でも表情は暗く、気持ちは憂鬱だった。
「私は、今日、彼と別れようと思います。芽生えた恋は、いつだって駄目になる。彼のためにした事だって、全部裏目に出てしまう」
いつも、一方的な「好き」の恋愛。
最後にはつらい思いをするだけ。だから、今日のデートを素敵な思い出にして、おしまいにするつもりだった。
チヅル自身に悪気はないのだが、失敗ばかりの恋愛。ところで、左のカット、後ろにいるのは草薙素子?
待ち合わせ場所のレストランへ行くと、もう悠大は待っていた。
悠大は、大きなプレゼントの箱を準備していた。
「……欲しいのは、プレゼントじゃないんだけどな」
そう思っても、口には出せない。表情には、いつもの笑顔。なんだか、自己嫌悪だ。
とそんなときに、邪魔が入るみたいに、悠大の携帯電話が鳴った。悠大は、レストランの奥へ行ってしまった。
一人きり。
そう思ったとき、突然にプレゼントの箱が暴れだした。
中から飛び出したのは、四足の変な生き物。
四足の生き物は、暴れてテーブルを突き倒した挙句、レストランの外に飛び出してしまった。
チヅルは、四足の変な生き物を追って、レストランの外へ走り出していく。
「つらい思いをするくらいなら、別れよう」そう思いつつも、矛盾するように想いは強くなる。悠大の日常を覗き見したり、プレゼントを用意したり。悠大とは違う理由で、素直に離れないチヅル。
『東京マーブルチョコレート』のもう一篇、『マタアイマショウ』は、悠大を主人公にした『全力少年』を、チヅルを主人公に同じ場所、同じ時間で何が起きたかを描く。
チヅルは、あの時どこへ行ってしまったのか。
チヅルは、どんな気持ちでいたのか。明るい笑顔の背後に、どんな切ない思いを隠していたのか。
『東京マーブルチョコレート』のもう一つの物語だ。
男と女のメランコリックな内面を描いたアニメーション。だが、尺は30分で、転調は少なく、展開はどちらかといえば、ありきたり。バブル期によく見た恋愛の典型。部屋のレイアウトも、どこかテレビで見た恋愛の残滓を感じてしまう。
チヅルは、いつも元気で笑顔。まわりは皆、チヅルは明るくて、でもちょっと不思議なところのある女の子だと思っている。
しかし表情は笑顔だけど、心はもう挫けてしまっている。
いつも、恋愛は失敗ばかり。失敗の積み重ねが、チヅルを後ろ向きな気持ちにさせていた。
悠大のことが好き。でも、チヅルの「好き」はいつも一方的で、相手がどう思っているのかわからない。
別れを切り出されて、つらい思いをするくらいなら、いっそ自分から。
クリスマスのデートは、ミニロバの横槍で、台無しになってしまう。
もう、おしまいかな。
そう思ったとき、むしろ「好き」という想いが強くなるのを感じる。
諦めて去ろうとした恋。
でも振り返ると、全力で走ってくる悠大がいた。
『全力少年』へ
作品データ
監督:塩谷直義 脚本:尾崎将也
キャラクターデザイン:谷川史子 作画監督:浅野恭司
美術監督:小林七郎 色彩設計:広瀬いづみ
主題歌:SEAMO
出演:櫻井孝宏 水樹奈々 岩田光央 井上真理奈
中村悠一 宝亀克寿 川崎恵理子 鈴木琢磨
太田哲治 藤葉愛香 高木めぐみ
制作/原作:プロダクションI.G
でも、頭の中は不安で一杯だった。
頭の中に、失敗したかつての恋愛が、いくつもよぎる。
「僕は臆病で弱虫です。女の子と付き合っても、すぐに駄目になってしまう。原因は、僕です」
でも、今日こそちゃんと言うつもりだ、と悠大は決心する。
「好きだ」って。
情けない恋愛ばかり経験してきた悠大。奥手だが、恋愛経験は非常に豊富。最後に付き合っていたミキからは、「私たち、本当に付き合ってるの?」と言われてしまう。
悠大は、大きなプレゼントを抱えて、待ち合わせの場所のレストランへ向かう。
すぐにチヅルはやって来た。
