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■2009/09/25 (Fri)
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判

P065 第6章 異端の少女


私はあの用務員室に入る直前の場面から、現在に至るまでの話をした。私の話を中心に、みんなが周辺を補足したり、訂正したりした。
糸色先生は余計な言葉を挟まず、ときどき詰まってしまう私を促しながら、話を確実に引き出していくみたいな感じだった。話は長かったし、本当に必要なのかと思う場面もあった。でも糸色先生は忍耐強く、どのエピソードも重要だという顔で聞いていてくれた。
話が終わる頃には、時計は深夜の2時を差していた。診療所の外でさざめいていた虫の声すらもう聞こえない。夜が本当に深い時間だった。
「だいたいわかりました。ご苦労様です」
糸色先生は私の話が終わると、一度だけ頷いた。でもその顔は、まだ考え中みたいに緊張していた。
「それで、思いついたことを教えてくれないんだな。どうでもいいところで探偵気取りになるな、お前は」
命先生が腕組をして、糸色先生を軽くからかった。
「いえ、まだ何もかも仮定の状態ですから。考えのまとまらない状態で喋っても、伝わらなかったり誤解を招いたりするだけです。それと兄さん、一つ頼みがあります。明日、東大付属に出向いてみたいのですが」
糸色先生は立ち上がると、命先生を振り向いて頼みごとをした。
「ああ、いいとも。知り合いの知り合いになるが、夜が明けたらすぐに電話しよう」
命先生は了解して頷いた。
「それでは皆さん、帰りましょうか。もう遅いので、私の家でお泊りです」
それから糸色先生は、私たちに向かって微笑みかけてくれた。ようやく私たちは、診察室に取り付いた緊張から解放される思いだった。
私たちはあびるを連れて診療所を後にした。外は暗く沈黙していた。夜を包む闇がいつもより重く、闇は夏とは思えないくらい冷たかった。街灯の光がぽつぽつと浮かんでいたけど、そこに置かれている距離が測れなかった。
私たちは徒歩で糸色先生の借家を目指した。体格のいいスーツ姿の護衛も一緒だった。それでも誰もが不安な顔を浮かべ、私たちは常にお互いの姿を確認したり、周囲の闇を警戒したりしていた。みんなしっかり手を繋ぎあって、誰も喋ったりする人もいなかった。
ようやく糸色先生の家が見えてきたときは、なんだか救われたという気持ちにすらなった。
「ただいま」
糸色先生が鍵を開けて玄関のガラス戸を引き開けた。
雨戸が締め切られた暗い廊下に、一筋の光が落ちていた。居間に誰かいる気配があった。
襖が開いて、誰かが廊下に顔を出した。
「あ、先生。遅いじゃない。遅くなるんだったら、ちゃんと連絡してくれなくちゃ駄目でしょ」
霧だった。霧はタオルケットを肩にかけた格好で、ゆるやかにぷんすかと怒っていた。
「すみませんね。色々と立て込んでいたもので。人数分のお布団を用意してくれますか」
糸色先生は上り口に腰を下ろし、霧の存在がさも当り前のような調子で言葉を返した。
「なんで? なんで霧ちゃんがここにいるの?」
私は状況がつかめず、ぽかんとしてしまった。
「なぜって、引きこもりですから、家にいるのは当然じゃないですか」
糸色先生は上り口に腰を下ろし、手拭いで足を洗っていた。そうしながら私を見上げて、当然みたいな感じに答えた。
「何よ、私がいちゃいけないの?」
霧は居間に戻ろうとしたところで、私をちらと睨み付けた。私は訂正しようと、慌てて両手を振った。
「いや、いいけど。でも、霧ちゃんって不下校の人じゃなかったの?」
私は困惑するように周りのみんなに意見を求めた。
「何を言ってるの。引きこもりだけど、誰も学校限定だなんて言ってないわよ。一度、自宅に帰ってたじゃない。」
千里は呆れたふうに私に目を向けて、靴を脱いで廊下に上がった。
「しっかりしてよね、奈美ちゃん」
あびるがクールな声をかけて廊下に上がった。
「日塔さん、おかしなことを言わないで。私たちがおかしいみたいじゃないの」
まといが冷ややかな目と言葉を私に浴びせかけて、廊下に上がった。
私は一人だけで玄関に取り残されてしまった。
「え? 私がおかしいの?」
私の考えって、普通……だよね?

