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■2009/08/18 (Tue)
漫画・絶望先生18『さよなら絶望先生』第18集の表紙を飾るのは人気キャラクター、小森霧だ。衣装は、艶やかな巫女装束風の和装だ。「前巻までのあらすじ」は、前17集からの新パターンとして、キャラクターにまつわるエピソードが紹介される。第18集における「前巻までのあらすじ」では、小森霧に関わる意外な設定や、意外な裏の姿が紹介されている。アニメーションでぜひ取り上げてほしいエピソードだ。

私、小森霧は世間で言うトコのヒキコモリ。でもこの部屋の押し入れは地界に繋がる扉なんだ。そこから、毎日のように湧き出る魑魅魍魎たちを退治するのが、お師匠様から授かった私の使命ってわけ。でも、親からは理解されず最近じゃ、テレビでお馴染みの関西のおばちゃんが来ちゃうし、乙女の悩みは尽きないって感じなの。地界と繋がる階段で、一つの物語を考えた。レーシック治療を受けた漫画家が、よく見るようになったのはいいが、見えすぎて霊まで見えるようになってしまうというJホラー「霊病」。お母さんに話したら秋本康が書きそうだって。勿論、窓ガラス三枚割ってやったわ。地界の扉が開く合い言葉は「ボイドルだーい好き!」。

第171話 強引の窓
2f86cf58.jpg宇宙空間には、ダークマターと呼ばれる暗黒物質が存在する。存在自体が“負”であるのに関わらず、あらゆる物を引き込み、“無”に変えてしまう物質……。
形は違えど、我々の周囲にも似たような物質・現象はあるのではないか。明らかに“負”の存在にも関わらず、我々を魅了し、引き込んでしまう暗黒“的”物質が。
例えば、スタイルのいいブス。
毒にあたるかもしれないのに美味なフグ。
故障ばかりするのに、魅力的なイタリア車。
臭いのわかっているのに、ついつい嗅いでしまう篭手の臭い。
そういった、日常で観察されるダメ引力をひとつひとつ取り上げていく。

第172話 三十年後の正解
b87e466e.jpgテストの返却日。千里が、「正解しているのにバツがついている!」と抗議の声をあげる。
反論するように、糸色望がこうやり返す。
「大人の世界ではしばしば、正解が正解ではないことがあるのです!」
舞台は学校の教室から、強引にクイズ番組のスタジオへと移動する。
そこに並ぶ回答者。
会社社長「問題。キミたち、DAIGOって誰の孫だか知っている?」
回答者の社員「竹本元首相の孫ですね」
正解だが大人の世界では不正解だ。正しい解答はこうだ。
「存じません。流行に疎いもので。どなたか有名な方のお孫さんなんですか?」
正しくても、場面によっては不正解になるかもしれない。そんな不条理、日本人独特の“空気”を『さよなら絶望先生』流のスタイルで描き出す。




第173話 こんにちはご起源いかが
217752ad.jpg糸色望は、ある二つの店の前で迷っていた。左の店には「“元祖”おかえし焼き」。右の店には「“本家”おかえし焼き」。
元祖も本家も、我こそは「最初」と言い張る。さらに漫画をややこしくするように、もう一人が現れ「元々、両方ともウチの「みかえり焼き」が起源なのにね」と発言。
最近、やたら起源を主張したがる人が多い。
町おこしでサンバカーニバルを始めたのは自分だと言い張る町内会(ブラジルでしょ)。
あの歌にあるフレーズは、自分の漫画が起源だと言い張る某有名漫画家。
もっとも、表現世界における起源説の大半は、誤爆に過ぎない。
起源を言い張る行為、言論自体のおかしさ、滑稽さを描いた一篇である。











第174話 過多たたき
46882933.jpgすでにアニメーション『懺・さよなら絶望先生』第5回において放送された作品である。
卒業式の日。糸色望が体育館裏でお礼参りを怯えていた。そんな体育館裏に、気になる看板が置かれていた。
『涙の卒業式』
確かに卒業式は泣けるもの。でも、わざわざ「涙の」と書かれると、もう泣けない。
日本に過剰に氾濫する煽り文句。過剰すぎて、むしろ懐疑的に身構えてしまったり、食傷気味になってしまっている現代日本人の心理を描いている。
だが、もしもそんな煽り文句を背負わされるとしたら?