二人でテーブルを挟んで、悠大とチヅルが微笑みあう。「チヅルちゃん、似合うね。今日の服」なんてこと言っている場合か。プレゼント、渡さなくちゃ。
とそんなときに、邪魔するみたいに電話が掛かってきた。
ペットショップの『ハーメルン』からだ。
プレゼントの箱に、手違いでウサギではなく“ミニロバ”がはいっている。だから、決して開けないように、と忠告される。
悠大は適当に話を流して、チヅルのところへ戻ろうとしたが、チヅルはもういなかった。
どこへ行ってしまったんだろう。
悠大は、チヅルを探して、東京の街を走り回る。
突然いなくなってしまったチヅル。もしかしたら、家に帰っているかも。しかしそこで、チヅルの愚痴を聞いてしまう。帰ってくると、いきなり元カノのミキがやってきて…
何もかもが柔らかいタッチで描かれるアニメーションだ。
線も色彩も、人間の心理も。何もかもが温かみのある柔らかさで描かれている。
少女漫画風の作画は、均一な線でトレスをするアニメーションでは表現しづらい産物だった。
キャラクターデザインがよくできていても、最後のトレスの段階で、もともとの線の柔らかさを殺してしまい、無機質なただの線に変えてしまう。
だが『東京マーブルチョコ』は、進化したデジタルの技術で、やわらかな線と、あいまいな色調を見事に表現する。
従来の技術では、少女漫画風のタッチは再現が難しかった。動画用紙をトレスマシンに通すと、どうしても線が乱暴になるし、繊細な色を表現するアニメカラーもなかった。ここまで線の柔らかいアニメができたのは、デジタル技術ゆえ。
主人公である悠大は、気弱な少年だ。いつも悪い想像ばかりして、不安で心がくじけそうで、実際、これまでに何度もくじけてきた。
女性には、なかなか理解されない、男性の弱さ。
世の中は、常に男性の攻撃性を賛美し、攻撃的人格を望んでいる。
悠大は、弱々しい少年だが、それでも眼差しはしっかり前を向いている。
今日こそは、好きって言うんだ、と。
そのたった一言のために、何度もくじけて、それでも真直ぐ前を向いて、走り続ける。
『マタアイマショウ』へ
作品データ
監督:塩谷直義 脚本:尾崎将也
キャラクターデザイン:谷川史子 作画監督:浅野恭司
美術監督:小林七郎 色彩設計:広瀬いづみ
主題歌:スキマスイッチ
出演:櫻井孝宏 水樹奈々 岩田光央 井上真理奈
中村悠一 宝亀克寿 川崎恵理子 鈴木琢磨
太田哲治 藤葉愛香 高木めぐみ
制作/原作:プロダクションI.G
講談社コミックス『さよなら絶望先生 第16集』に付属する、限定生産されたオリジナル・アニメーション・DVDのシリーズ第2弾だ。
テレビシリーズで構築された表現、技法はそのまま踏襲され、ここで改めて作品に論じるべきものはない。
『獄・さよなら絶望先生・下』において、最も注目すべきは、そのオープニングシーンだ。
過去のオープニングシーンが蒐集され、あえて継ぎ接ぎだらけにし、稚拙な色彩をで塗りたくり、そのうえに容赦なく切り刻んで列挙する。
それがオープニングテーマ曲とマッチした瞬間、途方もない毒々しさが吐き出され、かつてない病的イメージを作り出している。
まるで、悪夢そのものが動き出しているようであり、絶望先生という自在さを見事に味方につけている。
日本アニメーションのもはや単調ともいえる線の構成は、徹底的に破壊され、陵辱され、作家自身のイマジナリィを直裁的に刻印している。
作品の毒は、オープニングによってどこまでも強烈に強められている。
オープニング主題歌についても記さねばならない。
今回もオープニング曲は、大槻ケンジと絶望少女たちが熱唱している。
それに加えて、まさかの〈らっぷびと〉が加わり、奇跡のような共演を果たす。
〈らっぷびと〉はインターネットサイトなどでアニメの楽曲を“勝手に”ラップ風にアレンジし、“勝手に”発表していた歌手である。
通常ならば、言語道断極まりない話である。
