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■2010/01/03 (Sun)
映画:外国映画■
そこは深い森の闇の奥。文明の光がまだ届かない場所に、1つの部族が小さな村を作って過ごしていた。訪ねる者は少なく、一族の者も、外の世界を知らずにいた。
ある朝、ジャガーと呼ばれる村の若者は夢を見ていた。
森の影から現われる男。
男は引き攣った表情で凍りつき、喘ぐように空気を求めていた。
「何か用か?」
ジャガーの問いは不自然なくらい冷徹だった。
すると男は、息を止めて「気をつけろ!」と叫んだ。
そこでジャガーは目を覚ました。
まだ朝の早い時間だ。村の広場に、暗い影が落ちている。夜明けの輝きは、まだ茂みの向うに留まっている。
犬が騒がしく吠えている。ジャガーはまどろみに戻るつもりもなく、寝床を後にして、村の広場に目を向けた。
村の人達はまだみんな眠っている。静かな様子だが、犬だけが騒がしく吠え続けている。
が、急に犬の鳴き声がやんだ。
何だ。
緊張を感じた瞬間、向うの家の影に、ふっと何者かの影が現れた。
侵入者だ!
ジャガーは危険を察知し、妻と子を起こして家を飛び出した。
侵入者たちは間もなく姿を現し、村を襲った。各家に火をつけ、飛び
出してきた村人を攻撃し、手と足を縄で縛りつけた。
ジャガーは妻と子を村の外れの大穴まで行き、その影の中に妻と子を隠した。
「必ず助けに戻る!」
ジャガーは妻と子に言い残すと、村人たちを助けに戻った。
村では戦いが始まった。あちこちで悲鳴が上がり拳が振り下ろされていた。だが敵は鍛えられたマヤの戦士だった。マヤの戦士の強さは圧倒的で、鍛えられたナイフを持っていた。
村はたちまち占領され、人々は捕らえられてしまう。ジャガーも力及ばず、父親が殺され、侵入者に捕らえられてしまう。

ファンタジーの創作について一般に抱かれがちな誤解がある。「ファンタジーは子供向けだから、通俗的なものを羅列させればよい」という考え方だ。実際はファンタジーほど考証と学術が必要なものはない。
映画『アポカリプト』は知られざるマヤ文明を描いた作品だ。
16世紀中頃。ユカタン半島にスペイン人が侵略し、間もなく崩壊の時を迎えようとするマヤ文明。文明の中心地は狂気に捉われて、自滅に向かい進んでいる。
だが、映画にはマヤ文明の崩壊そのものは描かれていない。
物語の中心となるのはマヤ文明に襲撃された周辺の村と、脱出する男の壮絶な追跡劇だ。ジャングルを中心に、逃亡者とマヤの戦士による力と力、肉体と肉体のぶつかり合い。
安直な特撮やデジタルの力には頼らない、直球的な腕力勝負で挑みかける映画だ。
マヤ文明の中心地は間違いなく最も予算が掛けられている。映画の予算は常に限られているし、どこに力を注ぐかで監督の判断力が問われる。映画監督には会計士の才能も必要なのだ。
『アポカリプト』は『パッション』に続いて、死語になった言語だけで撮影された映画だ。聞きなれない言葉が、異国的な空気を増幅させている。
世界観の造形はマヤ文明を下敷きにしているが、さらに空想の力で膨らませている。実際の時代考証とは違
うが、それはあくまでもフィクション、あるいはファンタジー映画だと思って接すればいいだろう。
衣装や入れ墨、住居といったディティールが詳らかに描写され、民族の暮らしをリアリズムを持って描き出している。マヤ文明の住人は、原初的な狩猟採取の生活を送っているが、いかにも劣った原始人として描かれていない。聡明で文化的で、なによりそれぞれが美意識を持って自身を飾り立てている。
有名俳優が1人も登場しない映画だが、俳優達の容姿、肉体は美しく、簡素な装飾で飾り立てられた姿が肉体の美しさを際立たせている。
肉弾アクションの連発。アクション俳優だったメル・ギブソンらしい演出だ。対決の構図の作り方など作法を心得ている感じだ。左カットでは本物のジャガーに追いかけられている。容赦のない演出だ。
アクションが中心の映画だが、『アポカリプト』は余計な小細工が使われていない。デジタル技術や飛躍したアイテム、怪獣キャラクターも登場しない。
