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■2009/10/05 (Mon)
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判

P076 第7章 幻想の解体


頭をふらふらさせながら、私は自分のソファに戻った。ぐったりと背に体を預ける。まだ胃の中が気持ち悪くて、お腹に手を添えた。他のみんなも、椅子に戻って顔を青くしたりうなだれたりしていた。人肉料理の事実は、あまりにも強烈だった。
「それで、人の肉をうっかり食べてしまった私は、何かの罪に問われるのかね?」
男爵が楽しげな微笑を浮かべながら糸色先生に訊ねた。
「さあ、どうなんでしょう。何の罪に問われないでしょうね。知らずに食べた肉ですから。ただ、厨房に残っている肉は回収させてもらいます。しかるべき場所に提出し、DNA鑑定に掛ければ蘭京太郎の肉であると明らかになるはずです」
「好きにしたまえ」
糸色先生は慎重に言葉を返すが、男爵はもう興味がないみたいに、簡単に許可を与えてしまった。
私は口元を押えながら、これ以上はないくらいの不愉快な気持ちで男爵を睨み付けた。人肉を食べてしまっても、驚くどころかあんなふうに笑っていられる人間の気持ちが理解できなかった。
「先生、あの、えっと、……それじゃ、男爵と遠藤喜一の接点を説明できるんじゃないんですか。男爵からの指示があったから、遠藤さんは行動したわけでしょう? これまでの話で、それを証明できるんじゃないですか。」
千里は口元をハンカチで拭いながら糸色先生に尋ねた。千里は本当に具合が悪そうで、顔が縦線を引いたみたいに青くなっていた。
「いいえ、無理でしょう。どう考えても男爵と遠藤喜一には接点があり、指示を受けていたのでしょう。でも、遠藤が指示を受けたのは10年前、男爵が逮捕される直前です。それ以降、二人は一切顔を合わせていないはずです。男爵は周到な男ですから。10年前の会話内容を証明するなんて、不可能です。今回の蘭京太郎の殺害は、遠藤喜一が独自に、勝手に行動した結果です。そうですね、男爵」
糸色先生は千里の意見を否定して、男爵を振り向いた。
「いかにも。私は私の生徒に、10年間、一度も顔を会わせていない。私自身、10年前、生徒にどんな話をしたかなんて、憶えていない」
男爵が一度頷いた。
「しかし望ぼっちゃま、問題があります。望ぼっちゃまの推測は憶測であり、どれも決定的ではないと思います。なぜ私が偽者であり、男爵に協力していたと言えるのか。根拠に欠けると思うのですが」
時田がはじめて、私たちの会話に割って入ってきた。その言葉が、苛立ちを込めたように重かった。
私は時田を振り返った。人の良さそうな老人の顔が、険しく皺の数を増やしている。私には、いまだに時田が偽者だなんて、信じられなかった。
糸色先生が、にやりと口元をゆがめて、指を一本突き立てた。
「ありますよ。決定的な証拠なら。あまりにも決定的で、誰もが納得する証拠があるんですよ」
「それはいったい……」
時田の顔が緊張で引き攣り始めた。
「それはそこにいる彼です!」
糸色先生は勢いよく振り返って指をさした。私たちは、全員で糸色先生が指した方向を振り返った。
「ふう、やっと僕の出番ですか」
糸色先生の右後方、私の左横の空間だった。でもそこには、何もなかった。少し向かったところに、灰と埃の詰まった暖炉が設置されているのが見えた。人の気配どころか、重要そうな何かがあるような感じもなかった。
「誰もいないじゃないか?」
一番に言ったのは男爵だった。
ここにいますよ、ちゃんと!
私たちも同じ意見だった。何のつもりなんだろう、と私は糸色先生を振り返って、意図を探ろうとした。
「先生、こんなところで変なボケを入れないでください!」
千里が糸色先生を叱るように身を乗り出させた。
「おっかしいなぁ。確かにそこにいたような気がしたんですが……」
糸色先生自身、困惑するように頭の後ろを掻いて、何か探すように見回していた。
ここですよここ! ちゃんといますよ! なんですか、この扱いは。せっかくかっこいい場面なのに
何となく、不快な空気が辺りに漂うような感覚があった。私は無意識に自分の腕をさすっていた。