次回 P066 第6章 異端の少女7 を読む

小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次




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■2009/09/24 (Thu)
54c3ce5d.jpg1811年。フランス支配下のドイツ。
カールシュタットの町は、夜毎に姿を現す悪霊に怯えていた。町の人たちは怯え、悪霊の正体は百年前に魔女焚刑に処された女性の霊に違いないと囁きあっていた。
そんな最中に、市長の召喚でグリム兄弟がカールシュタットの町へと97789fe4.jpgやってきた。グリム兄弟は悪霊退治のベテランで知られ、今回の件もたちどころに解決しよう、と宣言した。
そうして、夜が訪れる。グリム兄弟は悪霊が現れる水車小屋に臨み、見事、悪霊を撃退してみせる。
e84d00ae.jpgグリム兄弟の人物像も、当然、実際のグリム兄弟と違う。物語の中のグリム兄弟は、ペテン師である。兄のウィルは心霊現象を一切信じていないが、弟は神秘の力をどこかで信じている。


が、すべてペテンだった。
悪霊の存在も、悪霊退治も、すべてグリム兄弟による自作自演だった。
そんなペテンも間もなく見破られて、グリム兄弟は、フランスの将軍ドゥラトンプに逮捕されてしまう。
グリム兄弟はただちに死刑が宣告されるが、代わりにある事件を解決できれば、恩赦を与えようと約束される。
ある事件とは、マルバデンの森で、9人の子供が失踪した事件だ。ドゥラトンプは、事件の正体はグリム兄弟と同じペテンと考え、その筋のプロであるグリム兄弟に事件を解決させようと考えていた。
f873a84f.jpgf0c698db.jpg赤頭巾のランプツェル。ランプツェルは白雪姫の魔法使いと合体している。魔法使いを演じたモニカ・ベルッチは撮影当時、すでに40歳を越えていた。白雪姫の魔法使いを演じるには、あまりにもぴったりな配役だ。
14b7c7e1.jpg『ブラザーズ・グリム』はグリム兄弟を題材にしているが、本当のグリム兄弟はもちろん詐欺師ではないし、映画に描かれるような冒険の旅もしていない。
実際のグリム兄弟は、6人兄弟で、いわゆる“グリム兄弟”と呼ばれる長男と次男は、ともに言語学者である。
現在では童話作家として認識されているが、もともともは研究の一環として、地方に眠る民間伝承を集めていたのである。
グリム兄弟が採話した童話集を、『グリム童話』と命名し出版したのも、グリム兄弟ではなく、出版社の人間である。
902f18d2.jpgグリム兄弟は、採話した話に相当な脚色を加えたらしい記録がある。柳田國男の『遠野物語』も書き手の感性に合わせて改竄されていたから、当時、オリジナル保護の考えは弱かったらしい。グリム兄弟は自分達の感性に合わせて、物語をよりドラマチックに、あるいは残酷すぎる物語などは表現を弱く描きなおした。我々は本当の童話を知ることはできない。
e76cfbd0.jpg『ブラザーズ・グリム』は、グリム兄弟が採話された物語からヒントを得ている。
白雪姫やシンデレラ、蛙の王子様にランプツェル……。
様々な童話の原型が次から次へと現れて、寄り合わされていく。
『ブラザーズ・グリム』で描かれるグリム兄弟はフィクションだが、もしも童話採取の背景に、驚くような冒険があったとしたら?
映画『ブラザーズ・グリム』はそんな“もしも”を追いかけて描かれていく。
物語の構築はやや強引だし、次々に登場する異界のモンスターたちは真実味以上に、あまりにもいかがわしさたっぷりに描かれている。
童話が本来持っている奇怪のエネルギーを、テリー・ギリアムの感性がよりいかがわしさを増幅させて、命を与えている。
15907b6c.jpg『ブラザーズ・グリム』はテリー・ギリアム自信の脚本作品ではない珍しい作品だ。あまりにもいかがわしい雰囲気満載の『ブラザーズ・グリム』は商業映画的な性質を持っているが、むしろテリー・ギリアムの感性を優先されている。