第175話 終われない事実
96404f68.jpg今、ある電車が廃線になろうとしている。糸色望は、プラットホームからその電車の最後を、涙を浮かべながら見届ける。
「だったら、なぜもっと前に乗ってあげなかったんですか? ここにいる人達が、普段から乗車してあげれば、なくならずに済んだんじゃありませんか。」
木津千里の意見は的確である。だが、日本人は終了を知らされないと、盛り上がらない民族である。いわば、「駆け込み需要」を好む性質であるといえる。
例えば、閉店が決まった食い倒れに、惜しむファンが殺到したり、
解散コンサートと銘打ったら、普段来ないようなファンが押し寄せたり、
含まれている成分が禁止にされるから、化粧品を買いに走ったり……。
そんな日本人の、ある性格の一端を描いている。「さよなら絶望先生」流の日本論というべき一篇である。
角が立ちそうなので、ここからは隠し文字で。というか、ただの個人意見なので。
日本人はそれがなくならないと、なくなるものに対する貴重さがわからない民族であり、一方でなくなったものに対しては過剰な価値が与えてしまう性格を持っている。二晩程度で全て散ってしまう桜を愛する民族だ。
なくなってから慌てる民族、ともいえる。
例えば浮世絵。日本は浮世絵文化が完全に消失してから、はじめて浮世絵の芸術的、技術的、文化的価値に気付いた。でも気付いたときにはすでに遅し。今となっては、日本に充分なコレクションがなく、企画展や画集を出そうと思ったら海外(主にヨーロッパ)からお金を払ってレンタルしなくてはならない。
国立メディア芸術総合センターに関する議論も、「なくならないとありがたみのわからない日本人」の性格をよく現していると思う。落ち着いた対話や議論をするには、まずその文化が完全になくなってからではないとできないのだろう。

第176話 クラックな卵
0018dbe5.jpg「卵か先か、ニワトリが先か?」
173話の続きではないが、世の中にはどちらが先なのかわからないものがたくさんある。
例えば引きこもり。「引きこもりが先か、家が先か?」。家が先、と言ってしまいそうだが、近代的な住宅状態が整備される以前から、厭世癖といった言葉は存在する。とすると、引きこもりに近い人間像は、その以前からいたのではないか。
日常的に存在する、あらゆるものに対し、「どちらか先か」という強引な議論を始める。それがやがて、取留めのない方向へと発展していく。
『さよなら絶望先生』らしい脱線が楽しめるエピソードだ。








第177話 男もすなるという夢日記といふものを、女もしてみむとてするなり
beba25d8.jpg春眠暁を覚えず。春になると、教室は暖かな空気で居眠りを始める生徒が増える。
だが千里は、居眠りするクラスメートに寛大な対応をする。その代わりに、きっちりと『夢日記』をつけるよう要求し始める。
そこから漫画は支離滅裂な危うい展開を見せ始める。なぜなら夢とは自由な空想であり、原理であるとか理由など求めてはいけないからだ。夢の内容を記述した漫画を支離滅裂だと批判するのは、おかしな意見なのである。
そんな場所に、新井智恵先生がやってくる。
「フロイトの夢分析によると、大抵の夢が性的欲求不満のあらわれというから」(フロイトの説の大半はこじつけもいいところだが)
夢が性的欲求不満の現れ! 夢を記述し、公開する行為に羞恥心を感じたへ組生徒たちは、居眠りを我慢しようとする。背後には、夢日記をクラス全員に強制しようとする千里が待ち構えている。
この展開が、意外な結末へと発展していく。

第178話 葬られ損ねた秘密
69fa013f.jpg学校のテニスコートに、あまりにも意外なものが唐突に落ちてきた。
――ミサイルである。
「これって、アレだよね?」
「ニュースでやってた……」
日本列島を飛び越えたはず某国のミサイル。それが、なぜか学校に落ちて、テニスコートに突き刺さっている。
しかしどの報道番組にも、その事実は取り上げられていない。ならばこれは、“超国家機密”ではないか? それを知ってしまったということは、密かに暗殺されてしまうのではないか?
暗殺を恐れた糸色望たちは、ミサイルを隠すためにドタバタの隠蔽劇を演じ始める。





第179話 われらライナス
1d776ba5.jpg風薫る五月――。
「いい天気ですね。たまには窓を開けないと、不健康ですよ」
と窓を開ける糸色望。強い風が飛び込んできた。その途端に、小森霧の毛布が吹き飛ばされてしまう。
糸色望は新しい毛布を買ってくるが、霧は納得しない。
「あの毛布じゃなきゃダメなの!」
というわけで、クラス全員で霧の毛布を探すために街を繰り出す。それが意外な人物を巻き込んで、意外な方向に物語は広がっていく。