とことん肉体でぶつかり合い、全力で疾走する映画だ。
“血沸き肉踊る”という言葉どおりの展開が矢継ぎ早に迫ってくる。
映画『アポカリプト』はファンタジーのお手本としてよく練られているし、エンターティメント映画として骨のある映画だ。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:メル・ギブソン
音楽:ジェームズ・ホーナー 脚本:ファラド・サフィニア
出演:ルディ・ヤングブラッド ダリア・エルナンデス
〇 ジョナサン・ブリューワー ラオール・トゥルヒロ
〇 モリス・バード ヘラルド・タラセナ
〇 ルドルフォ・パラシオス フェルナンド・エルナンデス
ある朝、ジャガーと呼ばれる村の若者は夢を見ていた。
男は引き攣った表情で凍りつき、喘ぐように空気を求めていた。
「何か用か?」
ジャガーの問いは不自然なくらい冷徹だった。
すると男は、息を止めて「気をつけろ!」と叫んだ。
そこでジャガーは目を覚ました。
まだ朝の早い時間だ。村の広場に、暗い影が落ちている。夜明けの輝きは、まだ茂みの向うに留まっている。
犬が騒がしく吠えている。ジャガーはまどろみに戻るつもりもなく、寝床を後にして、村の広場に目を向けた。
村の人達はまだみんな眠っている。静かな様子だが、犬だけが騒がしく吠え続けている。
が、急に犬の鳴き声がやんだ。
緊張を感じた瞬間、向うの家の影に、ふっと何者かの影が現れた。
侵入者だ!
ジャガーは危険を察知し、妻と子を起こして家を飛び出した。
侵入者たちは間もなく姿を現し、村を襲った。各家に火をつけ、飛び
ジャガーは妻と子を村の外れの大穴まで行き、その影の中に妻と子を隠した。
「必ず助けに戻る!」
ジャガーは妻と子に言い残すと、村人たちを助けに戻った。
村はたちまち占領され、人々は捕らえられてしまう。ジャガーも力及ばず、父親が殺され、侵入者に捕らえられてしまう。
16世紀中頃。ユカタン半島にスペイン人が侵略し、間もなく崩壊の時を迎えようとするマヤ文明。文明の中心地は狂気に捉われて、自滅に向かい進んでいる。
だが、映画にはマヤ文明の崩壊そのものは描かれていない。
物語の中心となるのはマヤ文明に襲撃された周辺の村と、脱出する男の壮絶な追跡劇だ。ジャングルを中心に、逃亡者とマヤの戦士による力と力、肉体と肉体のぶつかり合い。
安直な特撮やデジタルの力には頼らない、直球的な腕力勝負で挑みかける映画だ。
世界観の造形はマヤ文明を下敷きにしているが、さらに空想の力で膨らませている。実際の時代考証とは違
衣装や入れ墨、住居といったディティールが詳らかに描写され、民族の暮らしをリアリズムを持って描き出している。マヤ文明の住人は、原初的な狩猟採取の生活を送っているが、いかにも劣った原始人として描かれていない。聡明で文化的で、なによりそれぞれが美意識を持って自身を飾り立てている。
有名俳優が1人も登場しない映画だが、俳優達の容姿、肉体は美しく、簡素な装飾で飾り立てられた姿が肉体の美しさを際立たせている。
とことん肉体でぶつかり合い、全力で疾走する映画だ。
“血沸き肉踊る”という言葉どおりの展開が矢継ぎ早に迫ってくる。
映画『アポカリプト』はファンタジーのお手本としてよく練られているし、エンターティメント映画として骨のある映画だ。
映画記事一覧
作品データ
監督・脚本:メル・ギブソン
音楽:ジェームズ・ホーナー 脚本:ファラド・サフィニア
出演:ルディ・ヤングブラッド ダリア・エルナンデス
〇 ジョナサン・ブリューワー ラオール・トゥルヒロ
〇 モリス・バード ヘラルド・タラセナ
〇 ルドルフォ・パラシオス フェルナンド・エルナンデス
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■2010/01/03 (Sun)
映画:外国映画■
同じ頃、アパートの隣部屋に若い女性が引っ越してくる。ステファニーだ。
うまくいかない現実の不満を、ステファンは夢の中でぶちまける。
夢の中が子供じみているように、ステファン自身、子供だった。