d4b24e26.jpgグリム童話が描かれた時代は、まだ自然の世界に多くの神秘や霊魂が眠っていた時代だった。
森の暗い影の向うに、平凡な人間が感知できない神秘の世界が眠っている。森の中は現在よりもっと暗く、恐ろしい気配に満ちた場所だった。
同時に信仰の舞台であり、ドルイドたちが祭儀を行う場所であった。
6b90fe30.jpgだが『ブラザーズ・グリム』で描かれる森は明るく、童話の語り手であるグリム兄弟はペテン師の扱いだ。
人々が恐れ、子供達の冒険の舞台であった森の物語は、現代人の感性ではもはやただのペテンでしかないのだ。
古い時代の物語が持っていた神秘や恐ろしさは、どこへ行ってしまったのだろう。
映画『ブラザーズ・グリム』での森は焼き払われ、愉快な祝祭の場面で、賑やかに幕を閉じてしまう。

映画記事一覧

作品データ
監督:テリー・ギリアム 原作:グリム兄弟(?)
音楽:ダリオ・マリアネッリ 脚本:アーレン・クルーガー
出演:マット・デイモン ヒース・レジャー
〇〇〇モニカ・ベルッチ ジョナサン・プライス
〇〇〇レナ・ヘディ ピーター・ストーメア
〇〇〇リチャード・ライディングス マッケンジー・クルック



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■2009/09/24 (Thu)
b36b8883.jpg西暦859年、唐の大中13年。
奉天県の捕吏詰所で、劉隊長と金隊長が机を挟んで向き合っていた。
cc84c1b4.jpg皇帝の反対勢力『飛刀門』が領域が拡大しつつある。劉と金の元に『飛刀門』の10日以内の撲滅命令が下されていた。
本拠地不明で、頭目すら明らかではない『飛刀門』。
f39d129a.jpgだが劉は、牡丹坊という遊郭に『飛刀門』の刺客が潜伏している情報を得ていた。
劉は金に、牡丹坊に潜入し、調査するよう指示する。
1695973b.jpg盲目の刺客を演じたチャン・ツィイー。激しいアクションだが、相手の俳優を見ていない。相当な練習を積んだのだろうと想像されるが、それにしても超人的身体能力だ。

かくして芸妓の小妹は『飛刀門』の刺客だった。金と劉の共同作戦によって、小妹の逮捕に成功する。
それで任務は終了だったが、劉はあえて小妹を逃がそうと提案する。小妹を囮にして頭目を捕らえようという作戦だった。
劉の作戦に賛同した金は、その夜、捕吏詰所を襲撃して小妹を牢獄から救出する。
bfaef379.jpg場面ごとに印象的な色彩が設定されている。冒頭の遊郭の場面ではパステルトーン。森の場面では紅葉のパッチワーク。後半の竹林シーンはグリーンのトーンだけで描かれる。


ec520ee5.jpg物語は複雑に絡み合い、次々と意外な真実が暴き出されていく。
誰もが計画を胸に秘め、謀に謀を重ねていく。
そんな中で、主人公の金だけが何も知らされずにいる。
金は鑑賞者に最も近い立場で、見えざる存在の勢力に対抗し、物語が持っている運命に翻弄される。鑑賞者は金とともに、次に迫る非情の運命を目撃する。
計画的に進行する謀も、愛によって狂い、奈落へと突き落とされていく。
『LOVERS』は愛と美の物語だ。
確かだった謀は、愛と美が絡みあい、思いがけない運命へと流されていく。
fef1f3eb.jpg宣伝は人集めの手段だが、観客に対して「その映画をどう見るべきか」の最初のガイドラインになる。それがもし宣伝どおりの映画ではなかったら、当然、期待外れに感じる。宣伝は予め観客にどのような印象を与えるか操作する場所だ。だから宣伝は慎重でなくてはならない。あからさまに宣伝と本体が一致していなければ「期待を裏切る」結果となる。
8c4bfe45.jpgだが、映画『LOVERS』はあまりにも情緒を深く描きすぎている。転調までの間がどれも長く、全体として冗長な印象を与える。だから結果として、次のシーンに用意されている衝撃のインパクトを弱くしてしまっている。
宣伝では、映画『LOVERS』は、流麗なアクションと頭脳戦が中心であると紹介された作品だ。だが映画が持っている本質は、圧倒的な美と情緒の映画だ。宣伝どおりにものを期待しようとすると、その落差に戸惑うかもしれない。
ff555e83.jpgアクションは肉体的なぶつかりあいよりも、様式美が重視される。破壊や重量感といった感触を求めると物足りなくなるが、あくまでも夢想的な美意識のみを追った作品と見るべきだ。