「なんか、空気が淀んでいるよね。窓開けない?」
藤吉が隣に座っている千里に声をかけた。
「そうね。みんな吐いちゃったことだし。」
千里が同意して頷いた。
千里と藤吉が二人で席を立って、窓の前まで進んだ。窓は大きく、曲線を持ったフレームの、両開き式のものだった。その窓を開けると、冷たい風が足元をなでるように流れ込んできた。心地よい風ではなかったけど、部屋一杯に漂う据えた異臭から少し解放される気がした。
すると私のすぐ側で、何かがぱたぱたとはためいている感じがした。なんだろう、と振り向くと、いつの間にか私の側に少年がぼーっと立っていた。手にデジカメを持った臼井影郎だった。はためいていたのは、臼井のハゲ散らかした頭皮だった。
「キャア! いつからそこにいたのよ!」
私はびっくりして、ソファから飛び上がりそうになるくらいのけぞった。
ずっと一緒にいたじゃないか。一緒の新幹線に乗って蔵井沢にも行ったし、男爵の家でも一緒だったし、先生の家にも泊まったじゃないですか!
臼井は逆上したように私に言葉を返した。
「そーいう気持ち悪い嘘はやめてよ! あんたたださえキモイんだから、一緒に泊まったとかそういうの本当にやめて。側にも立たないで!」
私はこれでもかと不愉快な感情をぶつけて、虫でも追い払うように手で払った。
そんな。だいたい僕のおかげでみんな助かったんだよ? 皆が男爵に閉じ込められた時、僕が鍵を見つけて扉を開けたんだから。そうでしょ?
臼井は逆襲のように、私たちみんなに言い、最後に千里を振り返った。
「……誰?」
千里が自分の椅子の前まで進み、首をひねった。
ひどい! 2のへ組の委員長の臼井ですよ!
臼井が自分を指さして主張した。
「こんなの、いたっけ?」
千里が臼井を指さして、誰かに意見を求めるように振り返った。藤吉もまといも、本当に知らないみたいに首を振った。
ちなみに、千里やまといたちの意見によれば、扉の鍵が勝手に開いたのだそうだ。私は当然、臼井より千里たちの意見を信用した。
「まあ、冗談はさておき、話を元に戻しましょう。脱線しすぎです」
糸色先生が改めるように私たちに声をかけた。私たちは冷静な気分に戻って、糸色先生を注目した。臼井はがっかりうなだれて、糸色先生の背後に回った。
「男爵は赤木杏に改造手術を施しました。男爵は当時、東大附属植物園の研究員であり、屋敷では人体実験が行われていました。男爵は赤木杏をある目的のために、人体実験の技術を応用して改造手術を行ったのです。人体に独自に生成した葉緑体を合成させ、10年間ある場所に隠して仮死状態で眠らせるためです。10年後、計画をスタートさせるために。そのある場所こそ、私の実家でした。灯台下暗し、とはこのことを言うのでしょう。しかし計画をスタートさせるには、誰かがそのある場所へ行き、赤木杏を引き上げねばなりません。男爵自身が私の家まで来るわけには行きません。目立ちすぎますし、私たちも警戒します。そこで、ニセ時田が登場です。私の実家では、8月25日になると“見合いの義”という風変わりな行事が毎年催されていますこの期間中、無用な事故を避けるため、屋敷にいるほとんどの使用人がいなくなります。さらにニセ時田は、地下に作られた警備室で、屋敷内の人間の正確な動きを把握することができた。だからニセ時田は誰にも気付かれず、密かに赤木杏さんが眠る場所へ向かい、引き上げ、覚醒状態にして必要な栄養を与えることができた。しかし、遠藤さん。あなたは一つ見落としをしていました。あなたはその場所に向かう途上でも、充分注意したでしょう。でも世の中には、信じられないくらい存在感の薄い人間がいるのですよ。さあ、臼井君。皆に見せてやってください。決定的な証拠を!」
糸色先生は長い説明の後に、促すように臼井を振り返った。
はい
臼井が私たちの前に進み、デジカメのディスプレイに画像を写した。画面は、朝の霧がぼんやりと包む沼の風景だった。その沼から、時田が何かを引き上げようとしていた。全身が黒い泥に濡れた、裸の赤木杏だった。時田が赤木杏の両脇に手を回し、引き上げようとする瞬間だった。泥の落ちかけた赤木杏の肌ははっきりと緑色になっていて、植物の根がその体に絡みついていた。