第180話 暗黙童話
ec460d54.jpgなんとなく風紀が乱れる2のへ組教室。憤慨した木津千里は、糸色望にきっちり指導するように要求する。だが糸色望は、意外な決定を発表する。
「本日より我が校の校則は、すべて“暗黙のルール”となります」
暗黙のルール。文章として明記されない不文律のルール。「これが校則だ」と明言されない自由状態だが、暗黙のルールを破ると容赦のない制裁が待ち構えている。
だが、果たして「暗黙のルール」とは何なのか? どこまでがOKでどこからがNGなのか? その境界線がわからず、へ組生徒はぴりぴりと慎重な態度をとり始める。
日本人の村意識と“空気”をおかさしさたっぷりに描く、やはり『さよなら絶望先生』流の日本論である。

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漫画・著作:久米田康治
編集・出版:講談社

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■2009/02/13 (Fri)

f831a54f.jpg真城最高は、今時の中学3年生だ。
無気力で、目標もなく、毎日をだらだらと過ごしている。
好きな女の子はいる。斜め前の席に座っている、小豆美保。でも、一度も言葉を交わした経験もない。
“つまらない未来。生きていることは面倒くさい。ただ流されてよい子に生きてきた。それが、僕の人生観”
そんなある日、真城は学校にノートを置き忘れてしまう。あのノートには、授業中こっそり書いた小豆美保の後ろ姿が書かれている。あれを見られたら、恥ずかしい。
真城が学校に行くと、待ち構えていたのは優等生の高木秋人だった。
「安心しろよ。ノートは返してやるよ。ただし、一つ条件がある。
 俺と組んで、漫画家になってくれ!」


これを切っ掛けに、真城最高は漫画家を目指すことになる。
物語は、意外な動機で始まり、意外な展開を見せる。
コンビものの類型と見るべきだが、主人公が“漫画家”という設定は斬新だ。これまでに小説家が小説を題材にすることはあったし、映画監督が映画を題材にする前例はあったが、“漫画家”は少ない。
381e6870.jpgそれに、漫画家を目指す少年達の眼差しが素晴らしい。漫画に限らず文系の職業は、自身を描写するさい、謙遜なのか自虐なのか、より滑稽に、より醜く描こうとした。いわゆる、“オタク”と呼ばれるものだ。
しかし、『バクマン。』には、そうした陰湿さはどこにもない。自身を道化にして、安っぽいお笑いなど求めていない。
若さがあり、情熱的で、漫画の制作に真剣に打ち込む。そうした姿がなんともいえず清々しく、青春の美しさがこめられ、何より、漫画への愛情に満ちている。


漫画家が、漫画家を描く物語である。当然だが、漫画家周辺の描写は細かい。
例えば、漫画家・川口たろうの仕事場だ。漫画原稿の上に、さりげなく小さな紙が置かれている。これはペンの調子を試し、原稿を汚さないように手を置くための紙だ。滑らかで長い線を引くとき、この紙の手を置き、紙を滑らすのだ。
237df88c.jpgそれに、川口たろうの指先は、常にインクで汚れている。ここまでの細かな描写は、おそらく実写ドラマなどが制作されたさい、見落とされる部分だろう。漫画家が、どんなふうに手を汚しながら描いているのか、それは漫画家自身にしか分からないはずだからだ。
漫画家周辺の描写を、通俗的な記号化に頼らず、細かく観察され、描写されている。天才絵師・小畑健の実力によるものだが、自身の仕事風景をごまかさず、徹底的に描ききった成果である。