7f2b0270.jpg映画『LOVERS』は美しい映画である。それも、中国文化が持つ美意識と様式美が凝縮された映画だ。場面を支配するセットは絢爛で、衣装は美しく、自然の色彩と見事に調和している。
全体に様式的な美で満たされ、どの場面も絵画を鑑賞するかのよう7d95e69e.jpgな印象を与えている。俳優達のアクションはもはや超人的であり、時間を間延びさせるスローモーションが、動きの美しさを強調させる。
何もかもが美しい芸術映画。それでいて、圧倒的な身体能力が繰り出すエンターティメント映画だ。

映画記事一覧

作品データ
監督:チャン・イーモウ 音楽:梅林茂
脚本:チャン・イーモウ リー・フェン ワン・ビン
出演:金城武 チャン・ツィイー
〇〇〇アンディ・ラウ ソン・タンタン



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■2009/09/24 (Thu)
1997年8月31日。
パリのあるトンネル内で、ダイアナ元皇太子妃が死亡する。
ダイアナを乗せたハイヤーが、追跡するパパラッチを振り払おうとして、猛スピードでトンネル内に突っ込んだためだといわれている。
f04698fa.jpg9fc5689e.jpgダイアナ元皇太子妃の死には、疑問も多く、陰謀論が囁かれているが、とりあえず映画の鑑賞としては「フランスのトンネルで死亡した」という情報だけ頭に入れて鑑賞するのがよい。

b1c5a76a.jpgダイアナ元皇太子妃の死。
誰もが知る事件であり、誰もが知る人物の突然の不幸だった。
だが対照的に、当時批判の中心にいた王室の内部を知る者は少ない。
映画『クィーン』は英国王室を中心に、ダイアナ元皇太子妃死去のとき何が起きたかを描く。
c901d7b0.jpg折りしも、ダイアナの死はトニー・ブレアの首相就任と重なってしまった。事態はただちに政治の舞台に移され、慎重な判断と対応が必要になってしまった。ブレア首相の「国民のプリンセス」発言で支持される一方、王室への批判が高まる。


ダイアナ元皇太子妃の死亡は、王室にとっても大きな事件だった。
bf8401c2.jpgだがダイアナは、すでに私人であり、王室を去った人である。ダイアナ元皇太子妃を国葬にすべきか、遺族の意思を尊重して内輪だけの静かな葬儀にするべきか。
事件は王室が思っている以上に大きく、慎重な判断を選択せねばならなかった。
dbfd4d27.jpgマスコミとは糸の切れた凧のようなものだ。
マスコミには中心的思想や信念がない。だが、大衆の代表者としての発言できる立場を持ち、大衆の意識を自由に誘導できるだけの力を持っている。ダイアナ元皇太子妃の死亡ニュースも、売り上げ増大のために扇動するだけ扇動して、責任は取らない。


世論の感情は膨れ上がる一方だった。
d68feb4c.jpgダイアナ元皇太子妃の死亡に何の反応を見せない王室に、国民は怒りを募らせる。
ある者は、これみよがしに王室廃止論を叫び、ある者は暗殺を恐れて新体制側にすり寄ろうとする。
世論とは感情で動くものだし、それを操作して支持を集めるのが政治だ。ダイアナ元皇太子妃の死亡は、早くも政治に舞台を移し、政治利用されようとしていた。
52a09138.jpg王宮の前には、次々と献花が集る。シェリー夫人は王室廃止論者で、これみよがしに自身の理念を主張する。日本でも英国ほど騒がしくないが、皇族は意思論者は多く、他人ごとのように思えない。