夢とは現実の縮図であり、本人の主観によって再構築された一
ステファンは自分の夢に、何でも取り入れようとしていた。はじめは世界を自分の思い通りに描くために。嫌いなものを排除
しかし夢はやがて主体意思を持ち始め、ステファニーを得ようとする。夢は暴走し、願望は悪夢をもたらす。
今度はステファニーが、ステファンの夢の中に潜り込んでいく。
映画と夢は似ている。映画は夢のイメージと現実を繋ぎ合わせた姿をこの世に現出させる手段であり、装置だ。
ただし映画は、徹底的に制御され、社会性が意識されている。
『恋愛睡眠のすすめ』では意識的に“無秩序”の状態が演出されている。
しかし、渾沌とした夢世界に恐ろしげなものはない。子供のおもちゃ箱のように、温かみに溢れている。
『恋愛睡眠のすすめ』は映画の実体の1つである夢を描いた作品だ。
映画記事一覧
作品データ
監督:ミシェル・ゴンドリー
音楽:ジャン=ミシェル・ベルナール
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル シャルロット・ゲンズブール
〇 ミュウ=ミュウ アラン・シャバ
〇 エマ・ドゥ・コーヌ ピエール・ヴァネック
■2010/01/03 (Sun)
映画:外国映画■
焔をまとった岩石はが次々と迫り、ニューヨークの高層ビルを次々と破壊する。高く聳え立つビルの先端は潰され、
それは遥か天空から放たれたものだった。青空よりもずっと向う、漆黒の宇宙からからだ。だがそれは、本当の危機への序章に過ぎなかった。
その日まで、あと18日。
映画は、見る者の想像をはるかに越えて展開していく。
シーンの一つ一つはファンタジックで、古典的な科学冒険ものを髣髴とさせる。
特撮やデジタルが中心だが、パニック映画の要素をふんだんに取り入れている。
それに映像が美しい。どのシーンも光が自在に制御され、色彩を感じる感性は極めて高い。
物質の質感は、光の効果によって実際以上の迫力を与えている。破
そうしたカットの数々が、とてつもない速度で連続する。それが見るものの判断力を越えて、圧倒的な印象を与えている。
ド派手なアクションの次はロマンス。その次はまたアクションといった具合で落ち着きがない。どの台詞も解説としてもドラマとしても機能せず、クライマックスシーンだけが次々と性急に迫ってくる感じだ。
一方で、『アルマゲドン』のような特撮映画の周辺を見ると、人々の葛藤がわかる。
「特撮ばかりの映画は、退屈だ」「最近の映画は、デジタルに頼ってばかりだ」
しかし一方で、物語中心の映画に接すると退屈してしまう。台詞がドラマとして機能しはじめるまで我慢ができない。
「痛快な“見世物”としての特撮映画に飽きているが、物語映画を最後まで見通す根気がない」
技術の映画か、物語の映画か。そのどちらにも移れない。
映画が迷走するのではない。映画の鑑賞者が、自身の望みがわからず迷走するのだ。
それでも美しい映像が圧倒的印象をもたらしている。
力のあるアクション、破壊、渾沌。
カットがとてつもない速度で羅列し見る者に強烈な心理作用を与える。
台詞のつくりはどれも子供じみている。だが音楽と映像美によって、強引にシーンを成立させてしまっている。
ドラマとしての映画はすでに解体している。高度に発達した映画技術が新たな種類の映画を誕生させたのだ。
映画記事一覧
作品データ
監督:マイケル・ベイ 音楽:トレヴァー・ラビン
脚本:ジョナサン・ヘンズリー J・J・エイブラムス
スコット・マイケル・ローゼンバーグ
出演:ブルース・ウィリス ベン・アフレック
〇 リヴ・タイラー ウィル・パットン
〇 スティーヴ・ブシェミ オーウェン・ウィルソン
■2010/01/02 (Sat)
映画:外国映画■
公立技術専門学校の英国人教師、ジョー・コナーは、駐留している国連軍たちと一緒に、サッカーの試合をテレビで観戦していた。
そんな最中に、事件は起きた。
フツ族による虐殺が、今まさに始まろうとしていた。
夜のうちに、公立技術専門学校に、町の人々が集ってくる。
誰もが、国連軍が駐留している学校に行けば、守ってくれると信じて