次回 P077 第7章 幻想の解体7 を読む

小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次




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■2009/10/05 (Mon)
「……人は生きていると、いろいろな罠に転がり落ちて苦しむ。“書くこと”も罠だ。
読者に受けた旧作を焼きなおす作家達は、賞賛が忘れられない。だが、作品の価値を最後に決めるのは、作家自身だ。
批評家や編集者や出版社や読者に左右されたら、終わりだ。金と名声に捉われた作家どもは、クソと一緒に川に流しちまえ」
4ac53924.jpgヘンリー・チナスキーが唯一、自立的に活動している小説。だが執筆活動もヘンリー・チナスキーにしてみれば堕落の一つである。この映画に共感できる人は少ないと思う。美しい画面はないし、ロマンチックな場面もない。ただどこまでも影の深い陰鬱さが延々と続く。しかも主人公は救いようのない自堕落な男で、その男の生活に2時間付き合わされる感じだ。
1d124a35.jpgヘンリー・チナスキーは、自称作家だ。実際に執筆活動らしきこともしている。だが、実際に本を出版しているわけではない。ヘンリー・チナスキーは職業作家ではない。
生活の中心は執筆活動より、ほとんと酒とセックスとギャンブルに振り回される。
6e9d913d.jpgヘンリー・チナスキーは完全に執筆活動を忘れて、ギャンブルにのめりこみ、ギャンブルで生活しようとしてしまう。
ヘンリー・チナスキーはただ溺れて、流されるだけの男だ。自身の生活をどうにか律して、一つの活動に専念しようとはしない。
どこまでも沈み、どこまでも堕ちていく男。
堕ちていくから、ヘンリー・チナスキーは執筆活動にも手を出してしまう。
a5f3e755.jpg13b994af.jpgどんな仕事も続かないチナスキー。ギャンブルにのめりこみ、ギャンブルで生活をしようとすることも。「金と名声に捉われたクソどもは…」とかっこつけるが、金が絡むと簡単に自己矛盾に陥る。堕落云々は自己弁護に過ぎない。
ヘンリー・チナスキーの生活は、まさにどん底だ。
作家としてのプライドを強く持とうとするが、すぐに消費に振り回されてしまう。ギャンブルにのめりこみ、セックスに耽溺し、生産性のない快楽に飲み込まれていく。
だが、ヘンリー・チナスキーの精神は、神の近い場所にいる。チナスキー本人は、そういう心構えでいる。
自身より上の者はいない。天上にいるのは、ただ一人だけで、たった一人でその道を歩んでいる。
それが、時になんらかの形を持つかもしれない。
bb7b4779.jpg25130d59.jpg女の部屋に転がり込むが、なんとなくそこを離れてしまう。「ここは俺の居場所ではない」作家は生来的に孤独なものだ。一つの場所に止まると、むしろ孤独を感じてしまう。

3fafab57.jpg作家とは、放浪するものだ。
一つの場所や、一人の女に留まらないものだ。
どこまでも歩んでいき、どこまでも堕ちていき、その向うにきらめく“何か”をすくいあげる。
世界や社会は、詩人が描いたモデルケースでしかない。世界や社会fc8eb2d1.jpgは、集団が共有する願望でしかなく、実体としての形は世界や社会を指し示していない。
詩人は、たった一人で最も暗い闇の中を歩いて進み、その向うに見えた(感じた)世界を目撃し、それを形にして残す者だ。
71040202.jpgひたすら軸がぶれ、自己矛盾を続けるチナスキー。f19acef3.jpgだが自分の描こうとしているものだけは自分で理解している。共感を求めない映画だ。どこまでもよそよそしく、一人で歩く孤独な映画。その先にあるのは、地獄か成功か。
「世界は詩だ。詩は世界だ」
e0ad65f0.jpg堕ちていく者だけが、世界という表層の向こう側を覗き込む。
ヘンリー・チナスキーは自らの生活を捨てて、女を捨て、流動的な生き方を望む。
身体も精神も自由に解き放ち、放浪し、橋の下で眠る者。
『酔いどれ天使になるまえに』には、通俗映画が描きそうな、“放浪者の自由さや豊かさ”など描かれない。
映像に漂うのは、匂ってきそうな腐敗の生活と、救いようのない貧困。それからヘンリー・チナスキー自身の自堕落だ。
ヘンリー・チナスキーは作家であるために、本能で漂流をし続ける。