565586f7.jpg王室廃止論者は、王室を「時代遅れの産物」と糾弾する。
「彼らは国民の税金を食いつぶして、働きもせず贅沢三昧の生活を送っている」
“進歩的”な意識を自認する人間は、いつもそう主張する。
be042e6f.jpg確かに王族は生まれながらにして富と権力が与えられている。国家が破綻しない限り、生活に困る事態はない。
だが、選択の自由がない。
個人的な意見を示すことも、目の前の事態から逃走する自由もない。常に公人として人々に取り囲まれ、周囲の人々を意識した振る舞いを示せねばならない。
王族は国家と国民の最も根源的な精神を体現する存在なのである。個人としての人間ではなく、存在自体が象徴なのだ。
d21e0bcf.jpg車の故障で高原に取り残される女王。ふと、一人きりになる瞬間が訪れる。そんなときにふらりと現れる鹿。堂々として威厳をもった姿に、女王は心を打たれる。あのようにならねばならない、と。

866d4e1c.jpg

映画『クィーン』で描かれるエリザベス女王は、中世の偉大な女王のような威厳さを備えた人物として描かれる。
どんなにマスコミが大袈裟に騒ぎ立て、世論がそれに揺り動かそうと12ce2c3d.jpgしても、王族としての気高さは決して失わず、英国人の精神を体現する。
エリザベス女王は静かに、かつて騎士道精神と紳士の国と呼ばれていた英国の精神を示す。そんなエリザベス女王の、静かな威厳を前にした人々は、改めて尊敬の念を取り戻す。

映画記事一覧

作品データ
監督:スティーヴン・フリアーズ
音楽:アレクサンドル・デスプラ 脚本:ピーター・モーガン
出演:ヘレン・ミレン マイケル・シーン
〇〇〇ジェームズ・クロムウェル シルヴィア・シムズ
〇〇〇アレックス・ジェニングス ヘレン・マックロリー
〇〇〇ロジャー・アラム ティム・マクマラン



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■2009/09/24 (Thu)
d3d41f33.jpg02c868bc.jpg1957年 ネバダ州
エリア51の軍事基地を何者かが襲った。アメリカ軍に変装したソ連兵士たちだ。
7cb66b5d.jpgソ連兵士たちは、トランクの中に二人の男を隠していた。インディ・ジョーンズ博士と、その相棒のジョージ・マクヘイルだった。
ソ連兵士の筆頭イリーナ・スパルコは、軍事基地内に隠されたあるものを所望していた。かつてインディ自身が調査したミイラを収めた謎f4904cbf.jpgの箱である。インディはソ連兵士たちに脅され、仕方なく箱を捜すのに協力する。
ミイラを収めた箱は、なぜか強烈な磁力を帯びていた。インディは磁力の方向をたどり、すぐにミイラを収めた箱を発見する。
そうして全員がミイラに視線が集ったそのとき、インディは機転を利かして、危難から脱出する。
231531eb.jpg東西冷戦、赤狩り、アトミック・ソルジャー……。当時の社会現象を目一杯盛り込んでいる。前作からの作風だが、やはりファンタジーとして描くには早すぎる。超能力や宇宙人といった妙なものが登場するが、オカルト全盛、オカルトが科学的なものと信じられていた時代だった。時代の空気を取り入れて描けば、この作品のようになるわけだ。
あの箱のミイラは、いったい何だったのか?
なにひとつ明かされないまま、インディはFBIに監視されるようになる。
61aba231.jpgインディの父親はすでに亡くなっている設定。インディの年齢を考えると自然な流れだ。ハリソン・フォードもすでに60代。ところで、ジブリのプロデューサー鈴木敏夫は、『ポニョ』『スカイクロラ』『インディ4』と並べて共通するのは「父と子」「異界(霊界)」と説明した。かつて一世代を築いた作家達も、もはや子や死を意識する年齢なのだ。
fb3822c3.jpg39a4a0c1.jpg間もなくしてインディは大学に戻り、教壇に立った。
だが学部長が教室に入ってきて、インディのオフィスにFBIが調査に入ったと告99330005.jpgげた。さらにインディに無期限の休職処分が告げられる。
大学を追われたインディは、別の大学に職を求めて列車に乗った。
とそこに、プラットホームにバイクに乗った青年が現れる。
「おい、おっさん! ジョーンズ博士だろ。オックスリー博士を知ってるだろう」
83f78caf.jpg駅のプラットホームにバイクで乗り込むマット。マーロン・ブランドのつもりらしい。マットにはなにかインディと関わる秘密がありそうだ。
ちなみに、冒頭のパラマウントのロゴタイトルが多分19年前のものだ。こういう気遣いがスピルバーグ&ルーカスらしい。