しかし、〈らっぷびと〉の表現力・技術力の高さに誰もが言葉を失った。新たな才能が生まれた瞬間を目にしたのだ。
〈らっぷびと〉が歌う『人として軸がぶれている』は本家・大槻ケンジの公認を受けたほどである。
そして、遂に本家オープニング主題歌を担当。大槻ケンジとの共演が実現したのである。
〈らっぷびと〉が表現した絶望先生は、新鮮で、前衛的なイメージが強まり、絶望先生の果てなき発展性を象徴している。
すっかり“イタイ女の子”というイメージを定着させた日塔奈美(普通なのになぁ)。毒の多い作品に、朗らかな印象を与えている(普通だからか?)。
さて、アニメーション本編はこれまでのOADシリーズ同様、3話構成で成立している。
『第一話 暗中問答』
原作149話のエピソードだ。
夜更け。人知れぬ古寺に集る少女たち。絶望先生主要キャラクターである少女たちが顔を並べている。
そこに、糸色望が姿を現す。
「皆さん。それぞれのネタを持ち寄りましたね」
そう、これから話すのは怪談ではない。
“ネタ”である。
しかし、ネタというネタが、次々と吹き消されていく。
新しいネタが発見できない。
そんな、連載漫画家のリアルな恐怖を描く。
ホワイト・デーがネタにされている。そういえば『獄・さよなら絶望先生 上』では、バレンタイン・デーがネタにされていた。
ちなみに、「勝者なき」と言いつつ、本作品は『文化メディア芸術祭審査員推薦作品』に選ばれている(下の可符香のカット)。何だかんだで、一人勝ちである。
『第二話 負けた草子』
原作130話のエピソードだ。
二人の男がメイド喫茶に向かっている。その日は、ホワイト・デーだ。二人の男に掌は小さなチョコが握られている。
が、二人の男はメイド喫茶の前で睨みあう。
「自分のほうが愛されている!」
しかし、それは勝者のない、敗者しか生み出さない戦いであった。
世の中、敗者同士の勝者のない不毛の対立がいくつもある。
そんな世の中を皮肉ったエピソードだ。
絶望先生らしい、一篇だ。
オリジナル・ストーリの第三話。高校生の糸色望が桜並木で見たものとは?
『第三話 一本昔ばなし』
今作唯一のオリジナルストーリーだ。
糸色望の高校時代のエピソードが中心に描かれている。
糸色望がいかにネガティブな性格を形成していったか、社会に対して根暗な印象を持つようになっていったのか。
その経緯を、物語漫画風に綴る。
可符香の心象風景(?)
絶望先生のビジュアルイメージは、すでにテレビシリーズで確立している。
だが、このシリーズはあえてOADシリーズであったほうがいいだろう。
テレビには自主規制という縛りが多く、時間的制約すらある。
絶望先生にとって、テレビは、もはや鎖でしかない。
OADによって、その鎖から解き放たれて、のびのびと自由に暴走する姿のほうが絶望先生らしく思える。
かつてない毒素を持ったオープニング。
本編すら霞んでしまう強烈さ。
登場キャラクターを演じる声優達の演技は、見事な調和を果たしている。
アニメシリーズからすでに2年の時を経て演じ続け、どの俳優も、キャラクターの特性を充分に知り抜いている。
今や、声優たちが喋ると、そのキャラクターが本当に呼吸しているような印象すら感じる。
絶望先生はどこまで続き、どこまで広がっていくのだろう。
絶望先生という領域は、今現在をも広がり続けている。
通常の漫画作品より、絶望先生は作品の基盤が柔らかい。
あらゆる才能を受け止めて、その作品の洪水のような情報量の一つにしてしまう。
どんな才能も流行も、絶望先生の手にかかればネタのひとつとして、キャラクターのひとつとして、飲み込まれてしまう。
『獄・さよなら絶望先生・下』においてはらっぷびとという才能を獲得した。
今後も、どこまでも無限の発展性と可能性が期待されるシリーズである。
これからも、ネタ切れにはらはらさせながら、果てなく拡大していく様を見守っていきたい。