映画記事一覧

作品データ
監督・脚本:ベント・ハーメル
音楽:クリスティン・アスビョルンセン トルド・グスタフセン
脚本:ジム・スターク 原作:チャールズ・ブコウスキー
出演:マット・ディロン リリ・テイラー
〇〇〇マリサ・トメイ フィッシャー・スティーヴンス
〇〇〇ディディエ・フラマン エイドリアン・シェリー



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■2009/10/05 (Mon)
ca4fa40f.jpgチャンの父親が死去し、イタリア中華料理店「上海」を相続して一ヶ月が過ぎた。
中華料理店「上海」は、巨大企業グループに目をつけられ、毎日のように土地を売却せよと迫られていた。
6b465963.jpgチャンはもちろん拒絶したが、企業は中華料理店にチンピラを送り込み、嫌がらせをして客が寄り付かないようにしてしまった。
窮地のチャンは、香港の伯父の元に手紙を送り、弁護士を派遣するように嘆願した。
そうしてやってきたのは、英語すら充分に喋れないタン・ロンだった。
5f16fab3.jpg従業員たちは日本の空手を習っているが、非常に弱い。なのに、カンフーを習い始めた途端、極端なくらい強くなる。あからさまに、日本の武術を揶揄した設定だ。このような日本蔑視の場面がいくつもあるので注意が必要だ。ついでに言うと、胴着を着ているが構えも動きも空手とは違う。
4457cba2.jpgあまりにも頼りなげなタン・ロンに、チャンはあきれ果ててしまうが、とりあえず自分の店へと案内した。
中華料理店「上海」には客の姿は一人もなく、従業員はチンピラを追い返すために空手の練習を始めていた。
c0fc97bf.jpgそんなとき、チンピラの一団が中華料理店に乗り込んできた。
空手を習っていた従業員たちは、勇み立ってチンピラたちに立ち向かっていく。だが空手ではまったく歯が立たず、一瞬でチンピラに倒されてしまう。
2207512d.jpgそこに、タン・ロンがチンピラの前に立ちはだかった。
タン・ロンは数人のチンピラを、たった一人で倒し、カンフーの力を見せ付ける。これを切っ掛けに、企業側はより嫌がらせは寄り過激になっていった。
タン・ロンは様々な嫌がらせを退けていくが、企業側は、日本とアメリカからそれぞれ最強の刺客を呼び出し、タン・ロンと対決させようとする。
578b74d7.jpg096ea93e.jpg『最後のブルース・リー』からは美意識など感じられない。前半部分は何を伝えたいのか不明。物語の軸がないまま、映画が進行していく感じだ。

映画『最後のブルース・リー』は劇場作品としてはあまりにも凡庸で、撮影技術の低い映画だ。
平面的な構図ばかり続き、時々極端なクローズアップがあるだけで、それ以上の技術的な撮影は見当たらない。
物語も直線的どころか、意味のない言葉のやり取りが続き、あちこちで脱線を繰り返す。ブルース・リーが華麗なるアクションを見せるまで、40分が浪費される。
俳優の演技も劇場映画とは思えない陳腐さで、テレビのコントでも見ているような気分になってくる。
e3e4024c.jpg日本人に対する嫌悪感は強烈だ。日本人はザコ扱いとして容赦なく叩きのめされる。日本語の台詞があるが、何を言っているのか不明。映画にはイタリアの名所を巡るシーンがあるが、ことあるごとに「中国のほうが素晴らしい」と比較する。国粋主義的な部分が強い映画だ。
b19159d4.jpgブルース・リーの原動力となっているのは、日本人や西洋人に対する、明快なルサンチマンだ。
『最後のブルース・リー』の物語を要約すると、ブルース・リーの下に日本人とアメリカ人が刺客として送られ、それをカンフーで撃退するとe8f5a3a1.jpgいう内容だ。
日本や西洋といった他文化へのコンプレクスを、隠そうともごまかそうともせず、直裁的に描かれている。日本人は態度ばかりでかいだけでアメリカ人に簡単に屈服するし、そのアメリカ人もブルース・リーのカンフーで撃退されてしまう。
中国文化とカンフーの優越性を強調するための映画だ。まるで、どこかの国のプロパカンダ映画のような作品だ。
b074ca60.jpgクライマックスのコロッセオの戦いだけが素晴らしい。スローモーションのブルース・リーの動きは実に美しい。前半の無駄部分のため格闘シーンは少ないし、戦いは常に一方的に進行するので、戦いとはとてもいえない。コロッセオの戦いはその中でも唯一、戦いらしい戦いを見せてくれる場面だ。
それでも『最後のブルース・リー』はある一点において、魅力的な輝きを放つ映画だ。
ブルース・リーが上着を脱ぎ、格闘演技を見せる瞬間、突然に映画は魅力的に輝き始める。ブルース・リーの動きは力強く、それでいて美しい。ステップを踏みながらのアクションは、踊っているようですらあった。
それまでのあまりにも退屈で平凡な印象は、ブルース・リーの肉体が動き始めた途端、別種類の映画へと変化する。
ブルース・リーただ一人が映画を背負い、華麗なるショーを見せる映画である。
ブルース・リーの肉体演技は、今もフィルムの中で輝き、永遠に残り続けるだろう。