青年はマットと名乗り、オックスリー博士の危機をジョーンズに伝える。マットは、オックスリーから謎めいた手紙を受け取っていた。
古代コイホマ語で書かれた、暗号だらけの手紙だった。
インディは手紙の暗号を解明し、オックスリーを探してメキシコへ飛ぶ。
こうして、インディ・ジョーンズの新たな冒険が始まった……。
8fa6324f.jpg220b1fa1.jpgハリウッドお得意のコミック調アクション。しばらく見ていなかったが、やはり楽しい。リアリテイィや考証云々より、映画には弾けた楽しさが欲しいものだ。

19年間沈黙し続けたインディ・ジョーンズ・シリーズの第4作目だ。
当時の気風や軽快さは少しも変わっていない。インディ・ジョーンズはすっかり年をとって、初老の男となってしまったが、運動能力に少しも衰えがない。
当時のスタイルを変えず、軽やかにアクションをこなし、コミカルに振る舞いつつもどんな危機も必ず乗り越える。
冒頭十数分で、我々の気分は19年間の時間を、インディと共に軽く飛び越えてしまうのだ。
df03fd88.jpg498ad706.jpg宝の地図、地下洞窟。いつの時代でも少年のロマンをかきたてるアイテムだ。大抵の男性は、この二つだけで少年の気持ちに戻れる。

1da00e46.jpg時代はすでに第2次世界大戦を終えて、東西冷戦に突入している。アメリカにとっては、世界大戦の時代よりもはるかに暗い時代だ。
人々はヒステリックに共産主義の影に怯え、アメリカ全土に赤狩りが横行し、黄金時代と呼ばれた華々しさに翳りが見え始める。
そんな時代を舞台にしたインディ・ジョーンズにも、どこかに暗い影が漂い始めている。東西冷戦はファンタジーとして描くには、あまりにも現代に接近しすぎているのだ。
それに、ミステリーの中心は宇宙人や超能力といった疑似科学だ。そんな忘れられかけたものを引っ張り出して、別の視点から光を当てようとするのが、いかにもインディ・ジョーンズらしい。
だが疑似科学もファンタジーとして描くには、やはり現代に接近しすぎている。
東西冷戦も、疑似科学を題材にしたSFミステリーも、インディ・ジョーンズ・ファンタジーとして描くには、あまりにもまだ早すぎだった。
『インディ・ジョーンズ4』に感じるのは、新鮮味や驚きよりも、どちらかといえば“古臭さ”だったように思える。
f9bc5925.jpgもしインディ・ジョーンズが“古典”ならば、その表現はスタイルとして受け入れられただろう。だが古典とするのは早すぎだった。古い様式を、最新の様式と自身の感性で刷新できるほど、スピルバーグの感性は若くない。当時のままである一方、確かに“古臭さ”が全体に漂う映画であった。
映画の多くの技法や文法は、当時のままだ。
もちろん撮影用のカメラは最新のものだし、デジタル撮影もある。高詳細に描かれるディティールなど、現代の〔過剰装飾時代映画〕の特徴だ。
それでもフィルムに投影されるほとんどのものは、当時のまま描かれている。言葉のやり取りも、アクションの描き方も、俳優を取り巻くビビッドな色彩も、なにもかもが当時を回想させる小道具だ。
『インディ・ジョーンズ』は、古典映画とするには、まだ最近過ぎる映画だ。だが映画の制作者達は、当時の表現手法を、スタイルとして頑固に守り続けている。そうした頑固さが、我々をどこか懐かしい気持ちにさせる。

映画記事一覧

作品データ
監督:スティーヴン・スピルバーグ
製作総指揮:ジョージ・ルーカス キャスリーン・ケネディ
音楽:ジョン・ウィリアムズ 脚本:デヴィッド・コープ
出演:ハリソン・フォード シャイア・ラブーフ
〇〇〇レイ・ウィンストン カレン・アレン
〇〇〇ケイト・ブランシェット ジョン・ハート
〇〇〇ジム・ブロードベント イゴール・ジジキン



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