符香の走る勢いが落ちた。門の前に来る頃には、可符香は完全に足を止め、チェーンソーを止めて放り出してしまった。そうして、鉄柵越しに私たちを赤い瞳でじっと見詰めた。
「どうして来ないの?」
千里が戸惑う表情で可符香を振り返った。
「我々が屋敷の外に出たからでしょう。ここで殺人を犯せば、男爵に言い逃れのできない容疑がかかってしまいます。屋敷の中ならば、男爵の自由が許されますが、ここでは目撃者の怖れがあります。だからでしょう」
糸色先生は苦しそうな声で解説した。着物に広がった赤い染みがじわりと広がりつつあった。
「藤吉さん、血、出てる」
私は藤吉の右腕から出血しているのに気付いて声をあげた。
「やられたの?」
あびるが気遣うように藤吉を覗き込んだ。
「ううん、ガラスで切っただけ。脱出するときに」
藤吉は何でもない、というふうに微笑むと、傷を隠すように掌で抑えた。
「先生、警察を呼びましょう。」
千里が厳しい顔で糸色先生を振り返った。
「駄目です。そんなことをしたら、私がマスコミの前で謝罪しなくちゃいけなくなったり、大変じゃないですか」
「先生、こんなときに何言っているんですか」
私は思わず呆れた声をあげてしまった。でも糸色先生は、私たちを手で制した。
「それに、あの子は私の生徒です。私は自分の生徒を、警察に突き出すような真似をしたくありません。いいですか。警察を動かすのは、最後の一手。男爵を確実に封じられるその時だけです。いいですね」
糸色先生はじっと可符香に似た少女を見詰め、それから私たちに引き攣る声で念を押した。
私たちも真剣な顔で頷いた。
糸色先生の体が崩れかけた。まといが慌てて糸色先生の体を支える。糸色先生は顔中に汗を浮かべ、はあはあと息を喘がせていた。
「……それでは、申し訳ありませんが、兄の医院まで引っ張ってくれませんか。あそこなら安全なはずです」
糸色先生が私たちに手を伸ばした。私たちみんなで、糸色先生の手を握った。
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