映画記事一覧

作品データ
監督・脚本・音楽:ブルース・リー 音楽:ジョセフ・クー
出演:ブルース・リー ノラ・ミヤオ
〇〇〇チャック・ノリス ロバート・ウォール
〇〇〇ジョン・T・ベン ウォン・インシク



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■2009/10/04 (Sun)
この小説は、『さよなら絶望先生』を題材にした2次創作小説です。2次創作に関する法的問題については、こちらをご覧下さい。【著作物】【二次創作物】【パロディ】【パロディ裁判

P075 第7章 幻想の解体


糸色先生は少し無言の間を置いた。私たちの気分が改まり、空気が入れ替わる感じがあった。全員が糸色先生を注目し、授業を受けるときの体勢になっていた。
「まず、蘭京太郎について話を始めましょう。我が校の生徒を殺害したのは、蘭京太郎です。これは小森さんの明確な証言があるので、覆りません。蘭京太郎は自らの快楽のために、生徒を殺し、体の一部をホルマリン漬けのコレクションにしていました。私の推測ですが、その時からニセ時田、遠藤喜一と蘭京太郎は接点があったのでしょう。同じ趣向を持つ者同士ですから、どこかしら惹き合い、交流を持つ切掛けがあったのだと思います。7月末頃、蘭京太郎は“使用済み”になった死体の処理に困っていました。夏に入ると、死体は匂いますからね。学校の花壇に埋めて隠そうとしていましたから、相当悩んでいたのでしょう。そこで遠藤喜一は死体の有効利用を思いつき、引き取り、その末で私の家に持ち込んで放置した。死体が発見されると、まず私に容疑が向けられるでしょう。刑事起訴に至らなくても、私の社会的信用や地位はガタ落ちになります。しかし、それがむしろ、あなたの墓穴を掘ることになりました。あなたはどうやら、余計なことをする癖があるようですね。あなたは男爵の指示するとおりに動いていたら、確実に私を殺せていたのです。この余計な工作のために、蘭京太郎は男爵と遠藤喜一の計画を知った。計画を知った蘭京太郎は、遠藤喜一を脅迫しようとした。そのために、面倒になった遠藤喜一は、蘭京太郎を殺害した……」
糸色先生の言葉に迷いはなかった。一度も詰まったり、曖昧にしたりもしなかった。何もかもが、糸色先生の言葉で明白になっていくような気がした。
「それで、どこでどうやって蘭京太郎を殺害したのかね。私が言うのもなんだが、死体を隠すのは難しい。死体はばらばらにして埋めても、いつか発見されてしまう。隠そうとしても、強烈な臭いが存在を主張する。沈めても浮かび上がってしまう。この世に、人間のいない砂漠は存在しない。余程の幸運がないかぎり、死体を運び出し、隠すことはできん。さて、蘭京太郎の死体はどこに消えたのかな?」
男爵はソファのクッションにふんぞり返るように体を預け、足を組み合わせた。あまりにも緊張感のない、いや、男爵は事件の真相に気付き、そのうえであんな態度を見せているのだろう。
「ええ、死体を隠すのは非常に難しいです。人間の死体ほど、隠すのにやっかいなものはありませんからね。でも、計画的に処理を行えば不可能ではありません。はっきり言いましょう。蘭京太郎が殺されたのは、この屋敷の中です。もっといえば、厨房で殺されました。男爵、あなたは自分ではまったく料理をしないそうですね。週に2回、厨房に調理済みの料理が配送され、あなたはそれを加熱するだけでいい、と。だから、どんな人物が厨房を出入りしているのか、それすら知らない
「いかにも」
糸色先生は確認するように男爵をじっと見て訊ねた。男爵はニヤついた微笑を浮かべて頷いた。