『バクマン。』の魅力は、エンターティメントの部分だけに留まらない。漫画新人賞にそのまま活用できそうな、様々な知識が網羅されている。
技法的な部分、例えば使用するペンや、資料の集め方。絵の練習の仕方。ネームとはいったい何か。ホワイトやスクリーントーンの解説までしてくれる。
さらに重要なのが新人賞指南だ。例えば108ページの真城最高の台詞。「一番最初に/何したかっていうと/過去の赤塚賞受賞作を/集めるだけ集めて/どんな作品が評価されるか/研究したんだって/で その頃は/ギャグマンガでも/社会風刺が入ったものが/評価されるって判断して/それに徹したらしい」これは現実的に、小説新人賞、漫画新人賞などで奨励されている方法である。
7202b5ee.jpgさらに次のページでは、近年の漫画の方向性、傾向を分析したものまで解説されている。漫画の知識が非常に豊かなだけでなく、分析能力の高さもわかる部分だ。
その次に解説されるのは、168ページからの『担当』についてである。漫画家指南やハウツー本では通常、技法だけに終始し、漫画編集や担当までは書かれていないものだ。しかし『バクマン。』では、漫画編集者の内部事情的な部分まで、赤裸々に語られる。おそらく、漫画家自身の実体験と思われるものまで、これ見よがしに描写されている。クリーンなイメージの少年誌で「これは大丈夫か」という領域まで語られた事実は、快挙である。168ページからの数ページで、漫画家という職業が、通常の労働とは別種であることが、よくわかる。
この漫画はエンターティメントであると同時に、優れたプロ指南書でもあるのだ。


d7e50c53.jpgそれから、エピソードの終わりに、漫画の設計図でもある『ネーム』が掲載される。
漫画家の『ネーム』が掲載されるケースは稀だが、驚くべきものではない。しかしこれが、あの『小畑健・大場つぐみ』コンビのものであるというと、話は変わってくる。『デスノート』のコンビがどのように作品を制作し、完成を目指しているのか。
ネームは、漫画の設計図と呼ぶべきものである。アニメでいうところの“レイアウト”。油絵でいうところの“習作”だ。
『バクマン。』には、さも当たり前のように、コミックスの中にネームが掲載されているのだ。それこそ、作家が自身の手の内を明かしているようなものである。また“謎の作家”であった、大場つぐみの正体も、このネームによって、明らかになった。ネームの掲載は、“漫画家と漫画原作”というテーマをより補強させている。


『バクマン。』は漫画としても、ハウツー本としても、最良の作品だ。だが、やはりエンターティメントとして一級品だ。
093d5352.jpg物語の展開はゆるやかだが、描写の一つ一つが素晴らしい。どの対話も決して単調にはならず、読者を飽きさず引きこんでいく。
それに、漫画への愛と情熱が、覆い隠すものなく燃え上がっている。漫画を題材にした作品なのに、熱血が迸り、それでいて青春のさわやかさに満ちている。
かつて、漫画を題材にした作品で、これほどまでに興奮をもたらした作品などあっただろうか。ページをめくる間がもどかしい。恋愛の行方がどうなってしまうのか。漫画作品はどのような完成を迎えるのか。早く続きが知りたいと思う作品だ。

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作品データ
原作:大場つぐみ
漫画:小畑健
出版:集英社

 
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■2009/02/12 (Thu)

書籍004・絶望先生・ライブドア桜満開の春。
セーラー服の少女が、散り落ちる花びらに戯れながら、並木通りを歩いていた。
そんな少女の目の前に、首を吊る男が一人。
「いけません! 命を粗末にしては、いけません!」
少女は、とっさに男の体にすがりついた。
が、むしろ少女の全体重が男の体重に加わってしまう。まだ息のある男は、苦しみに呻く。
ついに、ロープはぷっちり千切れて、男と少女はもつれながら地面に倒れる。
「……ゲホッ。死んだら、どーする!
「え?」

男の名は、『糸色望』。通称“絶望先生”。
少女の名は、『風浦可符香(P.N)』。
出会ってはいけない二人が、出会ってしまった。


絶望先生第1集においては、後の社会風刺漫画という毒素は控えめで、主にキャラクターを中心に展開している。
物語の構造も、絶望先生と風浦可符香(P.N)が中心に展開する、コンビものといった感じだ。典型的なパターンとしては、問題のある生徒が登場し、絶望先生が教師という立場から関わりを持ち、解決しようとする。しかしそこで風浦可符香(P.N)が介入し、問題はさらに混乱を深め、暴走と脱線を繰り広げた後に、問題生徒は絶望先生の教室に受け入れられていく。