しかし、デロン大尉は「彼らは守れない」と告げる。
国連軍の使命は平和維持のためではない。ただの観察だ。命令されていない限り、一発でも銃を撃つことはできない。
「これは虐殺ではありませんか。国連は介入する義務があるのではないですか」と問われるが、デロン
“Shooting Dogs”(原題)
そんな未曾有の最中、国連軍が銃口を向け、撃ったのが“犬”だった。
『ホテル・ルワンダ』と同じ時、同じ場所を題材にした、もう一つ
『ルワンダの涙』では、当時、実際に事件を体験した人達が、スタッフとして参加している。ロケ現場も実際の場所で撮影され、物語の真実味を補強している。『ホテル・ルワンダ』で言及されていた修道院の場面も登場する。二つの
『ホテル・ルワンダ』同様、多くの問題を描いた映画である。
登場人物たちは、ギリギリまでその場にとどまり、危難を乗り越えようとする。そんな様に、我々はただ涙することしかできない。
日本では、アフリカの状況について、報道される機会は少ない。しかし、虐殺は今も起きている。この映画は今、世界が直面する現実を描いている。
『ホテル・ルワンダ』の記事へ
映画記事一覧
作品データ
監督:マイケル・ケイトン=ジョーンズ
音楽:ダリオ・マリアネッリ 脚本:デヴィッド・ウォルステンクロフト
出演:ジョン・ハート ヒュー・ダンシー
〇 クレア=ホープ・アシティ ドミニク・ホルヴィッツ
〇 ニコラ・ウォーカー ルイス・マホニー
■2010/01/02 (Sat)
映画:外国映画■
友人もいない。頼りになる人もいない。妻も失った。
酒に溺れて、酒を手放せなくなっていた。
現実の感覚が、ぐらぐらと歪む。人生の終わりかもしれない。
ベンは家中のものを焼き払い、残ったお金を持って、ラスベガスに向かった。
夢のなかで、人生を終わらせるために。
ラスベガスの通りで、ベンは娼婦のセーラに声をかけた。
俺の部屋にきてくれたら、1時間で500ドル上げよう。
しかしベンは、セーラとの性的快楽を望んでいなかった。
翌日の朝、セーラはベンの部屋を後にする。
セーラは、ベンとの関係はそれきりで終わりにするつもりだった。あの感情は、一夜限りのものだ、と考えてい
だが、セーラはどうしてもベンを忘れられない。
気付けばベンの姿を探して、ラスベガスの街を歩いていた。
周囲はベンを遠ざけようとしている。いつも通っているバーのマスターから出入りを禁止され、アルコール中毒のために職場を追い出される。
ベンは自身の死と、人生の終わりを感じていた。
多くの人にとって、死は逃げるものであり、死に追いつかれたときが人生の終わりだ。
死を漂わせる人間を、誰も望まない。
だがベンは、自ら進んで死に向かっていく。
セーラは死にいこうとするベンに、どこかで共鳴しあうものを感じていた。
セーラも、人生の行き詰まりを感じていた。
ハリウッドでの失敗。ボスであるユリの狂気。
セーラも、自分の人生は終わりかもしれないと予感していた。
一方のベンは、セーラよりずっと深い場所にいる。ずっと暗い場所に。セーラより一歩も二歩も進んだ場所に、ベンはいる。
セーラがベンの死を見守ろうとしたのは、ベンに自身を見出したからかもしれない。
セーラはベンを死から救い出そうとしない。ただ静かに見守るだけだ。最初の約束の通り、死の淵を渡っていくベンを見届ける。
ベンの現実は、おぼろげに霞んでいく。
何もかもが夢の中。ラスベガスの煌くネオンサイトも、ベンの目には残像しか映らない。
あの世なのか、この世なのかもわからない。
すべての境界が取り払われ、その向うに真っ暗な“無”が押し迫ってくる。
ベンが死を間際にしたときに、セーラはやってくる。
君は天使か?
僕の妄想か?
男の死を、女は静かに見守り、連れ去っていく。
映画記事一覧
作品データ
監督・音楽・脚本:マイク・フィギス
原作:ジョン・オブライエン
出演:ニコラス・ケイジ エリザベス・シュー
〇 ジュリアン・サンズ リチャード・ルイス
〇 スティーヴン・ウェバー ヴァレリア・ゴリノ
〇 ローリー・メトカーフ ジュリアン・レノン
第68回アカデミー賞主演男優賞受賞