「おそらく、ニセ時田が蘭京太郎を厨房に招きいれたのでしょう。蘭京太郎は7月初め頃、日塔さんに秘密の部屋を暴かれて、潜伏する場所を必要としていた。蘭京さんには匿ってくれる親族もいませんでしたから。すでに交流があったのなら、遠藤喜一がこの屋敷に誘い込むのは簡単だったでしょう。厨房でどのように殺害されたのかまではわかりません。しかし、どのように処理されたかは、明らかになっています。私たちの中に、証言者がいますから」
糸色先生はさらに説明を続けた。
私は自分の膝を見詰めながら、少し自分の思考に捉われていた。
7月初めのあの朝。蘭京さんは、多分、自分のコレクションを見ようと秘密の部屋に入ったのだろう。朝の早い時間だから、誰も用務員室にはやってこない。そのしばし間、自分のコレクションに囲まれた、優雅な時を味わいたいと思ったのかもしれない。
でもそこに、私と可符香が用務員室に入っていった。慌てた蘭京太郎は、判断を誤った。秘密の部屋に隠れていればよかったのに、慌てて飛び出そうとした。しかも、部屋を隠す細工が間に合わず、パニックになって窓から飛び出してしまった。
そうして、私が秘密の部屋を発見した。一つの判断ミスが招いた事件だった。
「証言者? それは誰かね」
男爵が少し身を乗り出し気味になって、答えをせがむように問いかけた。話はまだ続いている。私は顔を上げて、糸色先生の話に再び集中した。
「小節さんです。小節さん、あなたはあらゆる動物を熟知している。動物がどんなふうに調理されるかも、その味も詳しく知っている。だから、まったく知らない肉を差し出されても、あなたはそれが何の肉なのか、即座に見当をつけられた。だからあの夜、小節さんは男爵に差し出された肉料理を見て、『絶対に食べてはいけない』と皆に警告した。小節さん。あの肉は、何の肉でしたか?」
糸色先生はあびるに諭すように話しかけた。
あびるは私の右隣で、装飾もクッションもないブラウンカラーのシンプルな椅子に座っていた。私が振り向くと、あびるは思い出したように顔を青ざめさせ、口元を引き攣らせていた。
「……ひ、……人の、人間の、肉でした」
あびるは何度もつっかえながら、消え入りそうな声で答えた。
私は、腹の底からうっとせりあがってくるものを感じた。それは一気に喉を駆け上っていき、私は慌てて口元を両手で押えた。でも、我慢できなかった。私は飛び上がり、ソファの後ろに回った。そこで膝が折れて、絨毯の上に朝食を撒き散らせてしまった。
他のみんなも同じだった。みんな座っていた椅子から転げ落ちて、絨毯の上に汚物を吐いてしまっていた。
男爵だけが笑っていた。これほど愉快なものはないと言いたげに、ソファから転げ落ちそうな勢いでふんぞり返って笑っていた。
「落ち着いて。皆さんは一口も食べませんでしたから。大丈夫ですから」
糸色先生が私たちを宥めようと声を張り上げていた。でも先生、手遅れだから。

次回 P076 第7章 幻想の解体6 を読む

小説『さよなら絶望先生~赤い瞳の少女~』目次




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■2009/10/04 (Sun)
e0cac645.jpgbf8694e5.jpg物語の前夜、大きな台風が町を通り過ぎる。主人公のデヴィッドの家では古い木が倒れこむ大惨事だった。仕事場は全壊し、電気も通らなくなった。どうやら緊急のため、食糧を買い込む必要がありそ07da27dd.jpgうだ。
デヴィッドは息子のビリー、隣人のノートンと一緒に街のスーパーに向かった。
スーパーでは同じ目的で緊急の食糧を買い込む人でごった返していた。街の人たちはにわかにそわそわし始めていたが、まだ平和な風420f2ca9.jpg景だった。
しかし突然に血まみれの男がスーパーに飛び込んだ。
「霧の中に“何か”がいる!」