ここで、第1集に登場する絶望少女たちを列挙していこう。
風浦可符香(P.N)
小森霧
常月まとい
小節あびる
木村カエレ
音無芽留
木津千里
関内・マリア・太郎
日塔奈美
第1集全10話の中で、9人の絶望少女たちが次々と登場する(第1話第2話は風浦可符香(P.N)が連続で登場する。この頃はまだ、メインヒロインのはずだった)。ここで登場するメンバーは後のシリーズでも常連として登場し、重要な役割を担っていく。
だから第1集には社会風刺は、入る余地はなかったのだと考えられる。またあるいは、キャラクターを中心とした、まったく別の展開も用意されていたのかもしれない。
『さよなら絶望先生』での登場人物たちは、いずれも個性的、もっといえば問題のある人達ばかりである。絶望先生自身もまた問題を抱え、ことあるごとにロープを持ち出し、自殺しようとする「死にたがり」である。
現実的に考えるならば、こういった問題のある生徒たちは排除されただろう。現代の教育、あるいはそれらを取り巻く環境は、異質なものがまず排除され、人間の人格とは決して対峙しない。クラスメイト、教師のあいだには常に緊張感に満ち、表面的な取り繕った関係を作ろうとする。あるいは、集団に受け入れる振りをしながら、陰湿なイジメの対象にする。
それが現代の教育の姿だ。現代という時代と社会が、子供に対して“装う”ことを望んでいるのだ。社会は建前では“個性”などと言うが、実体としては表面的に取り繕った、優良な“いい子”だけを求めている。はっきりいえば、大人にとって子供は“商品”であり、学校は“製造工場”だ。
だが、『さよなら絶望先生』ではどうであろう。後にキャラクター自身で語られているように、絶望先生の教室でイジメは発生していないし、発生しそうな気配はない。むしろ、円満な関係を築き上げている。
あまりにも異質すぎる人間ばかりが揃うと、そういった現象が起きる。一つ一つは異端的な存在だが、それらが集まると、一つ一つの特性は薄まり、やがてひとつの集団の一人となる。
絶望先生が最弱という存在も、この絆の補強に一役買っている。長い夏休みの間にも、絶望先生がうっかり自殺してはいないか、生徒たちが交代で様子を見にいったりしている。生徒-教師間の関係は、非常に密でしかも深い。弱すぎる教師の存在が、生徒の絆の補強させているのだ。
彼女たちはお互いをよく認識し、理解しあい、距離の持ち方を知っている。そうした中ではイジメも、表面的な関係も起きないのだ。
……と、深読みもいいところだが。


それにしても『さよなら絶望先生』は、新人作家のような新鮮味で溢れている。
漫画家・久米田康治はもちろんベテランの作家だが、作品はあまりにも未完成で、何かの途上のような印象が漂う。タッチについても、キャラクターについても、まだこれから形成し、完成する手前の状態だ。
例えば、藤吉晴海は第1集第5話から登場する。小節あびるの単独エピソードの最後で唐突に登場し、絶望先生に猫耳を装着させる。この段階から、藤吉晴美のキャラクターの特殊性はすでに現れている。これ以後も、コマの端に藤吉晴海はちらちらと登場する。
単独エピソードが紹介されるのは第2集15話である。その直前にも登場してくるのだが、単独エピソードに入った途端、唐突に一人のキャラクターと自立し始める。ルックスにしても、それ以前のエピソードとまったく違う。眼鏡と髪型という特徴だけを拾い、改めてキャラクターとして自立させた感じだ。
それは、木津千里についても同様にいえる。木津千里は第4話から登場するが、この段階では、まだ生徒の中の一人という扱いだ。その後、徐々に委員長キャラ、生徒の解説役として自立し、第8話においてついに単独エピソードを獲得する。
もう一人、1話・2話に登場する、セーラー服を着た、ストーカーではない常月まといも見るべき部分だ(これは貴重だ)。
まるで無計画に週刊連載を開始し、その後に改めて創造していったかのようだ。週刊連載という地獄のスケジュールの中で、どうやってここまでの創造性を発揮できたのだろう。
このキャラクターたちは、その後もどんどん成長を続ける。同時に、漫画の表現も完成していき、『さよなら絶望先生』独自の表現を絶対的なものにする。あの素晴らしい扉絵や、シンプルな線で構成されたスタイリッシュな線画。また、独特の文字表現(“にょんたか”など。←は第1集から登場するが)も徐々に文法として完成させていく。
久米田康治はことあるごとに自身の仕事と能力を自嘲的に語り、笑いを取ろうとするが、実際にはまだまだ多くの可能性を作家だ。成長の余地、発展性を備えた作家である。それこそ、新人作家が持っている可能性を、今でも持っているといっていいだろう。



作品データ
漫画:久米田康治
出版:講談社


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