さよなら絶望先生 シリーズ記事一覧
コミックス:さよなら絶望先生 第1集
作品データ
監督:新房昭之 原作:久米田康治
副監督・絵コンテ:龍輪直征
演出:宮本幸裕 飯村正之
作画監督:村山公輔 田中穣 岩崎安利
構成:東富那子 色彩:滝沢いづみ 佐藤加奈子
出演:神谷浩史 野中藍 井上麻理奈 谷井あすか
真田アサミ 小林ゆう 沢城みゆき 後藤邑子
新谷良子 松来未祐 後藤沙緒里 井上喜久子
杉田智和 寺島拓篤 水島大宙 子安武人
協力:MAEDAX G
映画『ダークナイト』の公開に先立って製作された、アニメ作品である。
前作『バットマン・ビギンズ』との間を埋めるエピソードが描かれている。
今回のアニメ版は、すべて日本のアニメーション製作会社が作画を担当している。
アニメ『バットマン ゴッサムナイト』は6本の短編集から成り立っている。
構成の方法や、アプローチの手法は、『アニマトリックス』を参考にしている。
しかし、その方向性は、『アニマトリックス』とはまるで違う。
6本の作品は、いずれもバットマンだが、それぞれの作家がそれぞれの視点で、オリジナルのバットマン像を展開させている。
第3話(左)と第6話(右)のブルース。
説明されないと、同一人物とは思えないほど、タッチが違う。
6本のアニメ作品は、あまりにも個性的で、一貫性を見つけ出すのは難しい。
多様なテーマ、多様な舞台。
どうやら、時間的な連続性だけはあるようだ。
しかし、絵柄が違えば、声優も違うし、コスチュームすら変わってしまう。
絵柄については、あまりにも違いすぎて、誰が誰なのかわからなくなってしまう。
まるで6本のアニメが、違う国籍で作られたかのような印象すらある。
第1話は『鉄コン筋クリート』で作画を担当した西見祥示郎が担当する。
そのバットマン像は、史上最もユニークと評される。
どんな姿なのか、見てのお楽しみ。
『アニマトリックス』との決定的な違いは、ベーシック・アニメが存在しないことだ。
6人のアニメ監督が、それぞれのバットマン像を独自に追求した作品だ、といえるだろう。
異様な生々しさを持つゴッサムシティ。
どこかにありそうで、しかしどこにもない風景を作り出した。
今回のバットマンで、最も印象的だったのが、ゴッサムシティだ。
実写で架空の都市を描くのは、非常に難しい。
実景をデジタルで補強したり、セット撮影になったり、
撮影の自由度は、極端に制限されてしまう。
それが、今回のアニメ作品では、ゴッサムシティがより立体的で実在感のある都市として描かれていた。
高精細で、臭いすら感じられるようだ。
日本のアニメーションは、常に物質の手触りや汚れを表現しようとする。
そういった経験の積み重ねが、あの見事な表現力に結びついたのだろう。
第5話。哲学的な面から、バットマン像を探った作品。
6本の短編アニメは、確かにバットマンだが、奇妙なくらいバットマンは客観的だ。
どのエピソードも、バットマンを外から語っている。
バットマンの正体であるブルースですら、バットマンについて語り始めると、客観的になる。
バットマンが、自分自身を語るエピソードは存在しない。
バットマンは、いったい何者なのか。
「正体が誰なのか」といった議論ではない。もっと本質的な問いだ。
その正体について、それぞれの作家が、それぞれの方法で模索した作品だと言うべきだろう。
誰にとっても、バットマンは実像が不明なのだ。
恐怖や不安、恐れ。実像を探ろうとすると、そういった曖昧な言葉ばかりが出てきてしまう。
あるいは、ゴッサムシティという暗い都市が生み出した、幻影みたいなものなのかもしれない。
作品データ
監督:西見祥示郎 東出太 モリヲヒロシ
青木康浩 窪岡俊之
制作:STDIO4℃ ProductionI.G
マッドハウス
出演:玄田哲章 三木眞一郎 中田譲治
井上喜久子 小川真司 納谷六郎
池田勝