――霧?
霧とは何のことだ?
困惑している間に、霧が瞬く間に漂ってスーパーを覆ってしまう。霧は異様に濃く、視界のすべてを覆ってしまう。確かに普通の霧ではない、何かの事件を予感させていた。
霧の中に何かがいる。
しかしそれがなんなのかわからない。とにかく、危険な何かがいる。
6238af46.jpgbf93c295.jpg霧が街全体を覆い、人々はそのままスーパーに篭城する。霧や怪物などはCGなどで描かれる。デジタルの精度にはさほどのこだわりを感じないが、映画のテーマはそこが中心ではないから問題ではないだろう。
69c8761d.jpgこの映画には、派手な音楽もエフェクトもない。あまりにも静かに、人間が閉鎖空間の中で変質し、狂信的に狂っていく様が描かれる。
怪物映画だが、怪物の登場は控えめだ。要所要所に登場し、少し見る者を脅かす程度だ。怪物の造形は今時の映画ではよくありがちなもので驚きはない。物語やシチュエーションも、過去映画において何43e533c3.jpg度も繰り返された形式だから、取り立てて新しいと思えるビジョンはない。
よくある状況によくある人間模様。怪物映画の定番シーンは全て網羅している、と言っていい。
しかしあえて取り上げるならば、人間の描写である。映画『ミスト』は38223cb4.jpg怪物の恐ろしさを取り上げた映画ではない。人間の心理こそを映画のテーマにしている。
スーパーという閉鎖空間。スーパーの外は霧でほとんど視界が遮られ、恐ろしい“何か”がいる。その“何か”が何なのか具体的にわからない。だからスーパーに集った人々は、そこから一歩も出ることがでb59e4b1b.jpgきない。
スーパーという日常空間は、恐怖に捉われることによって次第に異常空間に変貌する。人間の理性が次第に剥がれ落ち、蛮性をむき出しにさせ、原始宗教に傾倒しはじめる。文明化されたはずの人間の精神が、いかに脆いかを描き出す。映画のカメラは、人間の文明的05a90f79.jpgな精神がいかに崩壊していくかを、淡々と静かに捉え、描いていく。
e42830bd.jpgフランク・ダラボンは脚本家時代には、意外にも『エルムガイの悪夢3』や『ザ・フライ2』などを手がけていた。だから恐怖映画はフランク・ダラボンにとってホームなのだ。他に、脚本作品に『プライベート・ライアン』fdba1526.jpgなどがある。
監督であるフランク・ダラボンは『ショーシャンクの空に』と『グリーンマイル』のたった2作で巨匠と呼ばれるようになった人物だ。そのフランク・ダラボンが通俗的な怪物映画と制作する。
大丈夫か、と思ったのは最初の5分だけだ。人間の心理描写は、どbdf46b57.jpgの映画よりも繊細で深い。怪物の登場という異常状況が、むしろフランク・ダラボンの個性を強烈にしている。
このジャンルの多くは、主人公のみが冷静な理性として描かれる。しかし映画『ミスト』の視点はもって冷徹だ。主人公は超人ではないし、予見者でもない。主人公ですら、大きな状況の一つに過ぎず、ただdc81d177.jpg大きな状況に飲まれるだけだ。
人間の理性は危うく、信用が置けない。主人公はスーパーの人々とは違って特別な理性を保っているように思えたが、実際にはある程度の個人的自立性を維持していただけに過ぎない。
ここでは多くを語れない。
映画がどんな経過をたどり、どんな結末を迎えるか。それは自身の目で確かめるべきだろう。

映画記事一覧

作品データ
監督:フランク・ダラボン
音楽:マーク・アイシャム 原作:スティーヴン・キング
出演:トーマス・ジェーン マーシャ・ゲイ・ハーデン
〇〇〇ローリー・ホールデン アンドレ・ブラウアー
〇〇〇トビー・ジョーンズ ウィリアム・サドラー
〇〇〇ジェフリー・デマン アレクサ・ダヴァロス



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